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2008年3月

2008年3月31日 (月)

繋がる糸

私たちの住む町の歴史

普段は少しも意識することがなくて、ただ今の生活を送っていると目に留まらないもの

近隣の民俗芸能を調べていくと、小さな町や村にかつて起きていた出来事が見えてくる

道ばたの小さな道標や、今はもう渡る人もいない橋、片隅に忘れられた小さな祠や社に、多くの人が一喜一憂した歴史が隠されていることを知る

教科書に載らない近隣の歴史…なんて奥深いのだろうと感嘆する日々

高く積まれた本をひもといていくと、昔の人の暮らしが活き活きと蘇ってくる喜び

学生時代ワンゲル部だった私は、大きなキスリングを背負い、大井川鉄道のトロッコ電車に乗って、南アルプスを目指したことが何度かある

旅番組で知った「わっぱ」というお弁当箱を求めて、これまたトロッコ電車に乗ったこともある

南アルプスの玄関口も、「わっぱ」の里も大井川の上流の井川という場所

14723dakekanba この井川の里と、南信濃の下栗の里が、なにやらつながっているらしいと知った

その昔奥深い南アルプスの山を越えて行き来した人たち

井川の里から下栗の里へ、下栗の里から井川の里へ…移ってきた人がいた

様々な習慣や芸能もそれに伴い、峠を越えて交差して伝わっていったのかも知れない

わっぱという細工を生業とする人たちが生まれた理由も本のひとつから知ることになった

遠い時間を経て、学生時代に通った場所と、最近霜月祭りで出かけた南信濃の村がつながった不思議に驚く

今は誰も通ることのないけもの道のような険しい道を、古の人たちはどんな思いを抱えて歩いたのだろう?

2008年3月17日 (月)

大数珠まわし

気賀の町の小さなカフェで食事した際に、何気なくマスターにこう聞いた

「この辺に古くから伝わる芸能とか神事ってありますか?」

すると…細江の歴史案内人を自称するマスターは、細江に関するいろいろな本を見せてくれ、その中のこんな話に惹かれた私

「ある地域でおばあさん達が念仏を唱えながら、大きな数珠をまわす行事があるんだよ」

Fs_s1053m お借りした「ふるさとよもやま話」という本には地元の古老たちの興味深い話がいっぱい

そのなかに「刑部の観音堂と百万遍念仏」(「細江町の史跡を訪ねて」昭和54年2月号)があった

この念仏は年一回、刑部の聖観世音菩薩の例大祭の時に行われ、二十余人のおばあさんが車座になり、念仏を唱えながら長さ約6メートルもある大数珠をたぐってまわしていくという

車座の中央には唱和する念仏の数え役がいて、木製の道具で数を数えるのだそうだ

この行事は京都をはじめ、全国的にあちこちで行われているものらしいが、もっと調べてみれば近辺でも見つかるかも知れないと思う

村で悪病が発生したり、日照りが続いて農作物などに被害が生じたりすると、村の人が観音堂に集まって百万遍念仏を唱えたという

他の地域のこの「数珠まわし」を調べてみると、大体同じような由来(村の無病息災を祈る)を後世に伝えている

わたしたちの生まれた地域には、まだまだ知らない行事があり、それは細々と人知れず継承されていることに改めて驚かされる

自分のためだけでなく、共に生活している地域の仲間のために、一心に念仏を唱え、大きな数珠を隣から隣へとまわしていく光景を頭の中に浮かべてみるcloud

遠い昔…厳しい状況の中でも、いたわりの心でしっかりつながっていた人々の心に、少しだけ触れられた気がする

細江には驚くほどの数の史跡や神事、芸能があるらしい

…とすれば、この天竜川水系全体には一体どのくらい未知の世界が広がっていくのだろう

その道の膨大な広さに溜息すると共に、探検する楽しみが増してきた私でもあるnote

2008年3月10日 (月)

三遠南信文化考・謎を追う(その2)

なんだか難しい話…しかも長い話がしばらく続きますがこりずにおつきあい下さいね

今、私は自分の住んでいる地域に関するいろいろな本を読んでいます

長いこと生きているのに、すぐ近くにあるものについて、随分知らないことが沢山あることに驚かされる日々です

たとえば何度か訪れた神社の由来…なかには平安時代からなどという遠い昔からのものもあること、今や寂れた感のある場所にも栄華の時があったことなど

さて以前のコラムで天竜川水系が「世界遺産」の価値があるという話をしました

Matsuri3 前回に引き続き、I氏のコラムより、ある説を紹介しますので、皆さんも「一体どうしてこの地域にこんなに多彩な民俗芸能が生まれたのか」ご自分で考えてみてくださいgood

三遠南信になぜ民俗芸能が多いのだろう。花の舞,田楽,念仏踊りと,その数は日本の中で際立っているのです。 考えられる理由は次のもの。

①深い谷に集落があった。他所と隔絶していた。
②日本の割れ目,中央構造線は古事記の根の国に通じていた。氣の異常に強いところがある。
③お祭りが世襲制であった。
④心やさしい人たちが大事に守ってきた。

⑤三遠南信が地形的にすっぽりと繭のように覆われている。
⑥天竜川は神の通り道。諏訪信仰,秋葉信仰,鳳来寺信仰,豊川稲荷
⑦風,水の循環がほどよい。
⑧天竜川の水運,東山道,秋葉街道,三州街道などの古道が村々をつないでいた。

Matsuri30 祭りは昔の人たちの魂の形だとおもう。彼らが語りかけようとしたものが祭りの所作に表れている。
現代から古代までさかのぼるCGはTVでよく見かけるが、現代の技術でなく,民俗遺産にふれて個々に眠っている遺伝情報を呼び起こすことができたらどんなに素晴らしいことだろう。
ここは日本のミステリーラインともいうべき笠置・生駒・二上・葛城・金剛・高野・吉野・熊野のうちの二上にあたっていて、大津皇子伝承や中将姫伝説がのこっている。折口(歌人・国文学者・民俗学者である折口信夫氏)はこれらに取材し、古代の人の観念そのものとなっていく。
 物語は「めざめ」から始まる。太古の雫が「した した した」と垂れる塚穴の底の岩床でめざめたのは、死者である。この死者は射干玉(ぬばたま)の闇の中で徐(しず)かに記憶を呼び戻し、かつての耳面刀自(ミミモノトジ)に語りかける。
 死者の姉は伊勢の国にいる巫女だった。思い出せば、死者のおれは磯城の訳語田(おさだ)の家を出て、磐余(イワレ)に向かっていたようだ。そこには馬酔木が生えていて、そのとき鴨が鳴いたのまでは憶えている。姉がおれを呼んでいた。そこへ九人九柱の神人たちの声が聞こえてきた。どうやら藤原南家の郎女(いらつめ)の魂を呼んでいるらしい。
 物語の冒頭は、こうした幽明さだかならない時の境界をゆらめく記憶の断片が、あちらこちらに少しずつ湧き出して、まるで霧の谷の姿がうっすら見
えてくるように始まっていく。
中将姫が蓮糸で編んだという伝承のある曼陀羅だ。折口はこれを見つめ、これを読み、そこに死者の「おとづれ」を聞いたのである。そういう意味では、この作品は「古代の音の物語」でもあった。折口が耳を澄ました向こうから聞こえてくる者たちの物語なのである。
 「日本人総体の精神分析の一部に当たることをする様なことになるかも知れぬ」とも書いていた。これを綴ることが昔の人の夢を自分に見させてくれた供養になるのではないか
」と思ったそうである。
  折口がこの作品で語ろうとしたことは、日本人がもってきた知識や映像が次々に重なって焼き付けられたときに現れる「民俗」というものである。
 そこにはさまざまな儀式も関与すれば、信仰もかかわってくる。古代の人物の思惑や欲望にもかかわってくる。ひとつは山中他界の観念だった。これは山越阿弥陀や当麻曼陀羅に
つながっている。もうひとつは日想観である。夕陽が沈むところに浄土があるというものだ。これも浄土曼陀羅につながっていた。

なんだか幽玄の昔に引き戻されるような感覚を受けますね

私はまだそのひとつ「霜月祭り」しか体験していませんが、そこで土地の古老達に聞いた話は忘れることができません

語られない話もきっと沢山あったに違いない…守り続けていくということは、綺麗事だけでは済まされない大変なことも隠されているのでしょう

Matsuri29 でも彼らは、特に観光客に観られる意識はなく、長い間守っているものを淡々と…でもこぼれる笑顔を見せて、生き生きと舞っていました

「限界部落」と言われる厳しい環境に住みながら、それを守ろうとする近隣の学校の先生達のお囃子にあわせて踊る子供達の真剣な舞も忘れられません

何か私たちにできることはないか…それを考えながらこの世界を探検していきましょう

2008年3月 7日 (金)

三遠南信文化考・謎を追う(その1)

私よりずっと以前よりこの三遠南信地域に注目し、愛し、研究されている方がこの会には沢山sign01

その中のひとりI氏が以前書かれたコラムより抜粋したものを下記にご紹介します(多少編集をしています)

「何故、今三遠南信地域に注目するのか?」「何故芸能の宝庫と呼ばれる地域になったのか?」そのヒントflairになるはずですgood

【峠を越えて入る文化】

国は国境で囲まれ、分断されていると言えるが、国境を越境するものがある 。そのひとつは文化…峠を越えて文化は入ってくる。

シルクロードはフンジュラブ峠、カイバル峠など難関を越えていくし、アレクサンダーの遠征路も峠越えであった。壮大な峠越えによって文化はもたらされたと言える。

ミュンヘンからローマを歩いて、10里(40キロ)で風物が変わると気付く…それが郷土色。

Eyes0020_2 私たちの住む三遠南信地域と呼ばれるところはどうだろう。

秋葉さんまで10里、宿場町、53次、平均20キロにも満たないが、川越や峠越えに随分時間がかかった。三遠南信も峠を越えて文物がもたらされた。

塩の道、信仰の道、行商の道、芸能の道、分断したところを結ぶのが小道だ。

三遠南信は、一番分厚いところ、一番深いところ、中央構造線の通っているところ 、照葉樹林帯の東辺であり、そこには焼畑文化、谷の文化が生まれていった 。そんなに厚く、深く、厳しい自然の中でも、なお小道は通じている。

生活や産業は山と海との循環で成り立つ…天竜川の水運、風の通り道、南アルプスの水が、ここ三遠南信にはある。

【変わらない場所】

全国で五十ヵ所くらいしかない田楽が、三遠南信には十ヵ所以上もある。花祭りも加えれば、その数の多さはきわだっていると言えよう。

いくら祭り好きが多いからといっても、冬の季節に夜通しやるのだから、なまじっかのことではやっていられない。祭りが世襲されて代々受け継がれてきたこともあるだろう。

山深いから出口がなくて,そのまま残ったという場に特別な意味を持たせることも出来る。

諏訪湖を水口とする天竜川ならば、神の通い路といわれるのも意味あることだ 。日本の大きな割れ目、中央構造線が走るこの地域は、古事記の根の国に通じているのだろうか?

事実、分杭峠あたりでは氣が発生していて、連日人々が押し寄せる。ここにくると気持が安らいで、体にいいそうで、わたしも行ってみたが、肩こりは治らなかった。だからといって氣の磁場を否定するわけではない、たった数時間いただけだから…。

なにしろ三遠南信の森は弥生人の侵入を許さなかったくらいだから、谷の奥深くの集落は外部と隔絶されていて、独自の文化を守るのに都合が良かったといえないだろうか?

世界的に見て、古い習慣を大事にしているほうが圧倒的に多い。この半世紀、変わることばかり考えていた日本人も、そろそろ反省の時期にさしかかってきているように思う。

2008年3月 1日 (土)

濃密な時空を味わう(その2)

Tennryu0704_002_2 以下は2007年12月13日から14日の未明にかけて祭りに参加した際のレポートです(拙自HP内「上村霜月祭り」に掲載済みのもの)

天竜から春野を抜けて、水窪の街へ…学生時代ワンゲル部で山住神社から縦走して竜頭山へと向かったことがあり、その際の迷走ぶりとあわや遭難までに至った事件を思い出しました

こんな遠くの街まで今では同じ浜松市です

途中の長野との県境兵越峠には、有名な「峠の国盗り綱引き合戦」の場所もあり、紅葉の10月に行われた信州軍と遠州軍の戦いの名残の跡が残されていました

それは私にとってはじめての道

昔の人も通った道を辿りながら、私は期待に胸膨らませ南信濃の地に足を踏み入れました

細い細い急な山道を登っていくと急斜面に家々がへばりつくように建ち、畑も同様に急斜面に作られている

片側は深い谷、前面には南アルプスの見事な眺望…深い山に囲まれ点在する小さな家々は標高1000m以上のところにあり、まるでスイスの風景そのもので圧倒される

こんな厳しい自然の中で生活している人たちがいるという事実に改めて驚かされる

Tennryu0704_007_2 祭りが行われたのは、下栗拾伍社という小さな社…そこでは朝早くから村民によって神事が行われ、翌日の夜中3時くらいまで延々と様々な儀式や舞が行われる。途中かまどの周りにゴザがひかれ、氏子の人にお酒や料理が供される…神官や村人、老若男女、小さな子供たちが円座になってわきあいあいと過ごす様は微笑ましい

Tennryu0704_003_2 様々な面をつけての舞や迫力のある湯立て…こんな村も若い人が去り、長らく住んでいたひとも山を下りていき、限界部落の危機に瀕しているという


厳しい環境で力を合わせて生きてきたこの村…何故住み慣れた土地を離れていかねばならないのだろう?何故?何故?と問う私にもその理由はわかる…
この現実をどうしようもない。こんな素晴らしい景観、こんな素晴らしい祭り…なんとか残していきたいねと心から思う

あれから…もう3ケ月近くが経つのに、時折笛の音が頭の中で響くことがあります

神楽の意味もわからず、対面した「時空」の空気はとても温かいものでした…

Tennryu0704_008_4   祭りの他の画像はこちらのスライドショーをご覧くださいgood

濃密な時空を味わう(その1)

Tennryu0704_009_2 「祭りとは、ときを選んで、訪れた神と人々交渉する濃密な時空といえようか」

こんな一節を目にした時、胸がきゅんとなったのは何故でしょう?

それは、私がその時空と呼ばれた空気を、ほんの少しだけ味わったせいかも知れません

旧暦の霜月の冬…しかも山深い里の寒さは厳しい

でもその寒さのおかげで、空気が澄み、山々は美しい姿を見せてくれます

昨年の12月、私は南信濃の「霜月祭り」をはじめて観に出かけました

場所は、遠山郷上村の里のひとつ下栗の里・拾五社大明神…南アルプスを背に空に浮かぶように立った小さな社

山深い谷に日が射し込む時間が短くなり、あらゆる命の力が弱まり始める季節に、生命の母たる八百万の神々を迎えて、力の蘇りを願おうという祭りです

土地の氏神の社の土間に火を起こし、大きな釜を掛け、その真上に天井から神々君臨の座を象徴する様々な紙飾りのついた四角い木枠(湯の上、神座(かむくら))を吊り下げ、そこへ氏神を始めとする諸国の神々を呼び寄せ、神々の霊気の宿った〈湯〉によって禊ぎをするものです。人々は自然を畏れ、そのたくみな実りに感謝し、願いをかけてこの霜月祭りを受け継ぎ、生活を謡いあげてきたのです

神に湯を立ててささげ敬い、森羅万象、自然の精霊を祀り、神聖な湯を浴びることで魂の再生をはかるとともに万物を鎮めて新たな年を迎えるもの

この祭りは、人々の暮らしに深く根付いた祭りで、この神行事は、こうした信仰と暮らしに裏うちされ、重要無形民俗芸能として脈々と生き続けているものです

(以上は、「かみむらの霜月祭り」という上村教育委員会発行の小冊子より抜粋したものです。この小冊子は祭りの面の画像が網羅されており、上村各地区の祭りの様子が詳しく書かれていてお奨めです!)

Tennryu0704_006 私は、上村の4つの部落(上町、中郷、下栗、程野)のそれぞれの社で日を変えて順に行われていくこの祭りの内、日本のチロルと呼ばれる下栗の里を訪れました

その時の様子は次のコラムでgood