三遠南信文化考・謎を追う(その1)
私よりずっと以前よりこの三遠南信地域に注目し、愛し、研究されている方がこの会には沢山![]()
その中のひとりI氏が以前書かれたコラムより抜粋したものを下記にご紹介します(多少編集をしています)
「何故、今三遠南信地域に注目するのか?」「何故芸能の宝庫と呼ばれる地域になったのか?」そのヒント
になるはずです![]()
【峠を越えて入る文化】
国は国境で囲まれ、分断されていると言えるが、国境を越境するものがある 。そのひとつは文化…峠を越えて文化は入ってくる。
シルクロードはフンジュラブ峠、カイバル峠など難関を越えていくし、アレクサンダーの遠征路も峠越えであった。壮大な峠越えによって文化はもたらされたと言える。
ミュンヘンからローマを歩いて、10里(40キロ)で風物が変わると気付く…それが郷土色。
秋葉さんまで10里、宿場町、53次、平均20キロにも満たないが、川越や峠越えに随分時間がかかった。三遠南信も峠を越えて文物がもたらされた。
塩の道、信仰の道、行商の道、芸能の道、分断したところを結ぶのが小道だ。
三遠南信は、一番分厚いところ、一番深いところ、中央構造線の通っているところ 、照葉樹林帯の東辺であり、そこには焼畑文化、谷の文化が生まれていった 。そんなに厚く、深く、厳しい自然の中でも、なお小道は通じている。
生活や産業は山と海との循環で成り立つ…天竜川の水運、風の通り道、南アルプスの水が、ここ三遠南信にはある。
【変わらない場所】
全国で五十ヵ所くらいしかない田楽が、三遠南信には十ヵ所以上もある。花祭りも加えれば、その数の多さはきわだっていると言えよう。
いくら祭り好きが多いからといっても、冬の季節に夜通しやるのだから、なまじっかのことではやっていられない。祭りが世襲されて代々受け継がれてきたこともあるだろう。
山深いから出口がなくて,そのまま残ったという場に特別な意味を持たせることも出来る。
諏訪湖を水口とする天竜川ならば、神の通い路といわれるのも意味あることだ 。日本の大きな割れ目、中央構造線が走るこの地域は、古事記の根の国に通じているのだろうか?
事実、分杭峠あたりでは氣が発生していて、連日人々が押し寄せる。ここにくると気持が安らいで、体にいいそうで、わたしも行ってみたが、肩こりは治らなかった。だからといって氣の磁場を否定するわけではない、たった数時間いただけだから…。
なにしろ三遠南信の森は弥生人の侵入を許さなかったくらいだから、谷の奥深くの集落は外部と隔絶されていて、独自の文化を守るのに都合が良かったといえないだろうか?
世界的に見て、古い習慣を大事にしているほうが圧倒的に多い。この半世紀、変わることばかり考えていた日本人も、そろそろ反省の時期にさしかかってきているように思う。








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