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神楽

2008年10月27日 (月)

北遠・三河の芸能地巡りⅣ・花祭の里・東栄町へ

少し間が空きましたが、「芸能地巡り」最後の報告になります。記憶の箱をぼちぼち彷徨いながらお伝えしていくことにしましょう。

水窪の西浦田楽堂を後に、愛知県北設楽郡東栄町に向かったのは午後3時を過ぎた頃。まだまだ日が高いはずなのに、四方を山に囲まれたこの界隈ではすでに夕刻の雰囲気です。この先、日差しは日増しに弱くなり、山に遮られた日差しが山里を照らす時間はぐっと短くなっていきます。この山あいの村々で、もっともその力が弱まる冬至の頃に、太陽のエネルギーを求めて行われる神事が多いのがうなづける気がしました。

Touei2 現在花祭が行われているのは12ケ所、内11ケ所がこの東栄町に残っているということです。私たちが向かったのは「花祭会館」。この地域も時代の流れで、祭を継続できなくなる部落が増えているようですが、東栄町では、この会館の存在により、立ち寄る人にその素晴らしさをアピールでき、それにより継続のために力を貸してくれる県外の団体や祭事を伝承してくれる他県の子供たちも沢山いるとのことでした。  

Touei1 小さな会館で首を長くして待っていてくれたのは、会館の館長さん。花祭りの長い歴史、祭事の決まりごとなど、熱弁を奮ってくれました。                                                                     

                                                                 

 

                                        

Touei4会館の中は、その概観からは計り知れないのですが、かなりの充実ぶりでした。舞台も設置され、面の数々、衣装の数々…どれも目を見張らずにはいられないものです。                                          

                                             

 

                                              

 

花祭(はなまつり)の由来やその名の意味については不明な点が多いそうですが、今のところ、南北朝時代から室町時代にかけてこの地に入植した開発領主が、村々の寄り合い方式で祭礼を行い、そこに熊野・伊勢系統の湯立てを中心とした神楽が入り込んだものと考えられているそうです。そこに更に、田遊び的なもの、修験道儀礼的なものなど、様々な要素を取り混ぜ、江戸時代には現在の形になったと言われています。                                    

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表情豊かな沢山の面を見ているだけで、この祭りがいかに魅力的であるのかを彷彿とさせました。 Touei14   

 

 

 

 

 

                                                      

「眠い、煙たい、寒い」と言われる厳しい条件の中で行われるこの祭、やはり実際に目にしなければと決意を新たに、もうすっかり暗くなった山道を私たちは浜松へと帰ってきました。                       

                                                    

Touei12 ほんのちょっと足を伸ばした場所に眠っている祭の数々、皆さんも、ご自身の足で、目で、その世界を是非体験しに行ってみてください。  

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2008年4月14日 (月)

神楽と田楽の違いは?

どこかで聞いたことがある…でも一体どんなものなんだろう?と思う言葉がありませんか?

特に民俗芸能ともなると、少し難しい言葉が並びますね。

能や狂言、歌舞伎や人形劇、浄瑠璃などはおぼろげでも概要は浮かんでくるはずです。

では「神楽(かぐら)」とか「田楽(でんがく)」はどうでしょう?

聞いたことはあるけれど、実際にはどんなもの?どういう違いがあるの?と思われる方がいらっしゃるのではないでしょうか?

「神楽は、いろいろな種類がありますが(先のコラムで簡単に説明しています)、一貫した特色は、人々が集まって、神座を設け、これに神を招き、祈祷によって、神事に集うものの罪や穢れを払い、また魂を強化し、長生を願おうとするものです。

神座(かみくら)は、「神楽」の語源とも言われる言葉で、神の依りつく依代(よりしろ)を指し、また魂の清めには祓(はらい)、水や湯を浴びる禊(みそぎ)によってなされます。

Tanada41 「田楽」もいろいろな種類があり(これも先のコラムで簡単に説明済です)、字のごとく、田に関する様々な段階で行われる神事で行われる舞や踊りなどを指し、田を耕し、種を蒔き、苗を取り、田植えを行い、その後の草取りや、鳥追いから、収穫に至るまでの様々な節目で行われています。

歌と踊りで豊作を祈願する「田楽」には、田遊(たゆう・たあそび)や田舞(たまい)、田打ち、御田植えなど、地方によって様々な名称、形態があるようですが、全般的に、素朴で純粋なものが多いような気がします。

農機具を使って踊ったり、狂言のように演じたり、太鼓を打ち鳴らしたり、調べてみると、「神楽」と呼ばれるものより、ずっと広い範囲に及んでいるような気がしますし、しかも「神楽」と呼ばれる神事の中に五穀豊穣を願うものもあり、「神楽」と「田楽」は、ひとつの神事の中で共に行われているところもあるのです。

「御田植神事」は、田植えの前後、ほとんど全国で行われているようですが、本来は実際に神田に入って行うものだったといいます。

ところが、今では殆どが神社の境内などに神田を想定して、田植えの物真似をして田植えの様を演ずるところが多くなってきています。

神事ではありませんが、娯楽のなかった昔には、「田打ち競技」などもあったようで、三本鍬で早く田を打つ競技に当時の若者たちが競って参加したともいいます。

農耕が生活の中心だった頃は、神事も娯楽も同様に同じ場所で行われていた…それほど民衆に密着したものだったと言えそうですね。

一度には書ききれないほど多岐に渡る「神楽」と「田楽」、時にそれらふたつは同じ場所で行われたりもします。

実際にご覧になる機会があったら、その違いももっとわかるはずですので、是非お近くの神事を覗きに行ってみてください

近辺の「神楽系」には、南信州の霜月祭り、三河の花祭りなど、近辺の「田楽系」には、旧水窪町西浦田楽、旧引佐町寺野のおこない、旧引佐町川名のひよんどり、あるいは袋井法多山の田遊びなどがあります。

       (今回の内容の参考文献:「日本の伝統芸能」本田安次著)

2008年3月 1日 (土)

濃密な時空を味わう(その2)

Tennryu0704_002_2 以下は2007年12月13日から14日の未明にかけて祭りに参加した際のレポートです(拙自HP内「上村霜月祭り」に掲載済みのもの)

天竜から春野を抜けて、水窪の街へ…学生時代ワンゲル部で山住神社から縦走して竜頭山へと向かったことがあり、その際の迷走ぶりとあわや遭難までに至った事件を思い出しました

こんな遠くの街まで今では同じ浜松市です

途中の長野との県境兵越峠には、有名な「峠の国盗り綱引き合戦」の場所もあり、紅葉の10月に行われた信州軍と遠州軍の戦いの名残の跡が残されていました

それは私にとってはじめての道

昔の人も通った道を辿りながら、私は期待に胸膨らませ南信濃の地に足を踏み入れました

細い細い急な山道を登っていくと急斜面に家々がへばりつくように建ち、畑も同様に急斜面に作られている

片側は深い谷、前面には南アルプスの見事な眺望…深い山に囲まれ点在する小さな家々は標高1000m以上のところにあり、まるでスイスの風景そのもので圧倒される

こんな厳しい自然の中で生活している人たちがいるという事実に改めて驚かされる

Tennryu0704_007_2 祭りが行われたのは、下栗拾伍社という小さな社…そこでは朝早くから村民によって神事が行われ、翌日の夜中3時くらいまで延々と様々な儀式や舞が行われる。途中かまどの周りにゴザがひかれ、氏子の人にお酒や料理が供される…神官や村人、老若男女、小さな子供たちが円座になってわきあいあいと過ごす様は微笑ましい

Tennryu0704_003_2 様々な面をつけての舞や迫力のある湯立て…こんな村も若い人が去り、長らく住んでいたひとも山を下りていき、限界部落の危機に瀕しているという


厳しい環境で力を合わせて生きてきたこの村…何故住み慣れた土地を離れていかねばならないのだろう?何故?何故?と問う私にもその理由はわかる…
この現実をどうしようもない。こんな素晴らしい景観、こんな素晴らしい祭り…なんとか残していきたいねと心から思う

あれから…もう3ケ月近くが経つのに、時折笛の音が頭の中で響くことがあります

神楽の意味もわからず、対面した「時空」の空気はとても温かいものでした…

Tennryu0704_008_4   祭りの他の画像はこちらのスライドショーをご覧くださいgood

濃密な時空を味わう(その1)

Tennryu0704_009_2 「祭りとは、ときを選んで、訪れた神と人々交渉する濃密な時空といえようか」

こんな一節を目にした時、胸がきゅんとなったのは何故でしょう?

それは、私がその時空と呼ばれた空気を、ほんの少しだけ味わったせいかも知れません

旧暦の霜月の冬…しかも山深い里の寒さは厳しい

でもその寒さのおかげで、空気が澄み、山々は美しい姿を見せてくれます

昨年の12月、私は南信濃の「霜月祭り」をはじめて観に出かけました

場所は、遠山郷上村の里のひとつ下栗の里・拾五社大明神…南アルプスを背に空に浮かぶように立った小さな社

山深い谷に日が射し込む時間が短くなり、あらゆる命の力が弱まり始める季節に、生命の母たる八百万の神々を迎えて、力の蘇りを願おうという祭りです

土地の氏神の社の土間に火を起こし、大きな釜を掛け、その真上に天井から神々君臨の座を象徴する様々な紙飾りのついた四角い木枠(湯の上、神座(かむくら))を吊り下げ、そこへ氏神を始めとする諸国の神々を呼び寄せ、神々の霊気の宿った〈湯〉によって禊ぎをするものです。人々は自然を畏れ、そのたくみな実りに感謝し、願いをかけてこの霜月祭りを受け継ぎ、生活を謡いあげてきたのです

神に湯を立ててささげ敬い、森羅万象、自然の精霊を祀り、神聖な湯を浴びることで魂の再生をはかるとともに万物を鎮めて新たな年を迎えるもの

この祭りは、人々の暮らしに深く根付いた祭りで、この神行事は、こうした信仰と暮らしに裏うちされ、重要無形民俗芸能として脈々と生き続けているものです

(以上は、「かみむらの霜月祭り」という上村教育委員会発行の小冊子より抜粋したものです。この小冊子は祭りの面の画像が網羅されており、上村各地区の祭りの様子が詳しく書かれていてお奨めです!)

Tennryu0704_006 私は、上村の4つの部落(上町、中郷、下栗、程野)のそれぞれの社で日を変えて順に行われていくこの祭りの内、日本のチロルと呼ばれる下栗の里を訪れました

その時の様子は次のコラムでgood