三遠南信文化考・謎を追う(その2)
なんだか難しい話…しかも長い話がしばらく続きますがこりずにおつきあい下さいね
今、私は自分の住んでいる地域に関するいろいろな本を読んでいます
長いこと生きているのに、すぐ近くにあるものについて、随分知らないことが沢山あることに驚かされる日々です
たとえば何度か訪れた神社の由来…なかには平安時代からなどという遠い昔からのものもあること、今や寂れた感のある場所にも栄華の時があったことなど
さて以前のコラムで天竜川水系が「世界遺産」の価値があるという話をしました
前回に引き続き、I氏のコラムより、ある説を紹介しますので、皆さんも「一体どうしてこの地域にこんなに多彩な民俗芸能が生まれたのか」ご自分で考えてみてください![]()
三遠南信になぜ民俗芸能が多いのだろう。花の舞,田楽,念仏踊りと,その数は日本の中で際立っているのです。 考えられる理由は次のもの。
①深い谷に集落があった。他所と隔絶していた。
②日本の割れ目,中央構造線は古事記の根の国に通じていた。氣の異常に強いところがある。
③お祭りが世襲制であった。
④心やさしい人たちが大事に守ってきた。
⑤三遠南信が地形的にすっぽりと繭のように覆われている。
⑥天竜川は神の通り道。諏訪信仰,秋葉信仰,鳳来寺信仰,豊川稲荷
⑦風,水の循環がほどよい。
⑧天竜川の水運,東山道,秋葉街道,三州街道などの古道が村々をつないでいた。
祭りは昔の人たちの魂の形だとおもう。彼らが語りかけようとしたものが祭りの所作に表れている。
現代から古代までさかのぼるCGはTVでよく見かけるが、現代の技術でなく,民俗遺産にふれて個々に眠っている遺伝情報を呼び起こすことができたらどんなに素晴らしいことだろう。
ここは日本のミステリーラインともいうべき笠置・生駒・二上・葛城・金剛・高野・吉野・熊野のうちの二上にあたっていて、大津皇子伝承や中将姫伝説がのこっている。折口(歌人・国文学者・民俗学者である折口信夫氏)はこれらに取材し、古代の人の観念そのものとなっていく。
物語は「めざめ」から始まる。太古の雫が「した した した」と垂れる塚穴の底の岩床でめざめたのは、死者である。この死者は射干玉(ぬばたま)の闇の中で徐(しず)かに記憶を呼び戻し、かつての耳面刀自(ミミモノトジ)に語りかける。
死者の姉は伊勢の国にいる巫女だった。思い出せば、死者のおれは磯城の訳語田(おさだ)の家を出て、磐余(イワレ)に向かっていたようだ。そこには馬酔木が生えていて、そのとき鴨が鳴いたのまでは憶えている。姉がおれを呼んでいた。そこへ九人九柱の神人たちの声が聞こえてきた。どうやら藤原南家の郎女(いらつめ)の魂を呼んでいるらしい。
物語の冒頭は、こうした幽明さだかならない時の境界をゆらめく記憶の断片が、あちらこちらに少しずつ湧き出して、まるで霧の谷の姿がうっすら見えてくるように始まっていく。
中将姫が蓮糸で編んだという伝承のある曼陀羅だ。折口はこれを見つめ、これを読み、そこに死者の「おとづれ」を聞いたのである。そういう意味では、この作品は「古代の音の物語」でもあった。折口が耳を澄ました向こうから聞こえてくる者たちの物語なのである。
「日本人総体の精神分析の一部に当たることをする様なことになるかも知れぬ」とも書いていた。これを綴ることが昔の人の夢を自分に見させてくれた供養になるのではないか」と思ったそうである。
折口がこの作品で語ろうとしたことは、日本人がもってきた知識や映像が次々に重なって焼き付けられたときに現れる「民俗」というものである。
そこにはさまざまな儀式も関与すれば、信仰もかかわってくる。古代の人物の思惑や欲望にもかかわってくる。ひとつは山中他界の観念だった。これは山越阿弥陀や当麻曼陀羅につながっている。もうひとつは日想観である。夕陽が沈むところに浄土があるというものだ。これも浄土曼陀羅につながっていた。
なんだか幽玄の昔に引き戻されるような感覚を受けますね
私はまだそのひとつ「霜月祭り」しか体験していませんが、そこで土地の古老達に聞いた話は忘れることができません
語られない話もきっと沢山あったに違いない…守り続けていくということは、綺麗事だけでは済まされない大変なことも隠されているのでしょう
でも彼らは、特に観光客に観られる意識はなく、長い間守っているものを淡々と…でもこぼれる笑顔を見せて、生き生きと舞っていました
「限界部落」と言われる厳しい環境に住みながら、それを守ろうとする近隣の学校の先生達のお囃子にあわせて踊る子供達の真剣な舞も忘れられません
何か私たちにできることはないか…それを考えながらこの世界を探検していきましょう








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