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歌舞伎

2008年12月22日 (月)

伊那谷のルネサンス:中尾歌舞伎の伝承活動

2008年のカウントダウンの音がそろそろ聞こえてくる頃になりました。

天竜川水系の民俗芸能をお伝えしていく中で、限界部落での祭の存続の難しさをひしひしと感じています。

そんな中で、長野県伊那市長谷地区での力強い取り組みを知るようなり、元気づけられる思いです。

097_j08_nakaokabuki_2 それは「中尾歌舞伎」の復活と上演にかける地域住民の熱い想い。

発祥は江戸時代、その後消滅の危機にあった「中尾歌舞伎」は、昭和61年「村づくりを進める中で古いものに目をむけ、貴重な伝統を残す必要があると、青年会での話し合いが持ち上がった」ことにより、復活。

一回限りの復活のはずが、住民の大きな喜びを生み、引くに引けなくなり、毎年公演を重ねるようになります。また青年会のメンバーもその面白さに惹かれていき、ついには世帯数50戸あまりの小さな部落に「中尾座」舞台が建設されたということです。

昨今の動きとしては、2008年周辺地域を巻き込んで、「中尾歌舞伎ふるさとおこし協議会」を設立。農林水産業事業「農山漁村地域力発掘支援モデル事業」に採択され、3カ年事業で、中尾歌舞伎のブランド化や物産品の開発、中尾座への博物館整備、オーストラリア・チロル地方オーバンベルグ村での公演と交流を構想しているとのことです。

オーバンベルグ村は、伊那市長谷地区とほぼ同様な人口規模を持つ小さな村です。過疎という概念はなく、美しい自然を守り、地域の文化を誇りにしているその村の人口は100年前と変わらないのだそうです。

何故村人は都会に出ないのか?何故統一がとれた美しい景色を人々は作り出せるのか?何故特徴的な生活が成り立っているのか?

中尾歌舞伎保存会の人々は、この美しい村の人々との交流を楽しみにしているそうです。

伊那で起こったルネサンスの今後の動向を見守ると共に、天竜川水系の他の地域へこの活動が波及していけばどんなにいいだろうとわくわくする思いでいっぱいです。

(参考文献:静岡文化芸術大学 「静岡学」資料より)

2008年10月 1日 (水)

北遠・三河の芸能地巡りⅡ・名残の農村舞台

横尾歌舞伎会館を後にした私たちは、かつて引佐地区に18ケ所もあり、その内現存する10ケ所の農村舞台の中の、いくつかの名残の場所を目指してバスを走らせました。

先ずは谷沢地区。のどかな田園地帯の一角にその舞台はありました。

神社の脇にポツンと建っていたバス亭を見ると、そこには一日たった一往復のバスの時刻表が記されており、なにか不思議に印象に残っています。

Butai4_2 神社を含む境内全体がビニールの屋根で覆われ、大切に守られているのだなと感じました。

舞台は歴史を感じさせるたたずまいで、閉ざされた木戸のために中に入ることは叶いませんでしたが、隙間から中の様子を窺い知ることはできました。 

Butai1_2 この舞台で歌舞伎が演じられることはもうありませんが、時折住民の演芸などを催す憩いの場所として愛されているとのことでした。                                         

                                                               

                                                          

次に向かったのは狩宿(かりしゅく)地区。

Butai6_2 ここの舞台は回り舞台も有するもので、建物自体もしっかりとしたつくりでした。ここも木戸によって中をしっかり見ることはできませんでしたが、木戸の割れた隙間から、ぼんやりとではありましたが、中の様子を感じることはできました。         

                                            

                                           

Butai5_2 舞台の前の広場から石段を登ると、趣のある六所神社があり、上の方から村全体を見守っているような気がしました。

静寂を破るようにバスで乗り付けた私たちを、腰の曲がったおばあちゃんが、いぶかしげに何度も何度も振り返って見つめていた様子が印象に残っています。

折しも、辺りは真っ赤な彼岸花が咲き乱れていました。緑の山々と田園地帯の風景に見事にマッチして、それは心癒される風景でした。                                                                

                                         

                                   

そこから、私たちは西黒田地区の舞台を車中から眺めながら、次の目的地の西浦に向かいました。その様子は次回お伝えします。 

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2008年9月29日 (月)

北遠・三河の芸能地めぐりⅠ・横尾歌舞伎

雨上がりの翌日の秋晴れの一日、9/27(土)北遠の民俗芸能ゆかりの地を巡ってきました。

これは、地元の静岡文化芸術大学の公開講座の番外編として企画されたフィールドワーク。天竜川水系の民俗芸能に詳しい須田教授の説明を受けながらの楽しい一日でした。

須田教授は、常々、天竜川水系が民俗芸能の宝庫ということから世界遺産に匹敵すると言われている方で、以前のコラムで紹介したことがある方です。

Yokoo8 先ずは引佐地区の横尾歌舞伎記念館の見学。ほんの少し足を伸ばしたところにあるのに、初めてその場所に足を踏み入れた私は、その歴史の深さに驚きました。

ここは、昔軽便と呼ばれた電車が走っていた頃、東四村(ひがしよむら)という駅があった地区だそうです。

横尾歌舞伎は、横尾地区の八桂神社、白岩地区にある六所神社の、二つの神社の祭礼の余興としておよそ200年ほど前に始まったものだそうです。この歌舞伎は、大阪から名古屋、新城を経て、旅役者によって伝えられたそうですが、地元の方は実際に歌舞伎の座の中に入り込み、修行を積んで、その技を習得したとも聞きました。

Yokoo9 記念館では地元の方から懇切丁寧な説明を受け、100点にも及ぶ衣装、200点にも及ぶかつら、道具類が大切に保管されている様も見学することができました。衣装の中には100年以上経っているものもあるということでした。

舞台は開明座と呼ばれ、修理を重ねてのものということですが、予想以上に立派な舞台で、大切に守られている様子が窺えました。

長い間継承され守られてきた裏側には、沢山の人々による苦労が隠されているのでしょう。かつて、横尾・白岩地区に生まれ育った青年は、若者組(歌舞伎の担い手のために作られた組)に所属し、舞台に立つことが半ば義務づけられていました。この義務を怠ると風呂焚きなどの制裁が加えられたそうです。

Yokoo10 現在は保存会の人々によって守られているこの横尾歌舞伎…来月にはその公演が次の通り予定されています。今年は小学校一年生による公演があるそうですので、是非その可愛い演技を観てみたいものですね。                                                       

                                                                                  

                           

                                              

                                                      

 平成20年度公演(10/11、12)

    午後6時~  於開明座(浜松市東四村農村コミュニティーセンター)

    浜松市北区引佐町横尾889番地の1    入場無料

    今年の演目予定はこちら

Yokoo7 最盛期には、横尾歌舞伎の開明座を含め、引佐町には18ケ所の舞台があり、その内10ケ所の舞台が現存し、開明座以外では歌舞伎の上演は行われていませんが、そのいくつかは住民の憩いの場として今でも利用されているようです。

開明座を後にした私たちは、次に、そのいくつかの舞台を目にするべく近郊の狩宿、谷沢地区を目指しました。その様子は次回紹介いたします。

2008年2月15日 (金)

山あいの美しい村で守られてきたもの

080 地元の村歌舞伎の話が出ましたので、ここで「大鹿歌舞伎」について触れてみることにします。

信州の南端、南アルプスの麓に、この大鹿村はあります。日本の美しい村に選ばれるほど自然にあふれ、日本の原風景をそのまま残した場所。かの大指揮者小澤征爾氏も愛してやまないというこの村はどれほど魅力があるのでしょう。

この村に、村人たちによって、江戸時代から受け継がれ、戦争時にも途絶えることなく、200年以上大事に守られてきた村歌舞伎があります。しかもその歌舞伎は村人の暮らしに溶け込み、深く愛され続けているもののようです。

先日(1/10)放映されたNHKのドラマ「おシャシャのシャン!」( 第31回創作テレビドラマ大賞 最優秀作 )は、この大鹿村の村歌舞伎がテーマとなったもので、実際に目にしたことのなかった私にも、ぼんやりとその魅力を知ることができました。

会の一人であるI氏は、この村とこの素朴な地芝居を愛し、なんどもこの村を訪れ、この歌舞伎を観て感激されています。

自分の目で、この素晴らしい芸能に触れる前に、I氏の撮られた画像と氏の著作「小道組曲」の中の文を抜粋ご紹介しますね。

(以下I氏の文より)

  大鹿歌舞伎

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 昔、江戸や上方では常打ちの芝居小屋も建ち、芝居見物が最大の楽しみだった。お芝居を観にいく前夜は、晴れ着を前にしてうれしく眠れなかったという。当日は家族そろっていそいそと出掛けた。
歌舞伎はしだいに地方へと広がり、享保期には農民が自分達で演じる地芝居が盛んになっていった。大鹿村でも十三ヶ所の神社に舞台があったという。大河原の前島家に残る文書によれば、に京都の旅役者から手ほどきを受けて始まったという。それほど盛んになった歌舞伎も、熱狂振りを警戒した幕府によって禁止されてしまう。
地芝居が全国的にすたれていくなかで大鹿村は残った。それも隔絶された隠れ里であったからだ。
娯楽とてない日には、歌舞伎こそ最大の娯楽であり、心の拠り所であった。受け継いで二四〇年、ウィーン公演するまでになった。現在、全国百六十もある農村歌舞伎の中で、その名も高き存在である。
大鹿歌舞伎は、年二回、五月三日と十月第三日曜日に上演される。芸能を神へ奉納して心を解き放ち、神と共にいる。

平成十五年の春は大河原地区の大磧(たいせき)神社、秋は鹿塩の市場神社で行われた。十月十四日、市場神社の境内で開幕を待った。ヨーロッパの円形劇場とは違って、ペタッとゴザに座るところがアジア的だ。秋晴れのよい日だった。暑くて手ぬぐいをかぶっている人もいた。
いよいよ幕が開き、「御所桜堀川夜討 弁慶上使の段(ごしょざくらほりかわようち べんけいじょうしのだん)」が始まった。元文ニ年(1737)、大坂竹本座初演、平成十五年(2003)市場神社上演。

 源義経の正室卿の君(きょうのきみ)は、平家の一族、平時忠の娘だった。そのため、平家を滅ぼした後も、義経は兄の頼朝から謀反の疑いをかけられている。忠誠を示すなら、卿の君の首を討てという。そこへ弁慶が現れて、腰元を討つ。この腰元こそ十八年前、弁慶が生涯に一度だけ契った女、おさわとの間に出来た娘であつた。皮肉な運命のいたずら、さすが豪傑無比の弁慶も、悲しみを押し止めることができず、大粒の涙をこぼすのだった。
 おさわがよよと泣崩れるときには、みな感にたえかねて、紙に包んだお花(おひねり)を投げる。舞台めがけて、ヨイショとばかり手元を離れたお花は、すぐ前のよっさの頭にぶつかってしまった。それを拾ってまた投げる。

 大見得を切った弁慶にやんやの歓声、そのとき、「邦ちゃあがんばれや」と間の抜けた声が飛んできた。弁慶の塩沢邦生さんは、ついこの前までバスの運転手だった。役場で事務をやっている子も可憐な舞台を踏んでいる。JAの職員も大熱演。義太夫がまたいい。調子をつけて舞台を 盛り上げたり、愁嘆場では涙を誘う。
 そして客席、六弁のひきだしを取り出して、家族みんなでお弁当をいただく。六段重ねのお弁当だから六弁、お煮しめやら岩魚の塩焼き、とても美味しそう。お弁当を食べているもの、酒を酌み交わしているもの、みんな思い思いに楽しんでいる。前のお
じいさんは、舞台そっちのけで、かつての幼馴じみとしゃべっている。ときどき舞台に目をやって、先のストーリーをどんどん言ってしまう。かつては村の花形役者だったのだろう。こうして、歌舞伎は孫たちに伝え、それぞれの十八番を作っていく。教科書になにが書いてあったか忘れても、「知らざあ 言って聞かせやしょう」と口をついで出てくる。 
 前島家の重子さんは、愛娘の久美ちゃんの初舞台を思い出していた。「奥州安達が原
三段目のお君の役でした。『たださえ寒き冬空に、杖を頼りに歩む雪の道。成さぬが恋の行く末は、勘当されし袖萩のわが子とともに雪の中』。盲目の母の杖をひいてお君が登場してきます。涙の物語でしたが、親としては、はらはらどきどき、無事に終わってくれと祈るばかりでした。懸命に演じる久美のあでやかさ、思わず拍手をしてしまいました」。
三味線がベンベンと打ち鳴らされ、それに合わせて鳥が歌う。お母さんの帽子にちょこんと赤トンボが止まる。囃し立て、うっとりしているうちに秋の日は西に傾いて、急に冷えてきた。

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どうでしょう?村人達の笑顔が目に浮かび、彼らの歓声が聞こえてくるようですね。

私たちの周りでは、とうに見かけられなくなった自然と人との一体感、温かい人と人との繋がりに、思わず郷愁を誘われませんか?

この天竜川水系には、他にも沢山の素晴らしい民俗芸能があります。

なんだか楽しみになってきました。

2008年2月 9日 (土)

近くで息づく芸能

ステップを踏んでドアを開けていくはずでした。

でも、こんな記事を目にしたので、是非お知らせしたくてUPします。

2/5号の広報はままつの特集は「歌舞伎ではぐくむ三遠南信交流」でした。

もう、ご覧になったでしょうか?浜松市に住んでいる方しか見られませんけどね。

まだ見ていない方は是非家の中を探してみてください。

3つの県が接するこの三遠南信地域で、民俗芸能のひとつ歌舞伎の交流が盛んに行われているそうです。

記事は、昨年12月天竜区佐久間町で行われた「第14回三遠南信ふるさと歌舞伎交流大会」について紹介しています。

残念なことに、まだ私は直接目にしたことがないのですが、山深い里へ行かなくても、私たちが住んでいる地域の近くで行われている芸能もあるのですね。

近辺では、湖西歌舞伎(湖西市)、雄踏歌舞伎(西区雄踏町)、浦川歌舞伎(天竜区佐久間町)、横尾歌舞伎(北区引佐町)などがあります。少し足を伸ばせば体験可能な場所に、長い間息づいてきた芸能があったことを再認識すべきでしょう。

有名な村歌舞伎としては長野県大鹿村の大鹿歌舞伎がありますが、村歌舞伎自体、私には今だ未知の世界です。

機会を見つけて、その場で体験し、生の声をお伝えしていきたいと思います。