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2008年11月

2008年11月28日 (金)

神沢「おくない」田楽 30年ぶりの復活

浜松近辺の田楽系の民俗芸能としては、川名のひよんどり、寺野のひよんどり、懐山のおくないなどが有名ですが、その他に天竜区熊の南西部に位置する神沢地区、万福寺阿弥陀堂の「神沢おくない」があります。

この「神沢おくない」は、残念ながら昭和30年後半に途絶えてしまいました。その貴重な芸能を絶やさないように、昭和50年熊中郷土研究クラブが地元の古老の指導を受け、「神沢田楽」として活動を始めたのだそうです。

「ふるさとを愛し、大切にする」教育の一環として全校として取り組み、上級生が下級生に教え、伝える方式で受け継いできており、それは人口減少によって近辺4中学が合併し清竜中学校になっても今に至るまで延々と続けられているとのことです。

全校で取り組み、途切れることなく、継承活動をしているというのは本当に素晴らしいことですね。

神沢地区出身の石野重利さんは、この活動に自ら面を打って寄贈し、過去の資料を調べ「手引書」を作成、また中学校にも赴き、生徒への指導をされています。

石野さんは、学校頼みだけでの伝承活動ではいつか限界が来ると感じ、危機感を持って地域の人に取り組んでもらえるよう自主的に保存、伝承活動を始めたそうです。

ふとしたきっかけで、この石野さんと知り合い、昨日直接お話を聞いてきました。

膨大な資料をひとりで調べ作り上げ、手引書も、手書きで丁寧に、踊りのしぐさひとつひとつまで詳細に描かれており、その並々ならぬ熱意を強く感じました。

この「神沢おくない」が来年1月5日、30年ぶりの復活を果たします。

現在では「西神沢老人憩いの家」となっている、万福寺阿弥陀堂内において、中学生による田楽の舞が披露されます。記念すべきこの日には、この記録を残すべく、文化庁からも撮影に来るそうです。

石野氏は、今回の復活が「神沢おくない」の再生につながるきっかけになってくれればとおっしゃっていました。

阿弥陀堂は、寺野の三日堂(宝蔵寺観音堂)、渋川の四日堂(万福寺薬師堂)に対して五日堂を呼ばれていました。確かな文書が残っていず、その発生は定かではありませんが、少なくとも300年近くは続いていたと考えられ、もしかしたら500年以上の歴史かもしれないとのことです。

山深い里での一日限りの復活…山に響く久々の舞の調べは私たちに深い感慨をもたらしてくれそうですね。

(神沢おくないの資料の写しは、石野さんの了解のもと、私の手元にありますので、ご覧になりたい方はお申し出ください)

2008年11月26日 (水)

恵比寿講

新暦では10月19日、20日と、月遅れの 11月19日、20日は、八百万(やおよろず)の神達が男女の縁組み相談に出雲へ行くのでその留守を守るのが、恵比寿様や大黒様、荒神様で、恵比寿様祀り、もてなして商売繁盛五穀豊穣を感謝する行事です。
「おいべっさん」といって、葉付大根(二股大根を使う家もある)とにんじん、赤飯と御頭付きの生魚(メダカやフナ)を水鉢に入れて供えます。この時、荒神様や大黒様にも供えます。
(魅力ある山里の暮らし:今村純子)

山の講

11月7日は、山の神様をお祭りします。お神酒とぼた餅をお供えして山仕事の無事をお願いします。この日は山仕事を休みます。
(魅力ある山里の暮らし:今村純子)

2008年11月10日 (月)

道の文化

恵まれた気候と交通の便のよさ、しかも主要都市の東京、大阪、京都、名古屋へのアクセスもたやすいこの静岡県。

恵まれているからこそ、その素晴らしい環境に気づくことが少ないのかも知れません。ハングリー精神に欠ける、歴史上の大物が少ない、特色がない…等々自県のイメージをそんな風に持つ方も多いのではないでしょうか?

古くは江戸と京都をつなぎ、今でも重要な道である東海道を有しているわが県。そこは多彩な人々の行きかう道でした。参勤交代の諸国大名や武士たち、旅の公家たち、高僧や修験者たち、お伊勢参りに向かう民衆たち、飛脚、商人たち、そこには朝鮮通信使などの異国の人々もいたでしょう。東海道は、黙っていても遠くの都の情報や異国の文化に触れることができた情報ブロードバンドといえるかも知れません。

人の往来は宿場町を生み、そこに様々な職業の人々が集まってきます。もたらされた文化や学問は地域に浸透し、独自の文化を育てていったことでしょう。

こんなことから東海道のもたらした文化を「回廊文化」とも言うそうです。

東西を貫く道の他に、川沿いの道、海沿いの道が陸の道です。他には海の道、川の道、信仰の道、芸能の道、塩の道があります。

恵まれた地域のために道が整備され、その道によって、東西の情報は北へ南へ伝わっていいったことでしょう。

Matsunamiki 東海道の街路樹として見慣れた松並木や、そこに立てられた標識は、約400年前に整備されたものであり、当時としては世界的も稀な事業だったのです。

天竜川水系の文化も、多くは、この東西の道から川の道、川沿いの道、信仰の道、塩の道へ、あるいはその逆の道筋で伝えられ形成されていったと考えられます。 

そこには今では忘れられてしまった道も沢山あります。そんな歴史の詰まった魅力的な道をすこしずつでも探っていきたいものです。