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2008年9月

2008年9月29日 (月)

北遠・三河の芸能地めぐりⅠ・横尾歌舞伎

雨上がりの翌日の秋晴れの一日、9/27(土)北遠の民俗芸能ゆかりの地を巡ってきました。

これは、地元の静岡文化芸術大学の公開講座の番外編として企画されたフィールドワーク。天竜川水系の民俗芸能に詳しい須田教授の説明を受けながらの楽しい一日でした。

須田教授は、常々、天竜川水系が民俗芸能の宝庫ということから世界遺産に匹敵すると言われている方で、以前のコラムで紹介したことがある方です。

Yokoo8 先ずは引佐地区の横尾歌舞伎記念館の見学。ほんの少し足を伸ばしたところにあるのに、初めてその場所に足を踏み入れた私は、その歴史の深さに驚きました。

ここは、昔軽便と呼ばれた電車が走っていた頃、東四村(ひがしよむら)という駅があった地区だそうです。

横尾歌舞伎は、横尾地区の八桂神社、白岩地区にある六所神社の、二つの神社の祭礼の余興としておよそ200年ほど前に始まったものだそうです。この歌舞伎は、大阪から名古屋、新城を経て、旅役者によって伝えられたそうですが、地元の方は実際に歌舞伎の座の中に入り込み、修行を積んで、その技を習得したとも聞きました。

Yokoo9 記念館では地元の方から懇切丁寧な説明を受け、100点にも及ぶ衣装、200点にも及ぶかつら、道具類が大切に保管されている様も見学することができました。衣装の中には100年以上経っているものもあるということでした。

舞台は開明座と呼ばれ、修理を重ねてのものということですが、予想以上に立派な舞台で、大切に守られている様子が窺えました。

長い間継承され守られてきた裏側には、沢山の人々による苦労が隠されているのでしょう。かつて、横尾・白岩地区に生まれ育った青年は、若者組(歌舞伎の担い手のために作られた組)に所属し、舞台に立つことが半ば義務づけられていました。この義務を怠ると風呂焚きなどの制裁が加えられたそうです。

Yokoo10 現在は保存会の人々によって守られているこの横尾歌舞伎…来月にはその公演が次の通り予定されています。今年は小学校一年生による公演があるそうですので、是非その可愛い演技を観てみたいものですね。                                                       

                                                                                  

                           

                                              

                                                      

 平成20年度公演(10/11、12)

    午後6時~  於開明座(浜松市東四村農村コミュニティーセンター)

    浜松市北区引佐町横尾889番地の1    入場無料

    今年の演目予定はこちら

Yokoo7 最盛期には、横尾歌舞伎の開明座を含め、引佐町には18ケ所の舞台があり、その内10ケ所の舞台が現存し、開明座以外では歌舞伎の上演は行われていませんが、そのいくつかは住民の憩いの場として今でも利用されているようです。

開明座を後にした私たちは、次に、そのいくつかの舞台を目にするべく近郊の狩宿、谷沢地区を目指しました。その様子は次回紹介いたします。

2008年9月20日 (土)

お日待ち

地域の人々が集って、その土地を守ってくれる神様に感謝して収穫祭を行うため、のぼりを立てたり、灯籠に火をともして、村の人達が集って、ごちそうを食べ合うお祭です。
日待ちとは、日の出を待つという意味で、昔は朝まで歌い踊り、飲み明かしたそうです。
(魅力ある山里の暮らし:今村純子)

2008年9月17日 (水)

お月見 9月15日

旧暦八月朔日から15日目の満月の夜を十五夜といい縁側などにすすきの穂と萩の花を飾って、へそだんごと里芋や栗、さつまいも、小麦まんじゅう、旬の野菜を供えて、初物の収穫に感謝します。
(魅力ある山里の暮らし:今村純子)

2008年9月16日 (火)

森と川に生きた民具展

★天竜川の水運と民具

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天竜川は近世近代において、南北を結ぶ交通路として重要な役割を果たしていました。物資の輸送は川船により行われた。風をはらんで遡る帆掛け船は天竜川の風物詩であり、厳しい自然の中の生活詩であった。流域には多くの船大工がいて、差波船とよばれた川舟を造っていた。本展には船大工道具を展示している。
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天竜川流域の森林資源である材木は木曽川などと同様に杣人により、運搬の後に専業の筏師により、川下げされた。本展には筏師の使用した雨具としての蓑(みの)や鉈、鋸などを展示している。(おわり)
(INAKAX応援団 鹿島交流振興会 杉浦貞次郎)


2008年9月15日 (月)

森と川に生きた民具展

★林業と民具
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林業の仕事は育林、伐木、造林、運材である。杣(そま)、樵(きこり)、炭焼は山間村における重要な生業であった。杣人は山入りし、山小屋を作った伐木造林をした。造林には斧(おの)、鉈(なた)、鳶(とび)、鋸(のこぎり)等が使われた。木挽きは製材に従事し、大型の縦挽き鋸を使って板に挽いた。運材は木馬、地車、さ手、釣木、修羅、釣り出し(肩上げ)により行われた。
山落し(谷出し)された木は管流しされ、本流では筏により筏流しで流送された。本展には残されている山仕事の道具を展示している。山に生きた人々の暮らしが物語られている。(つづく)
(INAKAX応援団 鹿島交流振興会 杉浦貞次郎)

2008年9月14日 (日)

森と川に生きた民具展

★筏問屋田代家に伝わる古民具
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天竜は森と川の文化の地域である。木の文化としての民具、民芸は時代の変化と共に姿をけしている。
手作りの民具、道具には、それぞれが持つ風情、風格があり、先人の知恵と共に職人の匠と誇りとよろこびが伝わってきます。また自然の中の暮らしが語られている。
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これらの民具、民芸の文化は森と川のまちの生活の文化遺産として、伝承していきたいものである。(つづく)

(INAKAX応援団 鹿島交流振興会 杉浦貞次郎)

2008年9月13日 (土)

「民の暮らしクロスロード市」によせて

★間伐材の有効利用が日本を救う!!

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私は日本の山がこれほど荒れ果てていることを、全く知りませんでした。
「木を見て森を見ない」という成句がありますが、縁あって長野県の山に入ったとき、「森を見て木を見ていなかった」ことを痛感しました。遠目から見れば、みずみずしい緑をたたえているのに、一歩山に入ってみれば、痩せた土地に伸び放題のからまつ、放置されたままの雑木、雪などで起こる自然倒木、山鹿に食い散らされた幼木……。日本はこのまま壊れて朽ちてしまうのでは?と危機感をおぼえました。
東京に住んでいるから……というのは、単なるエクスキューズにしか過ぎません。
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山の手入れ方法を調べていくうちにわかったこと。それは間伐材の有効利用が日本を救うということです。林業関係者は、経済的体力がなくて現状から動けません。「誰かがやるんだろ」と思っていても、儲からなければ誰もやりません。個人の力だけでは太刀打ちできないのが日本の「山」なのです。
だが私はどうしてもやりたい。やってみたい。手入れして水や空気を美味しくしたい。皆さんの共感が力になります。そして未来の子供や孫に、確かな山を残していきませんか?
(INAKAX応援団 特定非営利活動法人 緑化推進環境改善協会 理事長 竹垣英信)


2008年9月10日 (水)

山と海を結んだ光の物語

★今につながる火灯り通信
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帰り際の尾根沿いにふと気になる???なんでこんなところに、つるつるの緑の石が???しかも2つも???。
ここらは空気に触れて風化するとボロボロに砕けやすい岩である。こんな緑色の固い1mもするような石などない。しかもこの滑らかさは、水に洗われた痕だ。

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よくよく見ると龍堂奉納、もう一つの石には竜堂奉納と書いてある。奉納者の名前や住所もあるようだ。おそらくは海か川の信仰と結びつきがあるのだろう。こんな重い石を高い山の上まで担ぎ上げた。それは山への信頼の感謝の証とも感じました。
古代に思いをよせる。危険な漁をする海の民。それを遠く見守り、火で情報を光通信した山の民。火がお互いの信頼をつないでいた。さらにこの地は、光を名に冠する山と神社がいくつもある。そこは今でも海の民の信仰の場でもある。おそらくは、海の安全を守るためにかがり火をたいて知らせた、光通信の場であり、やがて人が常駐し、神社となっていった。
今一度、古代から火で信頼を育んだこの地で、心と心の信頼のネットワークを結んでいきたい。そのために、火灯り通信復活のための研究団を組んで、一緒に、古代の火のつながりを復活させましょう。(おわり)
(INAKAX広報団 鈴木猛史)


2008年9月 9日 (火)

山と海を結んだ光の物語

★山と海を結んだ鏡岩
敷地のガケに一本の大木が生えている。何年か前、この木を分けてもらいにきた人がいたらしい。その人は御前崎の人であった!。海の人の信仰が深い山。そう、ここは海とのつながりがある山なのだ。
光明山から見える海。遠州灘、駿河湾はよい魚場だった。焼津などでは釣りにでなくても、魚がピチピチと陸に飛び出すこともあったらしい。
その一方で、潮の流れが速かった。危険な旅や漁をするには、自分の位置を常に確かめるために、海岸の大木を目印にしたり、遠くの山で判断したりした。
山には大木が生えていて、目印にしたという。また、その大木に松明をつけていたという。いつしか大木は信仰の対象になり、お寺になっていったのだろう。
光明山遺跡には奥の院がある。そこには屏風のごとく切り立った山を登らなければならない。焼けなかった奥の院は、今の光明寺に移築されたので、今は切り立った岩のわずかな空間となごりの石があるのみである。
その奥の院の上には、鏡岩があるという。僕は小さな石を想像していた。いやはや、それは巨大な岩であった。周りは木々に覆われているのにそこだけぽっかりと空間がある。岩と岩の間に空間がありそこから下を覗いてみると、真ん中がへこんでいるのであろうか。しかし、大きすぎていまいちよく見えない。話しによるとこの下でかがり火を焚いていたという。さらにこの岩をみがいていたという人が現存している事実!。
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かがり火は岩を照らし、輝いたことだろう。この鏡岩が光ると魚がとれないという伝説がある。鏡岩は東方を向いている。御前崎につながりがあるのも分かる。
おそらく山のほうが天候の変化が分かり、風向きが分かり、それを光で知らせていたのだろう。時には灯台のように船が迷わぬように光で誘導したのか。(つづく)
(INAKAX広報団 鈴木猛史)

2008年9月 8日 (月)

伝統を守り続けるすべ

庶民の中にずっと守られてきた芸能。

それが消えていかざるを得ない状況にあり、その速度は加速していくばかりです。

古くからの芸能が残されているのは、自然の中の里山が殆どで、その素晴らしい里山が過疎に悩んでいます。若い人がどんどん流出していく現実は、そこで生活する基盤がない以上どうしようもないことです。

守り、伝えていくべき後継者が居ない…日本中でこの状況をなんとかしなくてはと活動している人達も数多いとは思うのですが、この流れを止めることができるのだろうか?と不安になります。

新聞で、過疎の村の小学校で子供たちが伝統芸能に挑戦している様子が掲載されていました。この小学校も子供たちの数が減って廃校に追い込まれたら、この芸能を誰が守っていくのだろう?とその将来を憂う気持ちになりました。

Turiganeninjin 森の素晴らしさ、里山の素晴らしさ、自然と共生して暮らす日々の大切さ…わかっているのにふるさとを捨てなければならない人々の悲哀。古から暮らしに根付いて、心の支えにもなってきた芸能も、自然と消えていく危機の中にあります。

里山を元気にする、山を元気にする…明るい笑い声が飛び交う生き生きとした村に戻すことができないだろうか?

この会の活動の中でその方法を模索し、光を見出していけたらと思います。

2008年9月 7日 (日)

山と海を結んだ光の物語

★光明山遺跡
光明山の頂上からはやや北東北の平らな所にある。ほぼ南を向いているその敷地には、かってお寺が建っていた。今は火事で焼けて、跡地が残っている。その灰には金粉が入っていたという記述もあり、りっぱな建物があったのだろう。
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遺跡に立つと眼下は急なガケ。その先には低い山々がつづき、平野部がみえ、その先は太平洋がみえる。標高500mは、そんなに高い山ではないが、見晴らしはよい。
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遺跡は赤石の石垣が積まれている。はて?この近辺に赤石など産しているのだろうか。赤石山脈の端っこだから、あるにはある。でもこんなにたくさんの石は??。
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おそらくかなりの労力で集めて運んだことだろう。しかもよくみると隙間なくきれいに積まれている。近年、直されたと思われる部分に比べると分かるが、いい仕事をしている。重い石を遠方より担ぎ上げて積み上げた。それだけ信仰の厚かったお寺であった。(つづく)
(INAKAX広報団 鈴木猛史)

2008年9月 3日 (水)

山里が21世紀の地球を救う!?

★志向を満た田舎す山里の豊かな資源Photo

こうした地球や人体に必要なマイナスイオンは、滝、森林、田畑及び木造や土壁の住宅などに多く存在するのですが、これこそまさに田舎=里山なのです。つまり、我々の暮らす山里は「マイナスイオンの宝庫」であり、プラスイオンが多い都会でITやソフト開発といった知的生産に従事する人達に田舎志向が多い傾向にあるのは、DNAがマイナスイオンを求めているのかもしれません。換言すれば、知的な生産活動にはマイナスイオンが不可欠なのです。
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さて、20世紀の反省から21世紀は、「循環境型社会」が提唱されています。私達が暮らす山里は縄文時代から「循環境型のライフスタイル」(=エコ的でオガニックな生活)を培ってきました。こうした「民の知恵」は「IT社会の普及」と「時代のニーズ」から循環境を資源とする「新市場」を山里に創造するばかりでなく、マイナスイオンに育まれた山里は知的生産性も高く、「21世紀型のベンチャー」を創造する集積地にもなりえます。ひょっとしたら、山里の資源(エコ・オーガニック=民の知恵やマイナスイオン)の活用こそが「21世紀の地球を救う」なんて壮大なロマンを感じるのは私だけでしょうか・・・。
(おわり)
(INAKAX広報団 川島正光)

2008年9月 1日 (月)

山里が21世紀の地球を救う!?

★文明的経済発展の代償
Cimg001220世紀は、著しい科学の進歩と目覚しい産業の発展を遂げましたが、その代償として地球の自然回復力を損ないました。こうした環境破壊は、地球を「プラスイオン化」させ、「プラス:マイナス=1:1.2」だった地球のイオンバランスを僅か1世紀足らずで「1.2:1」と逆転させてしまったのです。
 こうした環境破壊の代表的な存在とも言えるプラスイオンは、排ガス・ダイオキシン・農薬・食品添加物・電磁波など環境を悪化させるものが起因して増えるもので、環境や人体を「酸化」させる作用があり、ガンやストレスやアレルギーの元凶で「万病の元」とも形容されています。
 対照的に関連商品のヒットや医療分野でも活用されているマイナスイオンは、酸化の防止・細胞の活性化・毒素の排出・体質の改善・鎮痛(癒し)・浄化・消臭・分解などの「還元」的な作用があり、様々な分野から脚光を浴びています。(つづく)
(INAKAX広報団 川島正光)