マスタープラン

団体組織

  • NPO法人
    (特定非営利活動法人)
    雲を耕す会

    (事務局)
    〒433-8105
    静岡県浜松市北区
    三方原町447-23
    TEL/FAX 
    053ー436-5221

« 2010年7月 | メイン | 2010年11月 »

2010年8月

2010年8月31日 (火)

早太郎の駆けた道 (下)

光前寺の和尚は、六部を先に帰させて、早太郎ひとり遠州に向かわせた。早太郎は狼の血を引く山犬であったから、山を駈けるくらいお手の物だった。
付では早太郎のことを悉平(しっぺい)太郎という。しっぺいは疾風に通じる。それほどに速いのだ。一説によると、空を飛ぶように走り抜けたとあるから、分杭峠、地蔵峠、青崩峠などわけもなかっただろう。常光寺山、竜頭山、秋葉山の尾根伝いに行ったかもしれない。駒ヶ根と見付まで直線距離で120㎞、信州と遠州を結ぶ秋葉街道を夜っぴいて駈けていけば、翌日には到着できたにちがいない。                         
                  

Img263_2 光前寺の早太郎

 早太郎とよく似た話が、全国で80カ所もあるという。場所が丹波だったり、甲斐だったりする。最期も天竜市の観音山であったり、青崩峠だったり、また光前寺に戻って、和尚さんに抱きかかえられながら息を引き取ったりという3通りの説がある。諸説はあるものの、光前寺に残された寺伝がもっともしっかりした構成になっていて、信憑性がある。もっとも寺の秘伝薬「健中丸」と結びつけてコマーシャルキャラクターになったという説もある。
 いずれにしてもこの伝説は秋葉信仰と結びつけて広がったのであろう。あの火祭りの荒々しい火渡りの行を見れば、六部は秋葉山の修験者のように思える。
 今年も9月、見付天神では、勇壮な裸祭りが、月の沈む暗闇の中で行われる。ご神体が御輿に担がれてしずしずと境内へ運ばれるあいだ、町中の灯りが消され、早太郎伝説さながらに、厳かな雰囲気が漂う。
 見付神社と光前寺には、どちらにも早太郎の像が祀られ、磐田、駒ヶ根の両市は、早太郎の取り持つ縁で友好関係を結んでいる。早太郎は光前寺に今も眠る。

 

2010年8月11日 (水)

早太郎の駆けた道 (上)

 Photo_5 昔、いつの頃ころからか旧暦8月10日の天神社の祭り近くになると、見付の里(磐田)で娘のある家の棟に白羽の矢が立つようになった。人身御供として娘を差し出すという泣き祭りであった。
 旅の六部(諸国を巡る修行僧)がその話を聞きつけて、人身御供の夜、物陰から様子をうかがっていると、娘を入れた柩の前に怪物が現れた。怪物は小躍りしながら「信州信濃の早太郎に知らせるな」と叫んだ。
 さて早太郎とは何者ぞと、六部は信州へ旅立つ。探し当てたのは人ではなく、赤穂村(駒ヶ根)の光前寺に飼われていた犬だった。
 翌年の人身御供の夜、柩の中に隠れていた早太郎は、怪物が現れるや飛びかかって、傷つきながらもついに怪物を倒した。怪物の正体は年老いたヒヒであった。
 深手を負った早太郎は、痛む足を引きずりながら信濃の見える峠までたどり着いたが、力つきてそこで息を引き取った。
                  *
 この話は伝説ながら、早太郎が死んだのは延亨元年(1308)と記されている。まるで史実に基づいているみたいだ。しかも、早太郎の霊に報いるために、天神社の社僧が写経して納めたという大般若経600巻が、光前寺に現存しているという。施入が正和5年(1316)とある。
 伝説はそのまま心に残しておけばいいのだが、妙に年号がはっきりしているのが気に掛かる。村の娘を救った早太郎が、死んでしまったなんてかわいそうじゃあないか。どうして、どうしてと物語が後を引く。もっとくわしく知りたい。信州を訪れることにした。
 なぜ怪物は遠い信州の早太郎を恐れていたのか。
 怪物は元々信濃に住んでいたのだが、村を襲ったとき、早太郎に追い立てられ、命からがら遠州に逃げたのだという。
 六部が早太郎を見つけたのは、祭りも間近にせまっていたから、一刻の猶予もなかったはずだ。