エコロジーを最初に唱えたひと、南方熊楠
南方熊楠(みなかたくまぐす)は日本で最初にエコロジーという言葉を使った。
1867年、和歌山市の金物屋に生まれる。18867年、大学などの学歴を意味なしとして 渡米した。
1891 25歳のとき、曲馬団に入り、キューバ、ジャマイカ、ベネズエラを巡歴した。奇人としかいいようがないが、知の巨人といわれる出発点となった。
1892 渡英。8年間に大英博物館でノートを作る。科学雑誌ネーチャーに投稿して世に知られるようになる。大乗仏教と科学という対立した概念を、「南方曼荼羅」の独創的なモデルへと変換していく。
異質な者の間の対立と、それらの間に新しい結びつきを創り出すための強烈な意志と執念に人間的スケールの大きさを感じる。概念と内念の融和によって創造性は高まった。
「南方曼荼羅」は、漂泊の経験から東洋の智と西洋の知とを自己の中で格闘させて、構築されていった。それまでの知の集積を、自己の内部で発酵させたといってよい。
帰国後 田辺 那智で山野を跋扈 粘菌学に没頭。南方は森と深くかかわるようになる。
熊野古道
1888年、市町村制が公布された。
町村合併により、一つの村に2つ以上の産土社をもつ事態となった。国はどちらか一つにせよと指令を出した。その結果和歌山県は、87%の神社が消滅する憂き目にあった。神社を国の都合でつぶすとは何事か、南方は怒った。
1909年、神社合祀反対運動を起こす。鎮守の森を守れ。神社は日本人の魂であるとして、8項目の反対理由を掲げた。
①敬神の念を減殺する
②人民の融和を妨げる
③地方を衰微させる
④庶民の慰安を奪い、人情を薄くし、風俗を乱す
⑤愛郷心を損す
⑥土地の治安と利益に大害
⑦勝景史跡と古伝を隠滅す
⑧環境の全体保全によって、それぞれ固有の植生が保たれる。
彼のエコロジーの思想にもとずく日本最初の環境保全運動である。研究分野の、粘菌に沿って、説得性を増していった。粘菌は高層、中層、低層の植物が重なり合った一番下の湿地に生息する。多様な植物の相互補完と循環の構造を、エコロジーの第一義においた。
樹木は神の依り代 高い木から神々は降りてくる。草木に神宿る。アニミズムの進行に基づくタブーが、数千年、数百年の間、神域の生態系を守ってきた。
雑木林は保水が抜群である。田に水を供給する。水源に鎮守を築き、樹木を植え、タブーによって守ることを通して、水を豊かに保ってきた。
地球の自然生態系の全体的保全と、侵害されたときに、結果として、地域住民の生活が脅かされることの総体としてとらえた。神社の樹木が取り払われると、田畑の害虫駆除に役立つ鳥が来なくなる。海辺の神社の森は魚着き林である。
神社が遠くに行ってしまうと、住民の信仰心は薄れる。天然の風景が破壊されると、どのように教育に悪影響が及ぶか。
わが国の天然風景は、わが国の曼荼羅ならん。景色を眺めて、何となく至道をぼんやりと感じ得(真如)る。
地域住民の強固な意志がなければ、外からの応援や圧力によって、自然を守ることができない。
地球的規模での普遍的な問題である。地球は一つであることを足下で捉える。
雲を耕す会の掲げた目標と通じる。南方によって励まされた気がする。
1941年没。 今、熊野古道は世界遺産にもなって、大変なブームを巻き起こしている。もし南方熊楠がいなかったら、熊野古道は存在していたかどうか。もって瞑すべきである。









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