早太郎の駆けた道 (上)
昔、いつの頃ころからか旧暦8月10日の天神社の祭り近くになると、見付の里(磐田)で娘のある家の棟に白羽の矢が立つようになった。人身御供として娘を差し出すという泣き祭りであった。
旅の六部(諸国を巡る修行僧)がその話を聞きつけて、人身御供の夜、物陰から様子をうかがっていると、娘を入れた柩の前に怪物が現れた。怪物は小躍りしながら「信州信濃の早太郎に知らせるな」と叫んだ。
さて早太郎とは何者ぞと、六部は信州へ旅立つ。探し当てたのは人ではなく、赤穂村(駒ヶ根)の光前寺に飼われていた犬だった。
翌年の人身御供の夜、柩の中に隠れていた早太郎は、怪物が現れるや飛びかかって、傷つきながらもついに怪物を倒した。怪物の正体は年老いたヒヒであった。
深手を負った早太郎は、痛む足を引きずりながら信濃の見える峠までたどり着いたが、力つきてそこで息を引き取った。
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この話は伝説ながら、早太郎が死んだのは延亨元年(1308)と記されている。まるで史実に基づいているみたいだ。しかも、早太郎の霊に報いるために、天神社の社僧が写経して納めたという大般若経600巻が、光前寺に現存しているという。施入が正和5年(1316)とある。
伝説はそのまま心に残しておけばいいのだが、妙に年号がはっきりしているのが気に掛かる。村の娘を救った早太郎が、死んでしまったなんてかわいそうじゃあないか。どうして、どうしてと物語が後を引く。もっとくわしく知りたい。信州を訪れることにした。
なぜ怪物は遠い信州の早太郎を恐れていたのか。
怪物は元々信濃に住んでいたのだが、村を襲ったとき、早太郎に追い立てられ、命からがら遠州に逃げたのだという。
六部が早太郎を見つけたのは、祭りも間近にせまっていたから、一刻の猶予もなかったはずだ。







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