念仏…と言えば、すぐ頭に浮かぶのは「遠州大念仏」でしょう。もうすぐお盆ですので、この念仏踊りがどこかしかで演じられる日が近づいてきました。
私の生まれ育った地域に「犀ヶ崖古戦場跡」という場所がありました。「犀ヶ崖」というのは、三方原合戦で奇襲を受けた武田軍などの、多くの戦死者を呑み込んだ場所なんだよと大人達から聞かされていた場所でした。そこには死者の霊魂が沢山漂っていて、うっかり近づくと引きこまれるよとの噂も子供達の中で広まったものです。
怖い者見たさもあって、私も学校の行き帰りに、その暗い谷のようになった崖を度々覗き込んでみたものです。草木が生い茂り、ただ暗いばかりで他には何も見えない分、怖さが増したような気がします。この「犀ヶ崖」では、毎年7月15日に、三方原合戦の死者の供養として、遠州大念仏が行われています。
その「遠州大念仏」が、ある時追分小学校の校庭にやってきたことがありました。はっきり覚えていませんが、夏祭りのイベントだったような気がします。辺りの灯りが一斉に消され、太鼓や笛やかねの音が聞こえる中、装束をまとった踊り手たちが静かに歩いてきます。そこだけスポットライトが当てられ、光で浮かび上がった踊り手の装束の白さが、子供心に幻想的に思え、そのもの悲しさを伴った音色と共に、忘れられない情景として、今でも心に残っています。
浜松市のサイトの説明によると「遠州大念仏」は下記のように説明されています。
「遠州大念仏」は、遠州地方の郷土芸能のひとつで、初盆を迎えた家から依頼されますと、その家を訪れて庭先で大念仏を演じます。
大念仏の団体は、必ずその家の手前で隊列を組み、統率責任者の頭先(かしらさき)の提灯を先頭にして、笛・太鼓・鉦(かね)の音に合わせて行進します。笛・太鼓・鉦(かね)・歌い手、そのほかもろもろの役を含めると30人を越す団体となります。
大念仏の一行が初盆の庭先に入ると、太鼓を中心にして、その両側に双盤(そうばん)を置いて、音頭取りに合せて念仏やうたまくらを唱和します。そして、太鼓を勇ましく踊るようにして打ち鳴らし、初盆の家の供養を行います。
江戸時代のもっとも盛んな時には、約280の村々で大念仏が行われていました。
現在、約70の組が遠州大念仏保存会に所属し活動しています。
一般的に「念仏踊り」とはどんなものなのか、少し調べてみました。
その始まりは、平安時代の空也上人や、鎌倉時代の一遍上人によるものとされています。もともとは、自ら念仏を唱えながら踊躍歓喜、欣求(こんぐ)浄土の形を示し、宗教的陶酔を求めようとするものでした。一遍上人の頃は、別に決まった振りなどない乱舞形式のものだったようですが、それが自然に洗練を経て現在の形になってきたのです。
先に書いたような、自ら助からんとするもの以外に、念仏踊りには別の形である「供養念仏」があります。仏の年忌や盆などに、一団のものが家々を巡って御霊に念仏や和賛を手向け、供養としてまわるものです。そうした折りに、種々の芸能を手向ける風がおこったようです。有名なものに、岩手の「鬼けんばい」(鬼面をつけ念仏拍子で踊る)や「大念仏けんばい」(大笠が出、笠振りが冠り踊る)や「雛けんばい」(少年少女による輪踊り)があり、近辺では「遠州大念仏」の他、愛知県東加茂郡足助町の「綾渡の夜念仏」、愛知県北設楽郡田峰の「念仏踊」や浜松市滝沢町の「滝沢放歌踊り」などがあります。 (以上 本田安次著「日本の伝統芸能」より一部抜粋)
「遠州大念仏」はこうした「供養念仏」のひとつと言えるのでしょう。大人になった今でも、私の中ではあの闇に浮かんだ念仏行列のイメージが褪せないままで、今だ理由のない畏怖感を覚える存在ですが、今年は久しぶりに懐かしい場所を訪れて、新鮮な目で念仏踊りを観賞してみたいと思っています。
皆さんも、もしそんな機会があったら、どんな感想を持たれたのかそっと教えてくださいね。
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