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田楽

2010年2月 7日 (日)

三河田楽…存続の危機

国の重要無形民俗文化財「三河の田楽」のひとつである「黒沢田楽」が存続の危機に瀕しているとの記事を目にしました。(2月6日付け中日新聞 社会12面)

「黒沢田楽」は、愛知県新城市七郷一色の黒沢地区に伝わるもの。静岡県境の山奥にあり、源氏の落人が開いた集落で、この田楽は五穀豊穣を祈願して鎌倉時代に始まったとされています。

存続の危機は、言わずと知れた「過疎化」「高齢化」によるもの。同様の問題は他の民俗芸能を伝承する地域が抱えるものです。

現在の舞手はたったの4人…若くて50代後半、上は80歳近い方もいるそうです。林業の衰退で若者の流出が続き、現在に至るといいます。憂いてもどうにもならない現状に、街に住む私たちはただ眺めているしかできないのでしょうか?

田楽踊り、田楽能、猿楽能、田遊びで構成される黒沢田楽には37の演目があり、これまで地元の在住者だけで継承してきましたが、今後は鳳来寺田楽などと同様に地元以外の外部の協力を検討せざるを得ないということです。

こんな危機を抱えて、「黒沢田楽」が本日(2月7日)午前11時から午後3時頃まで阿弥陀堂で催されます。支援の動きが活発になり、存続の危機をなんとか乗り越えて欲しいと切に願います。

今後も続く同様の危機をくいとめるのは、やはり山を元気にすることでしょう。

山を元気にし、人々が再び里山に戻ってくる日のために、まずできることから始めていかなければと改めて思います。

                                                                                                                        (mamesan 記)

2008年11月28日 (金)

神沢「おくない」田楽 30年ぶりの復活

浜松近辺の田楽系の民俗芸能としては、川名のひよんどり、寺野のひよんどり、懐山のおくないなどが有名ですが、その他に天竜区熊の南西部に位置する神沢地区、万福寺阿弥陀堂の「神沢おくない」があります。

この「神沢おくない」は、残念ながら昭和30年後半に途絶えてしまいました。その貴重な芸能を絶やさないように、昭和50年熊中郷土研究クラブが地元の古老の指導を受け、「神沢田楽」として活動を始めたのだそうです。

「ふるさとを愛し、大切にする」教育の一環として全校として取り組み、上級生が下級生に教え、伝える方式で受け継いできており、それは人口減少によって近辺4中学が合併し清竜中学校になっても今に至るまで延々と続けられているとのことです。

全校で取り組み、途切れることなく、継承活動をしているというのは本当に素晴らしいことですね。

神沢地区出身の石野重利さんは、この活動に自ら面を打って寄贈し、過去の資料を調べ「手引書」を作成、また中学校にも赴き、生徒への指導をされています。

石野さんは、学校頼みだけでの伝承活動ではいつか限界が来ると感じ、危機感を持って地域の人に取り組んでもらえるよう自主的に保存、伝承活動を始めたそうです。

ふとしたきっかけで、この石野さんと知り合い、昨日直接お話を聞いてきました。

膨大な資料をひとりで調べ作り上げ、手引書も、手書きで丁寧に、踊りのしぐさひとつひとつまで詳細に描かれており、その並々ならぬ熱意を強く感じました。

この「神沢おくない」が来年1月5日、30年ぶりの復活を果たします。

現在では「西神沢老人憩いの家」となっている、万福寺阿弥陀堂内において、中学生による田楽の舞が披露されます。記念すべきこの日には、この記録を残すべく、文化庁からも撮影に来るそうです。

石野氏は、今回の復活が「神沢おくない」の再生につながるきっかけになってくれればとおっしゃっていました。

阿弥陀堂は、寺野の三日堂(宝蔵寺観音堂)、渋川の四日堂(万福寺薬師堂)に対して五日堂を呼ばれていました。確かな文書が残っていず、その発生は定かではありませんが、少なくとも300年近くは続いていたと考えられ、もしかしたら500年以上の歴史かもしれないとのことです。

山深い里での一日限りの復活…山に響く久々の舞の調べは私たちに深い感慨をもたらしてくれそうですね。

(神沢おくないの資料の写しは、石野さんの了解のもと、私の手元にありますので、ご覧になりたい方はお申し出ください)

2008年10月 6日 (月)

北遠・三河の芸能地巡りⅢ・西浦田楽

引佐から水窪に向かった私たちは、途中の佐久間ダムで昼食をとり、次の目的地の西浦観音堂を目指しました。

降り立つ場所、場所でその歴史に触れ、長い時間を過ごしたために、その行程は予定の時刻からかなり遅れて進んでいました。

Nishiura1 観音堂で首を長くして待っていてくれたのは、能衆(のうしゅう)の一人の方。

「能衆」とは、この西浦田楽の大きな特徴の世襲制となっている演者のこと。翁川沿いの七集落の中の十七軒の家の者が、この「能衆」となっており、代々厳格な役割分担を担い、この伝統を守っているとのことでした。

この西浦田楽は、伝説によると、養老七年(779年)に行基がこの地を訪れ、観音像と仮面を奉納したのが創始といわれ、その年に現在の別当家(祭主)の先祖にあたる者が祭礼を始めたのだそうです。

現在は「西浦田楽」という名称が通っていますが、これは近年のもので、現地では単に「お祭り」とか「木の根祭り」とも呼ばれていたようで、その内容も、単に狭義の田楽にとどまらず、田遊び・猿楽能を中心として神楽風の「演目」も含んでおり、「おこない」の芸能というべきもののようです。このため、西浦田楽は、中世芸能のデパートとも言え、貴重な文化遺産なのだそうです。舞には「地能」と「はね能」の二種があり、それらは民間らしく野趣に富むものになっています。

Nishiura2 観音堂は車道から小高い丘へと続く坂を登っていった静かな山間にありました。汗を拭き吹き、枝の杖をつきながら着いた場所は、見晴らしがよく、爽やかな風が吹き抜けていました。能衆の方から貴重なお話を聞き、その中で、バスを運転してくださっている方も能衆のひとりであることがわかりました。こうして、いくつかの能衆の家の方が、他の土地に働く場所を求めて去っていき、その歴史が途絶えていく現実も感じることができました。

祭礼は旧暦一月十八日に行われるそうです。内容も想像以上に豊富なものなのだとわかり、大変魅力を感じましたので、是非当日にこの場所で味わってみたいと思います。

Nishiura3  

帰り道、坂道をしんどそうに登ってくる地元のおばあちゃんお二人に出会いました。「いい所ですね。」と声をかけると、「たまに来る人にはいいところかも知れないけどね…。」との返事。この先も守っていきたい自然や芸能、その裏には厳しい生活環境の中にいる人がいるのだと思うと、少し胸が痛くなりました。

そんな思いを頭の片隅に残しながら、私たちは、いつしか弱い光を放つようになった西の空に位置する太陽に向かって進むかのように、三河の東栄町を目指しました。この様子は次回お伝えします。

2008年4月14日 (月)

神楽と田楽の違いは?

どこかで聞いたことがある…でも一体どんなものなんだろう?と思う言葉がありませんか?

特に民俗芸能ともなると、少し難しい言葉が並びますね。

能や狂言、歌舞伎や人形劇、浄瑠璃などはおぼろげでも概要は浮かんでくるはずです。

では「神楽(かぐら)」とか「田楽(でんがく)」はどうでしょう?

聞いたことはあるけれど、実際にはどんなもの?どういう違いがあるの?と思われる方がいらっしゃるのではないでしょうか?

「神楽は、いろいろな種類がありますが(先のコラムで簡単に説明しています)、一貫した特色は、人々が集まって、神座を設け、これに神を招き、祈祷によって、神事に集うものの罪や穢れを払い、また魂を強化し、長生を願おうとするものです。

神座(かみくら)は、「神楽」の語源とも言われる言葉で、神の依りつく依代(よりしろ)を指し、また魂の清めには祓(はらい)、水や湯を浴びる禊(みそぎ)によってなされます。

Tanada41 「田楽」もいろいろな種類があり(これも先のコラムで簡単に説明済です)、字のごとく、田に関する様々な段階で行われる神事で行われる舞や踊りなどを指し、田を耕し、種を蒔き、苗を取り、田植えを行い、その後の草取りや、鳥追いから、収穫に至るまでの様々な節目で行われています。

歌と踊りで豊作を祈願する「田楽」には、田遊(たゆう・たあそび)や田舞(たまい)、田打ち、御田植えなど、地方によって様々な名称、形態があるようですが、全般的に、素朴で純粋なものが多いような気がします。

農機具を使って踊ったり、狂言のように演じたり、太鼓を打ち鳴らしたり、調べてみると、「神楽」と呼ばれるものより、ずっと広い範囲に及んでいるような気がしますし、しかも「神楽」と呼ばれる神事の中に五穀豊穣を願うものもあり、「神楽」と「田楽」は、ひとつの神事の中で共に行われているところもあるのです。

「御田植神事」は、田植えの前後、ほとんど全国で行われているようですが、本来は実際に神田に入って行うものだったといいます。

ところが、今では殆どが神社の境内などに神田を想定して、田植えの物真似をして田植えの様を演ずるところが多くなってきています。

神事ではありませんが、娯楽のなかった昔には、「田打ち競技」などもあったようで、三本鍬で早く田を打つ競技に当時の若者たちが競って参加したともいいます。

農耕が生活の中心だった頃は、神事も娯楽も同様に同じ場所で行われていた…それほど民衆に密着したものだったと言えそうですね。

一度には書ききれないほど多岐に渡る「神楽」と「田楽」、時にそれらふたつは同じ場所で行われたりもします。

実際にご覧になる機会があったら、その違いももっとわかるはずですので、是非お近くの神事を覗きに行ってみてください

近辺の「神楽系」には、南信州の霜月祭り、三河の花祭りなど、近辺の「田楽系」には、旧水窪町西浦田楽、旧引佐町寺野のおこない、旧引佐町川名のひよんどり、あるいは袋井法多山の田遊びなどがあります。

       (今回の内容の参考文献:「日本の伝統芸能」本田安次著)