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民俗芸能・フォークロア

2010年2月 7日 (日)

三河田楽…存続の危機

国の重要無形民俗文化財「三河の田楽」のひとつである「黒沢田楽」が存続の危機に瀕しているとの記事を目にしました。(2月6日付け中日新聞 社会12面)

「黒沢田楽」は、愛知県新城市七郷一色の黒沢地区に伝わるもの。静岡県境の山奥にあり、源氏の落人が開いた集落で、この田楽は五穀豊穣を祈願して鎌倉時代に始まったとされています。

存続の危機は、言わずと知れた「過疎化」「高齢化」によるもの。同様の問題は他の民俗芸能を伝承する地域が抱えるものです。

現在の舞手はたったの4人…若くて50代後半、上は80歳近い方もいるそうです。林業の衰退で若者の流出が続き、現在に至るといいます。憂いてもどうにもならない現状に、街に住む私たちはただ眺めているしかできないのでしょうか?

田楽踊り、田楽能、猿楽能、田遊びで構成される黒沢田楽には37の演目があり、これまで地元の在住者だけで継承してきましたが、今後は鳳来寺田楽などと同様に地元以外の外部の協力を検討せざるを得ないということです。

こんな危機を抱えて、「黒沢田楽」が本日(2月7日)午前11時から午後3時頃まで阿弥陀堂で催されます。支援の動きが活発になり、存続の危機をなんとか乗り越えて欲しいと切に願います。

今後も続く同様の危機をくいとめるのは、やはり山を元気にすることでしょう。

山を元気にし、人々が再び里山に戻ってくる日のために、まずできることから始めていかなければと改めて思います。

                                                                                                                        (mamesan 記)

2009年1月27日 (火)

あなたの足元に…

「脚下照顧(きゃっかしょうこ)」

自分の足元をみて、もう一度見直してみようということgood

外の世界を見る前に、大事なものが身近なところにあるのではないかということgood

この言葉は、地元の民俗芸能や昔からの暮らしについて研究し、大学で教鞭をとっている、ある教授が、講義の中で引用したものです。

東京にある秋葉原…この地名は、その昔秋葉神宮が分祀されていたことに由来するものだそうです。

これは、私たちの住む地域にある春野の秋葉神宮のことです。秋葉信仰は、その昔全国で深く信仰されていたのですね。

信仰の道は、様々な文化を伝達し、街道の産業を盛んにしたことでしょうshine

秋葉を目指して歩く人々の道のあちこちには常夜灯の姿

今では、町の喧騒の中や、郊外の道の脇、山深い山道などに、ひっそりと立っています。昔の暮らしぶりを彷彿とさせる地名も、どんどん消えていきますweep

身近なところに、沢山の名残の跡…このままではいずれなくなってしまうかも知れません。

あなたの住む町にも、深い歴史を刻んだ場所がいっぱいあるのです。伝えていくべき伝統や祭りもあります。

あなたの住む町の自然も守っていかねばなりません。

「脚下照顧」ちょっと堅い言葉ですね。

でも…今一度見つめなおしませんか?あなたの近くの場所をsign03

2008年12月22日 (月)

伊那谷のルネサンス:中尾歌舞伎の伝承活動

2008年のカウントダウンの音がそろそろ聞こえてくる頃になりました。

天竜川水系の民俗芸能をお伝えしていく中で、限界部落での祭の存続の難しさをひしひしと感じています。

そんな中で、長野県伊那市長谷地区での力強い取り組みを知るようなり、元気づけられる思いです。

097_j08_nakaokabuki_2 それは「中尾歌舞伎」の復活と上演にかける地域住民の熱い想い。

発祥は江戸時代、その後消滅の危機にあった「中尾歌舞伎」は、昭和61年「村づくりを進める中で古いものに目をむけ、貴重な伝統を残す必要があると、青年会での話し合いが持ち上がった」ことにより、復活。

一回限りの復活のはずが、住民の大きな喜びを生み、引くに引けなくなり、毎年公演を重ねるようになります。また青年会のメンバーもその面白さに惹かれていき、ついには世帯数50戸あまりの小さな部落に「中尾座」舞台が建設されたということです。

昨今の動きとしては、2008年周辺地域を巻き込んで、「中尾歌舞伎ふるさとおこし協議会」を設立。農林水産業事業「農山漁村地域力発掘支援モデル事業」に採択され、3カ年事業で、中尾歌舞伎のブランド化や物産品の開発、中尾座への博物館整備、オーストラリア・チロル地方オーバンベルグ村での公演と交流を構想しているとのことです。

オーバンベルグ村は、伊那市長谷地区とほぼ同様な人口規模を持つ小さな村です。過疎という概念はなく、美しい自然を守り、地域の文化を誇りにしているその村の人口は100年前と変わらないのだそうです。

何故村人は都会に出ないのか?何故統一がとれた美しい景色を人々は作り出せるのか?何故特徴的な生活が成り立っているのか?

中尾歌舞伎保存会の人々は、この美しい村の人々との交流を楽しみにしているそうです。

伊那で起こったルネサンスの今後の動向を見守ると共に、天竜川水系の他の地域へこの活動が波及していけばどんなにいいだろうとわくわくする思いでいっぱいです。

(参考文献:静岡文化芸術大学 「静岡学」資料より)

2008年12月12日 (金)

冬を吹っ飛ばす祭

師走に入り、旧暦11月に行われる霜月祭がそろそろ始まっている頃です。

厳寒の頃、新春を迎える前に、神々を呼び出し、舞や楽で神々をもてなすこの祭。Tennryu0704_008

一年の穢れを祓い、新しい年がいい年であるように願う予祝祭でもあるのですが、なぜこの時期にと考えると、厳しい山間の自然の中で、弱まった陽の力を蘇らせる強い願いを担っているものでもあるのです。 

 

そう考えると、このような祭は日本だけなのか?と思えますが、やはり同様の祭が、アルプスの山々を抱き厳寒の地に暮らすチロルの町にも存在していることを知りました。

Chiroru_3   総面積の80%以上がアルプスの標高の高い山々で占められるチロルでは、人々は標高の高さと冬の寒さを凌いで孤立同然で自給自足の生活をしていました。そのため、チロルの渓谷では谷ごとに独自の文化や風習、方言などが誕生したのです。厳しくて過酷なアルプスの中で暮らすことは決して容易ではありませんでした。

この話は南信濃の「日本のチロル」と言われる下栗の里を思い起こさせます。

チロルに住む彼らの先祖たちは、太古の昔から冬の恐怖に慄き、春を待ちわび、春は冬を追い払うものとして、それぞれを象徴する仮面と仮装で飛び跳ねたり踊ったりする祭を行ってきました。それがキリスト教が布教されるにともなって、キリスト教の祭事として取り込まれていきました。これが「謝肉祭」です。

中でも四年に一度、アクサムス村で行われる「ファスナハト」の祭の中の「ヴァンベラーライテン」(…太っ腹の祭とでも訳されるのか?)は、チロルの人々の魂を感じさせる荒々しいものです。祭のそれぞれの役割は、先祖代々決まった家が行うもので、これも日本と共通していますね。

荒々しい大格闘が繰り広げられるこの祭は、まさしく「冬を吹っ飛ばす祭」なのです。

弱まったエネルギーを取り戻し、冬を吹っ飛ばし、春を呼び寄せる強い願いを秘めた祭が、三遠南信地域と同様、遠いアルプスのチロルでも行われていると思うと、厳しい自然に生きる人々の熱い想いを改めて感ぜずにはいられません。

                       (参考:季刊「民俗学」2008秋 「チロルの祭」)

2008年11月28日 (金)

神沢「おくない」田楽 30年ぶりの復活

浜松近辺の田楽系の民俗芸能としては、川名のひよんどり、寺野のひよんどり、懐山のおくないなどが有名ですが、その他に天竜区熊の南西部に位置する神沢地区、万福寺阿弥陀堂の「神沢おくない」があります。

この「神沢おくない」は、残念ながら昭和30年後半に途絶えてしまいました。その貴重な芸能を絶やさないように、昭和50年熊中郷土研究クラブが地元の古老の指導を受け、「神沢田楽」として活動を始めたのだそうです。

「ふるさとを愛し、大切にする」教育の一環として全校として取り組み、上級生が下級生に教え、伝える方式で受け継いできており、それは人口減少によって近辺4中学が合併し清竜中学校になっても今に至るまで延々と続けられているとのことです。

全校で取り組み、途切れることなく、継承活動をしているというのは本当に素晴らしいことですね。

神沢地区出身の石野重利さんは、この活動に自ら面を打って寄贈し、過去の資料を調べ「手引書」を作成、また中学校にも赴き、生徒への指導をされています。

石野さんは、学校頼みだけでの伝承活動ではいつか限界が来ると感じ、危機感を持って地域の人に取り組んでもらえるよう自主的に保存、伝承活動を始めたそうです。

ふとしたきっかけで、この石野さんと知り合い、昨日直接お話を聞いてきました。

膨大な資料をひとりで調べ作り上げ、手引書も、手書きで丁寧に、踊りのしぐさひとつひとつまで詳細に描かれており、その並々ならぬ熱意を強く感じました。

この「神沢おくない」が来年1月5日、30年ぶりの復活を果たします。

現在では「西神沢老人憩いの家」となっている、万福寺阿弥陀堂内において、中学生による田楽の舞が披露されます。記念すべきこの日には、この記録を残すべく、文化庁からも撮影に来るそうです。

石野氏は、今回の復活が「神沢おくない」の再生につながるきっかけになってくれればとおっしゃっていました。

阿弥陀堂は、寺野の三日堂(宝蔵寺観音堂)、渋川の四日堂(万福寺薬師堂)に対して五日堂を呼ばれていました。確かな文書が残っていず、その発生は定かではありませんが、少なくとも300年近くは続いていたと考えられ、もしかしたら500年以上の歴史かもしれないとのことです。

山深い里での一日限りの復活…山に響く久々の舞の調べは私たちに深い感慨をもたらしてくれそうですね。

(神沢おくないの資料の写しは、石野さんの了解のもと、私の手元にありますので、ご覧になりたい方はお申し出ください)

2008年11月10日 (月)

道の文化

恵まれた気候と交通の便のよさ、しかも主要都市の東京、大阪、京都、名古屋へのアクセスもたやすいこの静岡県。

恵まれているからこそ、その素晴らしい環境に気づくことが少ないのかも知れません。ハングリー精神に欠ける、歴史上の大物が少ない、特色がない…等々自県のイメージをそんな風に持つ方も多いのではないでしょうか?

古くは江戸と京都をつなぎ、今でも重要な道である東海道を有しているわが県。そこは多彩な人々の行きかう道でした。参勤交代の諸国大名や武士たち、旅の公家たち、高僧や修験者たち、お伊勢参りに向かう民衆たち、飛脚、商人たち、そこには朝鮮通信使などの異国の人々もいたでしょう。東海道は、黙っていても遠くの都の情報や異国の文化に触れることができた情報ブロードバンドといえるかも知れません。

人の往来は宿場町を生み、そこに様々な職業の人々が集まってきます。もたらされた文化や学問は地域に浸透し、独自の文化を育てていったことでしょう。

こんなことから東海道のもたらした文化を「回廊文化」とも言うそうです。

東西を貫く道の他に、川沿いの道、海沿いの道が陸の道です。他には海の道、川の道、信仰の道、芸能の道、塩の道があります。

恵まれた地域のために道が整備され、その道によって、東西の情報は北へ南へ伝わっていいったことでしょう。

Matsunamiki 東海道の街路樹として見慣れた松並木や、そこに立てられた標識は、約400年前に整備されたものであり、当時としては世界的も稀な事業だったのです。

天竜川水系の文化も、多くは、この東西の道から川の道、川沿いの道、信仰の道、塩の道へ、あるいはその逆の道筋で伝えられ形成されていったと考えられます。 

そこには今では忘れられてしまった道も沢山あります。そんな歴史の詰まった魅力的な道をすこしずつでも探っていきたいものです。

2008年10月27日 (月)

北遠・三河の芸能地巡りⅣ・花祭の里・東栄町へ

少し間が空きましたが、「芸能地巡り」最後の報告になります。記憶の箱をぼちぼち彷徨いながらお伝えしていくことにしましょう。

水窪の西浦田楽堂を後に、愛知県北設楽郡東栄町に向かったのは午後3時を過ぎた頃。まだまだ日が高いはずなのに、四方を山に囲まれたこの界隈ではすでに夕刻の雰囲気です。この先、日差しは日増しに弱くなり、山に遮られた日差しが山里を照らす時間はぐっと短くなっていきます。この山あいの村々で、もっともその力が弱まる冬至の頃に、太陽のエネルギーを求めて行われる神事が多いのがうなづける気がしました。

Touei2 現在花祭が行われているのは12ケ所、内11ケ所がこの東栄町に残っているということです。私たちが向かったのは「花祭会館」。この地域も時代の流れで、祭を継続できなくなる部落が増えているようですが、東栄町では、この会館の存在により、立ち寄る人にその素晴らしさをアピールでき、それにより継続のために力を貸してくれる県外の団体や祭事を伝承してくれる他県の子供たちも沢山いるとのことでした。  

Touei1 小さな会館で首を長くして待っていてくれたのは、会館の館長さん。花祭りの長い歴史、祭事の決まりごとなど、熱弁を奮ってくれました。                                                                     

                                                                 

 

                                        

Touei4会館の中は、その概観からは計り知れないのですが、かなりの充実ぶりでした。舞台も設置され、面の数々、衣装の数々…どれも目を見張らずにはいられないものです。                                          

                                             

 

                                              

 

花祭(はなまつり)の由来やその名の意味については不明な点が多いそうですが、今のところ、南北朝時代から室町時代にかけてこの地に入植した開発領主が、村々の寄り合い方式で祭礼を行い、そこに熊野・伊勢系統の湯立てを中心とした神楽が入り込んだものと考えられているそうです。そこに更に、田遊び的なもの、修験道儀礼的なものなど、様々な要素を取り混ぜ、江戸時代には現在の形になったと言われています。                                    

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表情豊かな沢山の面を見ているだけで、この祭りがいかに魅力的であるのかを彷彿とさせました。 Touei14   

 

 

 

 

 

                                                      

「眠い、煙たい、寒い」と言われる厳しい条件の中で行われるこの祭、やはり実際に目にしなければと決意を新たに、もうすっかり暗くなった山道を私たちは浜松へと帰ってきました。                       

                                                    

Touei12 ほんのちょっと足を伸ばした場所に眠っている祭の数々、皆さんも、ご自身の足で、目で、その世界を是非体験しに行ってみてください。  

Touei11

2008年10月 1日 (水)

北遠・三河の芸能地巡りⅡ・名残の農村舞台

横尾歌舞伎会館を後にした私たちは、かつて引佐地区に18ケ所もあり、その内現存する10ケ所の農村舞台の中の、いくつかの名残の場所を目指してバスを走らせました。

先ずは谷沢地区。のどかな田園地帯の一角にその舞台はありました。

神社の脇にポツンと建っていたバス亭を見ると、そこには一日たった一往復のバスの時刻表が記されており、なにか不思議に印象に残っています。

Butai4_2 神社を含む境内全体がビニールの屋根で覆われ、大切に守られているのだなと感じました。

舞台は歴史を感じさせるたたずまいで、閉ざされた木戸のために中に入ることは叶いませんでしたが、隙間から中の様子を窺い知ることはできました。 

Butai1_2 この舞台で歌舞伎が演じられることはもうありませんが、時折住民の演芸などを催す憩いの場所として愛されているとのことでした。                                         

                                                               

                                                          

次に向かったのは狩宿(かりしゅく)地区。

Butai6_2 ここの舞台は回り舞台も有するもので、建物自体もしっかりとしたつくりでした。ここも木戸によって中をしっかり見ることはできませんでしたが、木戸の割れた隙間から、ぼんやりとではありましたが、中の様子を感じることはできました。         

                                            

                                           

Butai5_2 舞台の前の広場から石段を登ると、趣のある六所神社があり、上の方から村全体を見守っているような気がしました。

静寂を破るようにバスで乗り付けた私たちを、腰の曲がったおばあちゃんが、いぶかしげに何度も何度も振り返って見つめていた様子が印象に残っています。

折しも、辺りは真っ赤な彼岸花が咲き乱れていました。緑の山々と田園地帯の風景に見事にマッチして、それは心癒される風景でした。                                                                

                                         

                                   

そこから、私たちは西黒田地区の舞台を車中から眺めながら、次の目的地の西浦に向かいました。その様子は次回お伝えします。 

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2008年9月29日 (月)

北遠・三河の芸能地めぐりⅠ・横尾歌舞伎

雨上がりの翌日の秋晴れの一日、9/27(土)北遠の民俗芸能ゆかりの地を巡ってきました。

これは、地元の静岡文化芸術大学の公開講座の番外編として企画されたフィールドワーク。天竜川水系の民俗芸能に詳しい須田教授の説明を受けながらの楽しい一日でした。

須田教授は、常々、天竜川水系が民俗芸能の宝庫ということから世界遺産に匹敵すると言われている方で、以前のコラムで紹介したことがある方です。

Yokoo8 先ずは引佐地区の横尾歌舞伎記念館の見学。ほんの少し足を伸ばしたところにあるのに、初めてその場所に足を踏み入れた私は、その歴史の深さに驚きました。

ここは、昔軽便と呼ばれた電車が走っていた頃、東四村(ひがしよむら)という駅があった地区だそうです。

横尾歌舞伎は、横尾地区の八桂神社、白岩地区にある六所神社の、二つの神社の祭礼の余興としておよそ200年ほど前に始まったものだそうです。この歌舞伎は、大阪から名古屋、新城を経て、旅役者によって伝えられたそうですが、地元の方は実際に歌舞伎の座の中に入り込み、修行を積んで、その技を習得したとも聞きました。

Yokoo9 記念館では地元の方から懇切丁寧な説明を受け、100点にも及ぶ衣装、200点にも及ぶかつら、道具類が大切に保管されている様も見学することができました。衣装の中には100年以上経っているものもあるということでした。

舞台は開明座と呼ばれ、修理を重ねてのものということですが、予想以上に立派な舞台で、大切に守られている様子が窺えました。

長い間継承され守られてきた裏側には、沢山の人々による苦労が隠されているのでしょう。かつて、横尾・白岩地区に生まれ育った青年は、若者組(歌舞伎の担い手のために作られた組)に所属し、舞台に立つことが半ば義務づけられていました。この義務を怠ると風呂焚きなどの制裁が加えられたそうです。

Yokoo10 現在は保存会の人々によって守られているこの横尾歌舞伎…来月にはその公演が次の通り予定されています。今年は小学校一年生による公演があるそうですので、是非その可愛い演技を観てみたいものですね。                                                       

                                                                                  

                           

                                              

                                                      

 平成20年度公演(10/11、12)

    午後6時~  於開明座(浜松市東四村農村コミュニティーセンター)

    浜松市北区引佐町横尾889番地の1    入場無料

    今年の演目予定はこちら

Yokoo7 最盛期には、横尾歌舞伎の開明座を含め、引佐町には18ケ所の舞台があり、その内10ケ所の舞台が現存し、開明座以外では歌舞伎の上演は行われていませんが、そのいくつかは住民の憩いの場として今でも利用されているようです。

開明座を後にした私たちは、次に、そのいくつかの舞台を目にするべく近郊の狩宿、谷沢地区を目指しました。その様子は次回紹介いたします。

2008年9月 8日 (月)

伝統を守り続けるすべ

庶民の中にずっと守られてきた芸能。

それが消えていかざるを得ない状況にあり、その速度は加速していくばかりです。

古くからの芸能が残されているのは、自然の中の里山が殆どで、その素晴らしい里山が過疎に悩んでいます。若い人がどんどん流出していく現実は、そこで生活する基盤がない以上どうしようもないことです。

守り、伝えていくべき後継者が居ない…日本中でこの状況をなんとかしなくてはと活動している人達も数多いとは思うのですが、この流れを止めることができるのだろうか?と不安になります。

新聞で、過疎の村の小学校で子供たちが伝統芸能に挑戦している様子が掲載されていました。この小学校も子供たちの数が減って廃校に追い込まれたら、この芸能を誰が守っていくのだろう?とその将来を憂う気持ちになりました。

Turiganeninjin 森の素晴らしさ、里山の素晴らしさ、自然と共生して暮らす日々の大切さ…わかっているのにふるさとを捨てなければならない人々の悲哀。古から暮らしに根付いて、心の支えにもなってきた芸能も、自然と消えていく危機の中にあります。

里山を元気にする、山を元気にする…明るい笑い声が飛び交う生き生きとした村に戻すことができないだろうか?

この会の活動の中でその方法を模索し、光を見出していけたらと思います。

2008年7月17日 (木)

守られる念仏踊り

Img_1213_2  7/15の夜、久しぶりに「遠州大念仏」を観ようと、上島町で行われた催しに出かけました。

会場に書かれた「おしょろさま」という言葉がわからず調べてみましたら、「おしょろさま」とは「御精霊様」と書かれるもので、お盆に帰ってくる先祖の霊を指し、元々は九州南部の言葉のようです。

関連してこんな言葉もありました。それは「御精霊雨」(おしょろあめ)…8月13日夕方から16日早朝にかけて降る雨をこう呼ぶのだそうです。

先祖の霊が物言わず流す涙雨なのでしょうか?帰ってきた自分の存在を知らそうというシグナルなのでしょうか?いずれにしてももの悲しい言葉ですね。

Img_1221 久々に目にした念仏踊りは、幼い頃の記憶とは違ったものでしたが、それは神聖なものへの恐れのような気持ちから自分なりのイメージを作り上げていたからかも知れません。画像は早出町の保存会の皆さんによるものです。こうした貴重な芸能が若い人も混じって、守り伝えられていくのはいいことだなと思いました。

古いものは意味がないと切り捨てていく風潮もありますが、古くから伝わる行事では、古の人の心を想う時間、忘れかけていた心を取り戻す時間を得られる気がします。

2008年7月 7日 (月)

闇に浮かぶ念仏行列

念仏…と言えば、すぐ頭に浮かぶのは「遠州大念仏」でしょう。もうすぐお盆ですので、この念仏踊りがどこかしかで演じられる日が近づいてきました。

Photo_2   私の生まれ育った地域に「犀ヶ崖古戦場跡」という場所がありました。「犀ヶ崖」というのは、三方原合戦で奇襲を受けた武田軍などの、多くの戦死者を呑み込んだ場所なんだよと大人達から聞かされていた場所でした。そこには死者の霊魂が沢山漂っていて、うっかり近づくと引きこまれるよとの噂も子供達の中で広まったものです。

怖い者見たさもあって、私も学校の行き帰りに、その暗い谷のようになった崖を度々覗き込んでみたものです。草木が生い茂り、ただ暗いばかりで他には何も見えない分、怖さが増したような気がします。この「犀ヶ崖」では、毎年7月15日に、三方原合戦の死者の供養として、遠州大念仏が行われています。

その「遠州大念仏」が、ある時追分小学校の校庭にやってきたことがありました。はっきり覚えていませんが、夏祭りのイベントだったような気がします。辺りの灯りが一斉に消され、太鼓や笛やかねの音が聞こえる中、装束をまとった踊り手たちが静かに歩いてきます。そこだけスポットライトが当てられ、光で浮かび上がった踊り手の装束の白さが、子供心に幻想的に思え、そのもの悲しさを伴った音色と共に、忘れられない情景として、今でも心に残っています。

浜松市のサイトの説明によると「遠州大念仏」は下記のように説明されています。

  「遠州大念仏」は、遠州地方の郷土芸能のひとつで、初盆を迎えた家から依頼されますと、その家を訪れて庭先で大念仏を演じます。
 大念仏の団体は、必ずその家の手前で隊列を組み、統率責任者の頭先(かしらさき)の提灯を先頭にして、笛・太鼓・鉦(かね)の音に合わせて行進します。笛・太鼓・鉦(かね)・歌い手、そのほかもろもろの役を含めると30人を越す団体となります。
 大念仏の一行が初盆の庭先に入ると、太鼓を中心にして、その両側に双盤(そうばん)を置いて、音頭取りに合せて念仏やうたまくらを唱和します。そして、太鼓を勇ましく踊るようにして
打ち鳴らし、初盆の家の供養を行います。
 江戸時代のもっとも盛んな時には、約280の村々で大念仏が行われていました。
 現在、約70の組が遠州大念仏保存会に所属し活動しています。

一般的に「念仏踊り」とはどんなものなのか、少し調べてみました。

Img_1065_2 その始まりは、平安時代の空也上人や、鎌倉時代の一遍上人によるものとされています。もともとは、自ら念仏を唱えながら踊躍歓喜、欣求(こんぐ)浄土の形を示し、宗教的陶酔を求めようとするものでした。一遍上人の頃は、別に決まった振りなどない乱舞形式のものだったようですが、それが自然に洗練を経て現在の形になってきたのです。

先に書いたような、自ら助からんとするもの以外に、念仏踊りには別の形である「供養念仏」があります仏の年忌や盆などに、一団のものが家々を巡って御霊に念仏や和賛を手向け、供養としてまわるものです。そうした折りに、種々の芸能を手向ける風がおこったようです。有名なものに、岩手の「鬼けんばい」(鬼面をつけ念仏拍子で踊る)や「大念仏けんばい」(大笠が出、笠振りが冠り踊る)や「雛けんばい」(少年少女による輪踊り)があり、近辺では「遠州大念仏」の他、愛知県東加茂郡足助町の「綾渡の夜念仏」、愛知県北設楽郡田峰の「念仏踊」や浜松市滝沢町の「滝沢放歌踊り」などがあります。                                                        (以上 本田安次著「日本の伝統芸能」より一部抜粋)

「遠州大念仏」はこうした「供養念仏」のひとつと言えるのでしょう。大人になった今でも、私の中ではあの闇に浮かんだ念仏行列のイメージが褪せないままで、今だ理由のない畏怖感を覚える存在ですが、今年は久しぶりに懐かしい場所を訪れて、新鮮な目で念仏踊りを観賞してみたいと思っています。

皆さんも、もしそんな機会があったら、どんな感想を持たれたのかそっと教えてくださいね。

 

2008年6月24日 (火)

まちなか能楽観賞講座・ゆりの木舞台

不思議な縁があって、ある「能楽鑑賞講座」に参加してきました。

能や狂言というと、なにやら堅苦しい、しかも理解が難しいものだと思い、つい敬遠してしまいがちですね。

能や狂言は、日本の誇るべき舞台芸術として守られてきました。しかしながら、それは、庶民から離されて、高尚な域に追いやられてしまった感があります。能や狂言も、もともと他の民俗芸能と同様、庶民の中で生まれ、庶民に愛されたものだったのです。

今日舞台で行われている能は、いわゆる翁猿楽がもとであったと言われます。この翁猿楽の起こりは十分明らかになっていませんが、「長寿をことはぎ、国土安穏、息災延命を祈る」祝福芸がもとであり、これに早く携わったのが散楽(猿楽)衆であったと言われているそうです。この翁猿楽の余興の芸として工夫されたのが、今日の能なのです。

能は、最近になってまた人々の注目を集め、各地で薪能などが盛んに催されるようになってきました。

今回参加した「能楽観賞講座」は、「それらの能楽鑑賞を楽しく観るために、能楽についての知識を、講読、ビデオ鑑賞、実証などのよって体験的に習得する、等身大の講座」というのがコンセプトになっています。

場所は、なんと浜松の街中のビルの一室…一歩足を踏み入れると、そこには能舞台を摸した「ゆりの木舞台」が現れます。そこで、今回の講座「能楽の知識、舞台と楽器」が開催されていました。詳細は下記の通りです。

  講座名  「能楽の知識、舞台と楽器」全6回

   第1回:能舞台と能楽堂、第2回:能、狂言での舞台の使い方、第3回:能楽の楽器:笛

   第4回:能楽の楽器:小鼓、第5回:能楽の楽器:大鼓、第6回:能楽の楽器:太鼓

  講師   竹内明彦氏

      (磐田能プロデューサ及び講座コーディネータ、浜松市楽器博物館展示企画アドバイザ)

  主催   ゆりの木舞台 代表 鈴木安彦氏

  会場   浜松市中区田町 万年橋駐車場ビル4F 「ゆりの木舞台」

Photo_2 講座は既に4回目を迎え、後は6/30と7/7の2講座を残すのみです。能楽を理解することで、周辺の伝統芸能(田楽や神楽、祭り等)の表現様式もよりよくわかるようになるといいます。今回初めて出席した私ですが、能が身近に感じられるようになったことと、今後の世界の広がりへの期待が生まれたことは、大きな収穫となりました。

アンテナを高く掲げれば、様々な人が、文化の継承や、それに対する意識の高まりに向けて活動しています。今後は、歌舞伎音楽をはじめとする周辺の日本の伝統文化を楽しむ成人講座も企画予定とのことですので、大いに期待していきたい活動です。

今回は、三遠南信の民俗芸能をもっと深く理解でき、私たちの啓蒙活動にも大きな影響を与えてくれる予感のする…そんなまちなか能楽講座の紹介でした。

(画像はゆりの木舞台での催しの様子です)

2008年6月23日 (月)

天狗考その3・民俗伝承の天狗

天狗は架空の存在であるのに、庶民の中に深く溶け込んだ存在だったようです。

信仰の対象の天狗には畏怖の念を持ちながら、一方で親しみを感じる存在でもあったのです。

民俗伝承の中で、天狗にまつわる言葉が沢山残されています。その一部をご紹介すると…

  天狗倒し(山中で大木を切り倒す音がするが行ってみると何事もない)

 天狗笑い(山中で大勢の人の声や高笑いする声が聞こえる)

 天狗つぶて(大小の石がどこからともなくバラバラと飛んでくる)

 天狗ゆすり(夜、山小屋などがゆさゆさ揺れる)

 天狗火(突然現れる怪火現象)天狗の太鼓(突然起こる怪音現象)

Mo_011_2 これらの現象を天狗の仕業と信じた民衆は、それを山の神の意志と解釈し、山小屋の位置を変えたり、山の神を祀って仕事を休んだと言います。

また天狗は「天狗隠し」と言って、子供などを神隠しにあわせる怪異もなしたと伝えられています。この神隠しは、季節の変わり目の旧暦4月頃に多く、あとには履き物がきちんと揃えてあるので、それとわかるそうです。

天狗には、一定の通り道や領域があり、そこはこの世と異界の境であって、侵犯したものには怪異を持って知らせたとも言われています。この話は、宮崎駿氏のアニメ「千と千尋の神隠し」に登場するトンネルの場面を思い起こさせますね。不思議なトンネルを抜けた先に、あの異空間が出現し、そこで千尋の苦難と冒険の旅が始まったのでした。

民衆は異界の存在を信じ、天狗は自分たちと異界とをつなぐ存在だと認識していたのでしょう。一方で、天狗に関わる昔話には、子供達に騙されて宝物を奪われてしまうなどという笑話も残っており、天狗が庶民にとって愛された存在でもあったことがわかります。

 

2008年5月26日 (月)

天狗考その2・庶民と信仰

春野に入ると、天狗面が道のあちこちにいろいろな形で迎えてくれます。もちろん、それは秋葉信仰の象徴ですが、この天狗が何故人々の信仰の象徴になったのでしょうか?

天狗は日本人の霊魂観から発する霊的存在で、現実に存在するものではありません。その名称は、日本書紀に表された「雷音を発して飛んだ流星を中国の知識から「天狗(あまきつね)」と呼んだこと」に発するそうですので、名前の由来は日本の天狗とは違うもののようです。

この天狗が様々な形で形象化されて庶民信仰の対象になり、絵画や彫刻、芸能に表現され、口承伝承や民間文芸の主題となっていきました。信仰に結びつくに至ったのは、山岳宗教の修験道において「天狗」の概念を多く取り入れられたからです。

善悪両面を持つ天狗は空から飛来して山上に食物や水をもたらす山の守護霊でもあり、一方では、暴風雨を起こし、怪音を発し、人をさらうと畏れられた存在でもあったといいます。

Matsuri70 その存在を畏れながらも、民衆はこの「天狗さん」に親しみを感じ愛したのでしょう。近辺の三遠南信のお祭りにも、この天狗の別名である「天白(てんぱく)」の舞が多く見られますし、山の中だけでなく、天白さん信仰は細江方面でも細々と残っているようです。

天狗の持つ絶大な力を信じ、恐怖と共に信仰祈願する者が後を絶たなかった理由が、ぼんやりと見えてくるような気がしますね。

最近ではあまり聞かなくなりましたが、天狗に関する言葉が沢山残っています。天狗倒し、天狗笑い、天狗つぶて、天狗ゆすり、天狗隠しなどです。それらは言い伝えによる民話や笑話に良く出てくる言葉のようです。

庶民と天狗さんとの結びつきは、今後取材の各地の神事や祭事の中で、はっきりと見えてくるかと思いますので、その機会にまたお話することにしましょう。

2008年5月19日 (月)

音技箱(おとぎばこ)の芸能紹介

用事で北部市民センターに行き、待ち時間にある冊子に目が留まりました。何故目を惹かれたかというと、その特集が「浜松の伝統芸能」だったからです。

Otogibako_2 それは「音技箱(おとぎばこ)」という浜松市発行のマガジン。(「音」は浜松の文化の象徴の音楽、「技」は浜松の技術、「箱」は夢のあるおとぎ箱からとった名前だそうで、素敵な名前)「新しい浜松に出会う”発見”マガジン」がキャッチフレーズです。

はじめて目にする冊子なのに、どういう訳か今号で休刊になってしまうということを知りました。この冊子は、年2回発行で、今号で16号。最後の冊子が地元の芸能についてとは皮肉なものですね。

紹介されている芸能は、「横山のおくんない」「川名のひよんどり」「横尾歌舞伎」「浦川歌舞伎」「川合花の舞」「勝坂神楽」。まさしくこれから紹介していきたいと思っていた芸能ばかりでした。

浜松市内の市民センターや公民館に置かれているようですので、是非実際に手をとってご覧ください。写真も素晴らしく、自分の眼で観てみたい衝動に駆られることでしょう。

市のサイトの「浜松音技箱」でも記事の詳細がみられますので、こちらも是非覗いてみてください。

2008年4月25日 (金)

天狗考その1・面の由来

私たちにも馴染みの深い面に「天狗面(てんぐめん)」があります。そして馴染みの天狗と言えば、秋葉山の天狗…秋葉山三尺坊(あきばやまさんじゃくぼう)でしょう。

江戸中期の書によれば、日本全国の山々には48種類、十二万五千五百の天狗がいるとされ、鼻高天狗で大天狗は特に魔王と呼ばれたようです。

元人間の大天狗は、『信濃名僧略伝集』によれば信濃国下高井郡穂高村出身で、信州戸隠山や越後守門岳で修行し天狗となったと書かれています。そのとき純白の霊狐が現れ、これに乗って定住地を探し秋葉山に住み着いたといいます。

皆さんは天狗にどういったイメージを持っているのでしょう?

Tengu 赤い顔に高く長い鼻と大きな目を持ち、山伏の装束を身につけ、手には羽うちわ、足には高下駄、そして、空中を自在に飛ぶ姿でしょうか?

以前のコラムで面の不思議についてお話しました。その中でも、この天狗面の由来にかなり興味を惹かれた私です。

多くの説では、日本最古の仮面劇「伎楽(ぎがく)」(別名「呉歌舞(くれうたまい)」)で使われる面の中の、「冶道(じどう)」と「迦楼羅(かるら)」の2つの面が起源と言われています。

「伎楽」とは、6世紀から7世紀にかけて大陸からわが国にもたらされた仏教芸能で、太陽信仰の拝火教ゾロアスター教とも関係があるとされているものです。

「冶道」は、伎楽の先払いとして魔を払う役目で、読んで字のごとく道を治める役。「冶道」は鼻が長く高い仮面で、現代に言い換えれば、その鼻はファイバースコープのようなもので、目に見えない悪魔を誘い出す役目を持っていたと言えるでしょう。

「迦楼羅」は毒蛇を食べるという烏面の仮面。「迦楼羅」は仏教を守護する八部衆の一人で、元はヒンドゥー教の神の使い、ガルーダです。ガルーダとは太陽の一番近くを飛ぶ鳥、禿鷹のこと。鳥は忌まわしいものを空の彼方へ持ち去り、幸いを空から運んでくると思われ、中でもこのガルーダは人々に幸福の鳥と崇められたそうです。

「冶道」の鼻高面、「迦楼羅」の烏面の二つが、鼻高天狗と烏天狗に形象化されたと言われているそうです。天狗面になにかしら畏敬の念を抱くのは、こうした背景が自然に私たちに伝わってくるからかも知れませんね。

天狗のほかにも馴染みの深い「おかめ」は、狂言面の「乙(おと)」、「ひょっとこ」も同じく狂言面の「空吹(うそふき)」の流れを組むそうです。面の歴史や由来を調べていくと、かなり面白い世界が広がっていきます。

次は天狗信仰についてお話することにしますgood

  (面についての記述は、書籍「仮面 そのパワーとメッセージ」より引用)

2008年4月 7日 (月)

面の不思議

三遠南信地方を調べていくと、ひとつの街道の名が浮かび上がってきます

それは「秋葉街道」…三河から、遠州から、信州から、その道は秋葉山へ続く道

秋葉信仰がいかに盛んであったのかを文献の中から容易に知ることになるでしょう

秋葉山と言えば頭に浮かぶのがあの大きな鼻を持った「天狗」の面

皆さんは面といういと何を思い浮かべるでしょう?

手軽なところでは、秋祭りなどの夜店で並んでいたプラスチックの面の数々

最近はテレビのアニメのキャラクターものが多いですが、昔は「おかめ」や「ひょっとこ」などが並んでいたものです

面と言えば、少し高尚な感じのする能面も浮かんでくるでしょう

神楽などでも様々なユニークな面が使われますMatsuri17_2

古くは「面をつけた土偶」まで発掘されているそうですから、その歴史はかなり古いものと言えます

「照葉樹林文化」地域のチベットやブータン、中国にも似通った面が沢山あることがわかりました

民俗芸能を調べていく内にいろいろな「面」に出会い、「面」に興味を持つようになってきた私です

秋葉信仰の象徴である「天狗」の面の由来や、神楽の面々の由来、遠い国で生まれた面との関わりなど、これから少しずつ紹介できたらいいなと思います

2008年2月 6日 (水)

出会いの時

出会いというもの…これはふとしたことで遭遇するようです

私にとって「芸能」というものとの出会い

それは10代の終わりの学生時代…バイトをしては日本中を旅行していた私

当然学業はおろそかになり、かなり不真面目な学生でした

あっという間に過ぎ去った学生時代の中、何故か心に残った一人の教授

英文学の講義はすっかり忘れてしまったのに、途中で脱線して、夢見るように話してくれたあるお祭りの話

それは「花祭り」というなにやら華やかな名前のお祭りの話

教授の話に惹き込まれ、「いつか私も見てみたい、参加したい」と思った私

その想いは、何故か頭の片隅に常にあって、忘れられず

長い時間が経って、最近やっとその「芸能」の世界のドアを開けたばかりの私です

長い間憧れていた花祭り以外にも、天竜川水系には沢山の芸能があって

期待はどんどん膨れ上がっていきます

テーマはなんだか難しい名前ですが、これから、私と一緒にこの天竜川水系の芸能の旅を楽しんでいきましょう

自分の目で見たこと、自分の耳で聞いたこと、自分の心で感じたことを、自分の言葉でお話していきますね

先ずは皆さんとの出会いのご挨拶…かなり堅苦しくなりましたが、これからよちよちと歩いていきますので、よろしくお願いします

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