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2008年7月

2008年7月25日 (金)

土用の丑

立春、立夏、立秋、立冬の前の18日間を土用といいます。特に立秋前の土用を指しています。土は物を変化させるものですが、土用の天候によって秋の収穫が左右される程、重要だとか、生活の変化に伴い健康に注意しなければならないと古くからいわれてきました。
土用の間に丑の日は2回ありますが、この日うなぎをたべると「夏バテしない」とか、「しじみを食べると滋養になる」「小豆を食べると夏病みしない」「薬草を入れて入浴した」「お灸をすえると効き目がある」といわれました。また「土」の日ということで土木工事や庭いじりは避けた方がよいといわれます。
(魅力ある山里の暮らし:今村純子)

2008年7月17日 (木)

守られる念仏踊り

Img_1213_2  7/15の夜、久しぶりに「遠州大念仏」を観ようと、上島町で行われた催しに出かけました。

会場に書かれた「おしょろさま」という言葉がわからず調べてみましたら、「おしょろさま」とは「御精霊様」と書かれるもので、お盆に帰ってくる先祖の霊を指し、元々は九州南部の言葉のようです。

関連してこんな言葉もありました。それは「御精霊雨」(おしょろあめ)…8月13日夕方から16日早朝にかけて降る雨をこう呼ぶのだそうです。

先祖の霊が物言わず流す涙雨なのでしょうか?帰ってきた自分の存在を知らそうというシグナルなのでしょうか?いずれにしてももの悲しい言葉ですね。

Img_1221 久々に目にした念仏踊りは、幼い頃の記憶とは違ったものでしたが、それは神聖なものへの恐れのような気持ちから自分なりのイメージを作り上げていたからかも知れません。画像は早出町の保存会の皆さんによるものです。こうした貴重な芸能が若い人も混じって、守り伝えられていくのはいいことだなと思いました。

古いものは意味がないと切り捨てていく風潮もありますが、古くから伝わる行事では、古の人の心を想う時間、忘れかけていた心を取り戻す時間を得られる気がします。

2008年7月16日 (水)

送り盆(送り火を焚く)

精霊送りは仏が帰るので、お供えした盆棚のものや盆花など一切をまとめて、昔は川に流したそうですが、今は川原で焼いたり、地域によっては、まとめて焼却するようです。
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(魅力ある山里の暮らし:今村純子)

2008年7月14日 (月)

人形の安住の地…飯田

以前天竜川水系の民俗芸能を紹介したことがありますが、その中で伊那地方の人形芝居のことにも触れました。その際の記事が下記になります。 

 人形芝居ー黒田人形(長野・飯田)、今田人形(長野・飯田)、早稲田人形(長野・下伊那郡)、古田人形(長野・上伊那郡)など。記録上、伝承上の人形座を含めると、伊那地方には30以上も存在したという、まさに伊那は人形芝居の里と言えます。

Poster2008 先日安曇野に住む知人から、地元の新聞記事が送られてきました。それは人形の町である飯田市に関するものでした。飯田市では毎年「いいだ人形劇フェスタ」を開催しており、今年はその30回目を記念して「世界人形劇フェスティバル」が開かれるという内容の記事でした。

8月2日~10日までの9日間、国内はもとより、海外からもプロ劇団やアマチュア劇団、学生劇団等が参加し、現代人形劇や伝統人形芝居など、幅広いジャンルの人形劇が一堂に会するというもの。飯田市内の約150会場で、プロアマ合わせて約260劇団が約500公演を予定しているそうです。

ここ飯田市の29ある小中学校の内、クラブ活動や総合学習で人形劇を扱うのは20校以上だと言いますから、人形劇が町の文化としてしっかりと根付いていることがよくわかります。

江戸時代から300年以上続く伊那谷の人形芝居の歴史に魅せられ、東京の人形美術家として活躍する川本喜八郎氏の美術館も近年開設されたとい言います。氏の作品は、NHK人形劇「三国志」で活躍したものですから皆さんにも馴染みの深いものだと思います。この「飯田市川本喜八郎人形美術館」には氏の作品200点余を収蔵しているとのことです。

また伝統ある糸操り人形の技術を戦後復活させた「竹田人形座」の竹田扇之助さんの作品も、同市の「竹田扇之助記念国際糸操り人形館」に収蔵されています。

まさに飯田市は人形の町なのだと感嘆の声をあげずにはいられません。

長く守られてきた人形劇の歴史には悲しい出来事もありました。国選択無形民俗文化財「黒田人形」が、今も演じられる1840年(天保11)建築の人形舞台。そこで人形芝居を演じることを禁じるお触れが出ている中で上演し、3日目に藩から処罰された人々がいたそうです。

今年のフェスタのテーマは「つながっていく」。人形の縁で結ばれた人々の輪が飯田の地で広がろうとしています。長い伝統を市一丸となって守り広げていく様はうらやましさも覚えますね。

 (2008年6月29日付 信濃毎日新聞 特集「列島 美術館のある風景」参考)

2008年7月12日 (土)

孟蘭盆会

盆と正月、昔はだれもが指折り数えて待った休暇でした。
正月は年のはじめに1年の無事と豊作を願う豊作祭の性格が強いのに対し、盆は先祖供養の祭りです。夏の収穫物である野菜、くだもの、麦類など供えて感謝します。
盆行事は「孟蘭盆経」という仏説が基になっていて、お釈迦様の弟子の1人日蓮が神通力で亡き父母の様子を見たら、母が生前犯した罪のため、餓鬼の世界に堕ちて苦しんでいました。
日蓮はお釈迦様に話したら、多くの弟子たちのきれいな心で供養すれば救われると教えたそうです。そこで弟子たちと7月15日に百味の飲食物を捧げて大法要を行ったところ、母を救うことが出来たのだそうです。
先祖だけでなく、無縁仏も供養するのはこうした死者の魂を救う行事だからだそうです。
(魅力ある山里の暮らし:今村純子)

2008年7月10日 (木)

迎え盆(迎え火を焚く)

13日の夕方は家族で迎え火を焚いて仏を家に迎えます。
盆棚づくりや盆花の用意は11日~13日までに済ませます。地域によってそれぞれ多少の違いがありますが、我が家の先祖をおまつりする大切な行事、時代が云々といわず、若い人達には親の役割として伝承したいものです。Cimg0898

(魅力ある山里の暮らし:今村純子)

2008年7月 7日 (月)

闇に浮かぶ念仏行列

念仏…と言えば、すぐ頭に浮かぶのは「遠州大念仏」でしょう。もうすぐお盆ですので、この念仏踊りがどこかしかで演じられる日が近づいてきました。

Photo_2   私の生まれ育った地域に「犀ヶ崖古戦場跡」という場所がありました。「犀ヶ崖」というのは、三方原合戦で奇襲を受けた武田軍などの、多くの戦死者を呑み込んだ場所なんだよと大人達から聞かされていた場所でした。そこには死者の霊魂が沢山漂っていて、うっかり近づくと引きこまれるよとの噂も子供達の中で広まったものです。

怖い者見たさもあって、私も学校の行き帰りに、その暗い谷のようになった崖を度々覗き込んでみたものです。草木が生い茂り、ただ暗いばかりで他には何も見えない分、怖さが増したような気がします。この「犀ヶ崖」では、毎年7月15日に、三方原合戦の死者の供養として、遠州大念仏が行われています。

その「遠州大念仏」が、ある時追分小学校の校庭にやってきたことがありました。はっきり覚えていませんが、夏祭りのイベントだったような気がします。辺りの灯りが一斉に消され、太鼓や笛やかねの音が聞こえる中、装束をまとった踊り手たちが静かに歩いてきます。そこだけスポットライトが当てられ、光で浮かび上がった踊り手の装束の白さが、子供心に幻想的に思え、そのもの悲しさを伴った音色と共に、忘れられない情景として、今でも心に残っています。

浜松市のサイトの説明によると「遠州大念仏」は下記のように説明されています。

  「遠州大念仏」は、遠州地方の郷土芸能のひとつで、初盆を迎えた家から依頼されますと、その家を訪れて庭先で大念仏を演じます。
 大念仏の団体は、必ずその家の手前で隊列を組み、統率責任者の頭先(かしらさき)の提灯を先頭にして、笛・太鼓・鉦(かね)の音に合わせて行進します。笛・太鼓・鉦(かね)・歌い手、そのほかもろもろの役を含めると30人を越す団体となります。
 大念仏の一行が初盆の庭先に入ると、太鼓を中心にして、その両側に双盤(そうばん)を置いて、音頭取りに合せて念仏やうたまくらを唱和します。そして、太鼓を勇ましく踊るようにして
打ち鳴らし、初盆の家の供養を行います。
 江戸時代のもっとも盛んな時には、約280の村々で大念仏が行われていました。
 現在、約70の組が遠州大念仏保存会に所属し活動しています。

一般的に「念仏踊り」とはどんなものなのか、少し調べてみました。

Img_1065_2 その始まりは、平安時代の空也上人や、鎌倉時代の一遍上人によるものとされています。もともとは、自ら念仏を唱えながら踊躍歓喜、欣求(こんぐ)浄土の形を示し、宗教的陶酔を求めようとするものでした。一遍上人の頃は、別に決まった振りなどない乱舞形式のものだったようですが、それが自然に洗練を経て現在の形になってきたのです。

先に書いたような、自ら助からんとするもの以外に、念仏踊りには別の形である「供養念仏」があります仏の年忌や盆などに、一団のものが家々を巡って御霊に念仏や和賛を手向け、供養としてまわるものです。そうした折りに、種々の芸能を手向ける風がおこったようです。有名なものに、岩手の「鬼けんばい」(鬼面をつけ念仏拍子で踊る)や「大念仏けんばい」(大笠が出、笠振りが冠り踊る)や「雛けんばい」(少年少女による輪踊り)があり、近辺では「遠州大念仏」の他、愛知県東加茂郡足助町の「綾渡の夜念仏」、愛知県北設楽郡田峰の「念仏踊」や浜松市滝沢町の「滝沢放歌踊り」などがあります。                                                        (以上 本田安次著「日本の伝統芸能」より一部抜粋)

「遠州大念仏」はこうした「供養念仏」のひとつと言えるのでしょう。大人になった今でも、私の中ではあの闇に浮かんだ念仏行列のイメージが褪せないままで、今だ理由のない畏怖感を覚える存在ですが、今年は久しぶりに懐かしい場所を訪れて、新鮮な目で念仏踊りを観賞してみたいと思っています。

皆さんも、もしそんな機会があったら、どんな感想を持たれたのかそっと教えてくださいね。

 

盆の入り

7月(8月)1日は「地獄の釜の蓋が開く日」といわれ、仏様達がお帰りになる道を作るため、墓の掃除をし、ダンゴを作って仏壇に供え、夕方は火を焚き始め提灯を飾ります。Cimg1371

(魅力ある山里の暮らし:今村純子)

2008年7月 6日 (日)

七夕祭り(7月7日)

朝早く、里芋の葉に溜まった朝露で墨をすって、短冊に願い事を書いて、シュロの葉を裂いたヒモで笹竹に吊るします。
縁台に赤飯と家で採れた、なすやきゅうり、しょうが等供えます。子供が丈夫に育つようにと浴衣も供えました。Cimg1370
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(魅力ある山里の暮らし:今村純子)