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2009年11月

2009年11月14日 (土)

少年に返る道  その2

 3_3                  子供の頃の笑ったり泣いたり怒ったりした記憶は,ズック靴で歩いて行った場所のどこかに隠されている。 
 冒険は歩いて行った先にあった。こわい,どうしよう,引き返そうか。迷いながらも恐いもの見たさで仲間と一緒に付いて行く。弱虫と言われるのがいやだったし,みんなと一緒なら恐くないという群集心理も働いて,冒険へと歩を進める。
 森,鉄橋,谷。遠く離れた異界こそ,冒険心を満たすものはない。知らない場所に分け入って,新たな世界が広がっているのを知ったとき,今までの自分から脱皮したような気がした。
               *
 歩くことはいたわりなのだ。ご足労かけてと言うではないか。はるばる訪ねて行くからこそ,会えば嬉しくもなるし,感激もする。かわいそうなお話は,遠くまで足を引きずりながら歩いて行く場面が必ずあった。『母を訪ねて3千里』など読まない前からほとんど涙していた。そんなにも会いたいのかマルコ少年、ぼくがついてる、がんばれと何度叫んだことか。
 歩くことは大変だ。たとえいばらの道でも歩いていかなければならない。日暮れて道遠し,まあ地道にぼちぼち歩いていきまひょ。割に合わない不器用な生き方こそ歩きの本道といえる。
 順風満帆なときは、追手に帆懸けてシュラシュシュシュだ。願いが叶ったときは、空飛ぶ思い。うまくいっているときは道など歩いていない。
 中学校で習った英語の教科書には,ジャックのお父さんは車で通勤していた。それだけでアメリカという国は,とても豊かな国に思えた。歩かない豊かな生活は夢のまた夢だった。だからリヤカーでも乳母車でも、車のついているものなら何でもいいから乗せてもらいたかった。荷車に乗せてもらったときは、ちょっぴり偉くなったような気がした。
     

2009年11月12日 (木)

少年に返る道  その1

                                                                                                                                                  今でこそウォーキングなどとことさらに言うが,昔は毎日がウォーキングだった。お使いは子供にとって大事な役割だったから,毎日のようにお店やさんに行かされた。豆腐や,魚屋,八百屋,主に食べ物やが多かった。豆腐は鍋をさげて行った。お使いはそんなに遠くまで行ったわけではなく,せいぜい300メートルの範囲内だった。鳥の餌とか提灯などよほどのものでなければ、自転車で買い物に行かなかった。
                                                                                                                                                       

015 お使いのみならず,日常的なことは歩かニャア事が運ばなかった。出迎えも見送りも,拾ってきた猫を捨てに行くのも歩いていった。野良へお昼を届けたり,馬の世話をしたり,今よりずっと歩くことが多かった。山の子は学校に行くだけでも大変だった。
 遠足はもちろん歩き。お宮参りや七五三のお参りも,野辺の送りも役場に行くのもすべて歩きだ。恋文を渡すのも歩いた時代の出来事だった。子供の日々は,歩くか走るか登るか逃げるかのどれかだった。失敗は転ぶか落っこちるか捕まるかのどれかだった。
 子供の頃の遠い知らない世界は,今考えてみるとわずか2キロ先かそこらだ。いつだったか遠くの友達のところへ遊びに行ったときのこと,夢中になってカン蹴りをしているうちに,辺りが暗くなってきた。遊び仲間は「かえるが鳴くからかーえろ」とクモの子を散らすように帰っていった。ひとり残されたぼくは,誰もいなくなったことに気付き,「あの街この街日が暮れた 今来たこの道帰りゃんせ」と,とぼとぼ家路についた。行くときは意気揚々と出掛けたのに,帰り道はこんな遠くまで来なければよかったと後悔した。そんなときだ、風がすうすう通り過ぎるのを感じるのは。