マスタープラン

団体組織

  • NPO法人
    (特定非営利活動法人)
    雲を耕す会

    (事務局)
    〒433-8105
    静岡県浜松市北区
    三方原町447-23
    TEL/FAX 
    053ー436-5221

« 2008年9月 | メイン | 2008年11月 »

2008年10月

2008年10月27日 (月)

北遠・三河の芸能地巡りⅣ・花祭の里・東栄町へ

少し間が空きましたが、「芸能地巡り」最後の報告になります。記憶の箱をぼちぼち彷徨いながらお伝えしていくことにしましょう。

水窪の西浦田楽堂を後に、愛知県北設楽郡東栄町に向かったのは午後3時を過ぎた頃。まだまだ日が高いはずなのに、四方を山に囲まれたこの界隈ではすでに夕刻の雰囲気です。この先、日差しは日増しに弱くなり、山に遮られた日差しが山里を照らす時間はぐっと短くなっていきます。この山あいの村々で、もっともその力が弱まる冬至の頃に、太陽のエネルギーを求めて行われる神事が多いのがうなづける気がしました。

Touei2 現在花祭が行われているのは12ケ所、内11ケ所がこの東栄町に残っているということです。私たちが向かったのは「花祭会館」。この地域も時代の流れで、祭を継続できなくなる部落が増えているようですが、東栄町では、この会館の存在により、立ち寄る人にその素晴らしさをアピールでき、それにより継続のために力を貸してくれる県外の団体や祭事を伝承してくれる他県の子供たちも沢山いるとのことでした。  

Touei1 小さな会館で首を長くして待っていてくれたのは、会館の館長さん。花祭りの長い歴史、祭事の決まりごとなど、熱弁を奮ってくれました。                                                                     

                                                                 

 

                                        

Touei4会館の中は、その概観からは計り知れないのですが、かなりの充実ぶりでした。舞台も設置され、面の数々、衣装の数々…どれも目を見張らずにはいられないものです。                                          

                                             

 

                                              

 

花祭(はなまつり)の由来やその名の意味については不明な点が多いそうですが、今のところ、南北朝時代から室町時代にかけてこの地に入植した開発領主が、村々の寄り合い方式で祭礼を行い、そこに熊野・伊勢系統の湯立てを中心とした神楽が入り込んだものと考えられているそうです。そこに更に、田遊び的なもの、修験道儀礼的なものなど、様々な要素を取り混ぜ、江戸時代には現在の形になったと言われています。                                    

Touei10

表情豊かな沢山の面を見ているだけで、この祭りがいかに魅力的であるのかを彷彿とさせました。 Touei14   

 

 

 

 

 

                                                      

「眠い、煙たい、寒い」と言われる厳しい条件の中で行われるこの祭、やはり実際に目にしなければと決意を新たに、もうすっかり暗くなった山道を私たちは浜松へと帰ってきました。                       

                                                    

Touei12 ほんのちょっと足を伸ばした場所に眠っている祭の数々、皆さんも、ご自身の足で、目で、その世界を是非体験しに行ってみてください。  

Touei11

亥の子節句

旧暦10月の亥の日、亥の刻に餅を食べ、無病のまじないをします。亥の子の神は田の神と信じて、収穫を祝い農機具に感謝する日でもあります。大きなぼた餅を一升桝の中に入れて神様に供え、この餅を食べると、万病を除くと言われました。
亥の子が年に2回ある時は一升桝に2個、3回のときは3個入れるとも聞いています。
(魅力ある山里の暮らし:今村純子)

2008年10月21日 (火)

神送り

出雲へ旅立つ神様を送る行事で、お弁当として赤飯を炊いて、わら苞に詰めて神前に供えます。赤飯をわら苞に入れて大黒柱にしばる所や、重箱にぼた餅を入れて新しい風呂敷に包んで供えるところ、また旅費としてお金を添える所もあるようです。102251711

(魅力ある山里の暮らし:今村純子)

2008年10月 9日 (木)

いも節句

Photo
10月9日は里芋を皮つきのまま蒸して、皮をむいて串にさし、焼きみそだれをつけて食べます。
(魅力ある山里の暮らし:今村純子)

田の神送り

10月1日は田の神が山へ帰る日といって1年間の恵みに感謝して、ぼた餅をつくって神棚に供えたり、近所にくばったりしたところもあったそうです。Botamoti021

(魅力ある山里の暮らし:今村純子)

2008年10月 6日 (月)

北遠・三河の芸能地巡りⅢ・西浦田楽

引佐から水窪に向かった私たちは、途中の佐久間ダムで昼食をとり、次の目的地の西浦観音堂を目指しました。

降り立つ場所、場所でその歴史に触れ、長い時間を過ごしたために、その行程は予定の時刻からかなり遅れて進んでいました。

Nishiura1 観音堂で首を長くして待っていてくれたのは、能衆(のうしゅう)の一人の方。

「能衆」とは、この西浦田楽の大きな特徴の世襲制となっている演者のこと。翁川沿いの七集落の中の十七軒の家の者が、この「能衆」となっており、代々厳格な役割分担を担い、この伝統を守っているとのことでした。

この西浦田楽は、伝説によると、養老七年(779年)に行基がこの地を訪れ、観音像と仮面を奉納したのが創始といわれ、その年に現在の別当家(祭主)の先祖にあたる者が祭礼を始めたのだそうです。

現在は「西浦田楽」という名称が通っていますが、これは近年のもので、現地では単に「お祭り」とか「木の根祭り」とも呼ばれていたようで、その内容も、単に狭義の田楽にとどまらず、田遊び・猿楽能を中心として神楽風の「演目」も含んでおり、「おこない」の芸能というべきもののようです。このため、西浦田楽は、中世芸能のデパートとも言え、貴重な文化遺産なのだそうです。舞には「地能」と「はね能」の二種があり、それらは民間らしく野趣に富むものになっています。

Nishiura2 観音堂は車道から小高い丘へと続く坂を登っていった静かな山間にありました。汗を拭き吹き、枝の杖をつきながら着いた場所は、見晴らしがよく、爽やかな風が吹き抜けていました。能衆の方から貴重なお話を聞き、その中で、バスを運転してくださっている方も能衆のひとりであることがわかりました。こうして、いくつかの能衆の家の方が、他の土地に働く場所を求めて去っていき、その歴史が途絶えていく現実も感じることができました。

祭礼は旧暦一月十八日に行われるそうです。内容も想像以上に豊富なものなのだとわかり、大変魅力を感じましたので、是非当日にこの場所で味わってみたいと思います。

Nishiura3  

帰り道、坂道をしんどそうに登ってくる地元のおばあちゃんお二人に出会いました。「いい所ですね。」と声をかけると、「たまに来る人にはいいところかも知れないけどね…。」との返事。この先も守っていきたい自然や芸能、その裏には厳しい生活環境の中にいる人がいるのだと思うと、少し胸が痛くなりました。

そんな思いを頭の片隅に残しながら、私たちは、いつしか弱い光を放つようになった西の空に位置する太陽に向かって進むかのように、三河の東栄町を目指しました。この様子は次回お伝えします。

2008年10月 1日 (水)

北遠・三河の芸能地巡りⅡ・名残の農村舞台

横尾歌舞伎会館を後にした私たちは、かつて引佐地区に18ケ所もあり、その内現存する10ケ所の農村舞台の中の、いくつかの名残の場所を目指してバスを走らせました。

先ずは谷沢地区。のどかな田園地帯の一角にその舞台はありました。

神社の脇にポツンと建っていたバス亭を見ると、そこには一日たった一往復のバスの時刻表が記されており、なにか不思議に印象に残っています。

Butai4_2 神社を含む境内全体がビニールの屋根で覆われ、大切に守られているのだなと感じました。

舞台は歴史を感じさせるたたずまいで、閉ざされた木戸のために中に入ることは叶いませんでしたが、隙間から中の様子を窺い知ることはできました。 

Butai1_2 この舞台で歌舞伎が演じられることはもうありませんが、時折住民の演芸などを催す憩いの場所として愛されているとのことでした。                                         

                                                               

                                                          

次に向かったのは狩宿(かりしゅく)地区。

Butai6_2 ここの舞台は回り舞台も有するもので、建物自体もしっかりとしたつくりでした。ここも木戸によって中をしっかり見ることはできませんでしたが、木戸の割れた隙間から、ぼんやりとではありましたが、中の様子を感じることはできました。         

                                            

                                           

Butai5_2 舞台の前の広場から石段を登ると、趣のある六所神社があり、上の方から村全体を見守っているような気がしました。

静寂を破るようにバスで乗り付けた私たちを、腰の曲がったおばあちゃんが、いぶかしげに何度も何度も振り返って見つめていた様子が印象に残っています。

折しも、辺りは真っ赤な彼岸花が咲き乱れていました。緑の山々と田園地帯の風景に見事にマッチして、それは心癒される風景でした。                                                                

                                         

                                   

そこから、私たちは西黒田地区の舞台を車中から眺めながら、次の目的地の西浦に向かいました。その様子は次回お伝えします。 

Butai7_2  

Higannbana2_4