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2008年10月 6日 (月)

北遠・三河の芸能地巡りⅢ・西浦田楽

引佐から水窪に向かった私たちは、途中の佐久間ダムで昼食をとり、次の目的地の西浦観音堂を目指しました。

降り立つ場所、場所でその歴史に触れ、長い時間を過ごしたために、その行程は予定の時刻からかなり遅れて進んでいました。

Nishiura1 観音堂で首を長くして待っていてくれたのは、能衆(のうしゅう)の一人の方。

「能衆」とは、この西浦田楽の大きな特徴の世襲制となっている演者のこと。翁川沿いの七集落の中の十七軒の家の者が、この「能衆」となっており、代々厳格な役割分担を担い、この伝統を守っているとのことでした。

この西浦田楽は、伝説によると、養老七年(779年)に行基がこの地を訪れ、観音像と仮面を奉納したのが創始といわれ、その年に現在の別当家(祭主)の先祖にあたる者が祭礼を始めたのだそうです。

現在は「西浦田楽」という名称が通っていますが、これは近年のもので、現地では単に「お祭り」とか「木の根祭り」とも呼ばれていたようで、その内容も、単に狭義の田楽にとどまらず、田遊び・猿楽能を中心として神楽風の「演目」も含んでおり、「おこない」の芸能というべきもののようです。このため、西浦田楽は、中世芸能のデパートとも言え、貴重な文化遺産なのだそうです。舞には「地能」と「はね能」の二種があり、それらは民間らしく野趣に富むものになっています。

Nishiura2 観音堂は車道から小高い丘へと続く坂を登っていった静かな山間にありました。汗を拭き吹き、枝の杖をつきながら着いた場所は、見晴らしがよく、爽やかな風が吹き抜けていました。能衆の方から貴重なお話を聞き、その中で、バスを運転してくださっている方も能衆のひとりであることがわかりました。こうして、いくつかの能衆の家の方が、他の土地に働く場所を求めて去っていき、その歴史が途絶えていく現実も感じることができました。

祭礼は旧暦一月十八日に行われるそうです。内容も想像以上に豊富なものなのだとわかり、大変魅力を感じましたので、是非当日にこの場所で味わってみたいと思います。

Nishiura3  

帰り道、坂道をしんどそうに登ってくる地元のおばあちゃんお二人に出会いました。「いい所ですね。」と声をかけると、「たまに来る人にはいいところかも知れないけどね…。」との返事。この先も守っていきたい自然や芸能、その裏には厳しい生活環境の中にいる人がいるのだと思うと、少し胸が痛くなりました。

そんな思いを頭の片隅に残しながら、私たちは、いつしか弱い光を放つようになった西の空に位置する太陽に向かって進むかのように、三河の東栄町を目指しました。この様子は次回お伝えします。

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