マスタープラン

団体組織

  • NPO法人
    (特定非営利活動法人)
    雲を耕す会

    (事務局)
    〒433-8105
    静岡県浜松市北区
    三方原町447-23
    TEL/FAX 
    053ー436-5221

魅力ある山里の暮らし

2009年4月 3日 (金)

山の講

2月8日は八日山ともいわれ、山仕事によるケガや炭焼きによる火事にならないように、竹を切って酒を入れたものを木に吊るし、ぼたもちや、そばを供えて1年間の無事を祈願した。
 地域によっては「初山(はつやま)といって1月2日や8日、16日などを山休みにする、もともと8日はケガをしやすいと嫌われていて仕事休みの日にあてていたともいう。この日は仲間同志集って山の神にお神酒を供え、そばや、ぼたもちで振る舞い合って楽しんだ。
 またこの日ワラでつくった龍を村人がかつぎ「参ろう、参ろうオンベ持って参ろう」と唱えながら山を登り、山の神の場所につくと、龍を木に這わせ、大弓を山から里に向けて矢を放ち、直会を山で行う。12月も同じように年2回行うところもある。
  事始め(針供養)
 2月8日は、針供養の日でもあり、折れた針や曲がった針を豆腐に刺して、1年間の針の労をねぎらうお祭りをした。

お彼岸

仏教行事であるが、彼岸とはこちら側の迷いの世界から、向こう岸の悟りの世界へ到達するための教えで、お寺では彼岸会法要がいとなまれる。
 春分の日(3月20日頃)を中日として17日が入り、23日が明け日秋は9月23日秋分の日を中日として20日が入り、26日が明けで、この7日間に先祖供養をする。。ふつうは彼岸入りの前、お墓の掃除をし、仏壇もきれいにして、花と水、菓子、果物を供え、「入りすり焼き餅、中日ぼた餅、明けだんご」を供える。中日のぼた餅(春にはぼた餅、秋にはおはぎという)

2009年2月28日 (土)

ひなまつり

3月初めは暦の上では厄日だったからお祓いのために紙でつくった「ヒトガタ」に供物を供えて川に流す、「ひな送り」が元といわれている。
はじめは女の子の誕生は直接関係なく江戸中期頃から雛人形の商品化と共に全国にひろまった。人形も紙から絵、胡粉塗の飾り雛となり、流し雛の風習から飾り人形を主とした祭りになってきた。
昔は女の子だけの祭りではなく、女の子には雛人形、男の子には天神様の人形を飾って、健やかに育てと祝った。
ひな壇に供える菱餅は、白、草(よもぎ)、黄(くちなし)、赤(紅)と重ね「雪の中から芽が出て、つぼみがふくらんで、花が咲くと解釈されている。Cimg2223

この日は春の初物も採れるので、なるべくごちそうを作り華やかに飾るという。
旬の初煮、魚の煮付、青菜の浸し、わけぎとたにしのぬた、はまぐり汁、白和え等
(魅力ある山里の暮らし:今村純子)

2009年2月 7日 (土)

なた餅

家に厄年の人がいると“なた餅”をついてミの中に半紙を敷いて、わらを十文字において、その上に餅を包んで四辻におく、これをその日のうちに食べてしまうように、近所の人に拾ってもらったり、家まできてもらって全部食べてもらうと、自分の厄を大勢の人に分けるという行事もある。
(魅力ある山里の暮らし:今村純子)

節分(豆まき)2月3日

寒明とか大年越しともいう。竹竿の先に竹の目かごを下向きにして、その上に香花やひいらぎの枝をさす。豆まきの大豆を炒る時も香花の葉とひいらぎの葉を入れて炒り。一升枡に入れて「鬼は外、福は内」と部屋毎に豆をまく、寿司やなます、魚を神棚に供える。
ひいらぎやくろもじの先に、いわしの頭を刺して、門口において、にんにくやヒルなどの臭いの強いものを添えて「畑の虫もジーヤ、ジーヤ、やいかがしの候」と唱えて厄払いをする。
豆まきの豆は、雷よけになるといわれ、一部を白紙に包んでとっておき、雷がなった時に食べるというところもある。
(魅力ある山里の暮らし:今村純子)

2009年1月25日 (日)

お正月料理(2)

1月15日、小正月(もちい)は、神様に供えた餅やまゆ玉を小豆入り(栗餅のところもある)の粥にして、神仏に供えて食べる。箸でふうふう吹かないように食べると福がにげないといわれている。また吹いて食べると台風がくるともいわれる。神棚に供えた小豆粥は、果樹の豊作祈願に使い、柿の木を鉈でたたきながら「成るか成らぬか 成らなきゃたた切ってうちゃるぞ」「成り申す、成り申す」と唱えて小豆粥をその傷口に塗る。Photo

ニュウ木(おにぎ)も1月15日で、門先きや、家の神様や道具をまとめた所に樫の割木に12月(月の数)をうるう年は13月と書いて、ニュウ木を立てて邪気の入るのを防いだ。
同じく道具の年とりといって、鍬、鋸、鎌、鉈、臼、ふるい等、日常使う道具をゴザの上に並べてニュウ木を立てて感謝する。
またこの日は、山の神講でもあり、村全員集まって夜明けをまって、お茶飯、煮〆を供えて山の安全を祈願した日でもある。また馬頭観音祭をするところもあり、お洗米、野菜、お神酒を供えて交通安全を祈る。
15日は、氏神様に紙の花を供え、お赤飯、煮物を供え女性を仕事から解放する。女正月でもあるといわれている。
1月20日は、初えびす、掛魚を上げて、えびす様を祀り、お札をとり換える。大根菜の菜飯を炊き、木の芽田楽をつくり、この日で正月は終わる。
(魅力ある山里の暮らし:今村純子)

2009年1月 4日 (日)

お正月料理(1)

1月9日は、金ぴら様で村の青年がお宮に集まっておこもりをし、番茶で炊いた御飯をたべる。
1月11日は、鏡開き、お供え餅を手や木槌で割って、お汁粉やお雑煮にする。またこの日は蔵開き日でもある、そして田打講(打ち初め)の日でもあるので、家の主人が、日の出前に田に行って、その家の男1人3本のすすきの穂(笹竹や男松)に御弊をつけて、堀り起した3株の山にさして、干し柿や餅、お洗米を供えて豊作を祈る。
1月12日、水神講、水の神におむすび、煮〆、酢の物、等供えて、お経をあげる。
1月14日、年神様、わら縄2本を両方にしばって、その上に板をのせて、お神酒、お洗米、里芋12個、大根2本、人参2本、鯛(鮒)を供えて家内安全を祈る。
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またこの日は、どんどん焼の日でもあり、長新竹に、わら束を巻きつけ、上の切り口には松の枝を立てて、さるぼぼや小だるまをつけ、真中の松の先にはおかめの面を両側につけて、わら束には書きぞめや絵等をつけて、お正月飾りやダルマ等積み上げて、和尚のお経と共に燃やす。昔養蚕の地域ではまゆ玉を用いたそうだが、一般には花飾を柳の枝につけ、床の間に飾って赤飯を炊いて男の子の元服を祝ったところもある。
どんどん焼きの火で花餅を焼いて食べると無病息災といわれている。
(魅力ある山里の暮らし:今村純子)

2009年1月 3日 (土)

おせち料理

お正月三ケ日はゆっくり仕事休みが出来るようにと用意したのがおせち料理、昨今ではこれほど丁寧にお重詰めする家ばかりではないが単品では用意している。
一の重には、「祝い肴」の数の子、田作り、黒豆、かまぼこ、だて巻、きんとん等々、
二の重には、「酢の物」で水引きなます、しめ魚、酢だこ、ゆず釜等、
三の重には、「焼き物」で鳥の照り焼き、松風焼、わかさぎのから揚げ等、
与の重には、「煮物」で人参、ごぼう、黒豆、しいたけ、れんこんのうま煮や昆布巻き等、健康でまめになるようにとか子宝に恵まれるようにとそれぞれ願いをこめて用意する。
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正月2日の晩には「悪病」がすべり出るようにと、「とろろ汁」を食べる風習があるが、そのだし汁が地域によって様々で、「しいたけのだしにきまってらー」というところと「サバだしでなければ」「そりゃカツオ節と昆布」だとこだわっていた。
1月4日の初山は、山に行って御弊を飾り、お饌米と餅を供えて山の神様を祀り、山仕事の無事を祈る。木の初伐りや下草刈り、もや採りなどの初仕事をした。
7日の七草(セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロ)をすりこぎやしゃもじでたたきながら「唐土のとりが日本の国へ渡らぬ先に‥‥‥」と3回唱えて、「七草粥」をつくって1年の健康と無事を祈った。
この日は三ケ日も済んで、主婦達がほんとうにゆっくり出来る正月だった。
(魅力ある山里の暮らし:今村純子)

2008年12月30日 (火)

正月飾り

年神様が降臨し、宿るための松飾りや連飾り、輪飾り等を玄関やかまど、井戸、農機具や車等に飾ります。
(魅力ある山里の暮らし:今村純子)

2008年12月26日 (金)

餅つき

12月28日か30日には、餅つきをして鏡餅やのし餅、大福餅をつくります。29日は苦餅、31日は一夜餅といって餅つきはしない所もあります。Photo

(魅力ある山里の暮らし:今村純子)

2008年12月21日 (日)

大掃除

12月中旬頃は、今ではほとんど見かけなくなりましたが、煤払いといって、家中のタタミや家具を外に出して、新しい笹竹で、家中の煤を払い落としてきれいにしました。
(魅力ある山里の暮らし:今村純子)

2008年12月19日 (金)

冬至

12月22日頃の冬至には、健康で年越し出来るよう願って、柚子湯に入ると風邪をひかないとか、カボチャを食べると中風にならないといい伝えられています。
(魅力ある山里の暮らし:今村純子)

2008年12月14日 (日)

地の神様

12月15日は地の神様を祀って、家屋敷の守護を祀ります。戌亥の方向にわらで屋根を作り、新しいわらで「あわび結び」にしたものに赤飯や油揚げ、煮魚など供えます。
(魅力ある山里の暮らし:今村純子)

2008年12月 3日 (水)

神迎え

12月1日は、出雲から帰った神様を迎える行事です。「さぞ寒かったろう」と手を暖めてもらう様に、毛芋(里芋)を蒸し、熱いうちに神棚に供えます。
「そばのねっかき」といって、土なべに米と水同量を入れて、煮立ったら弱火でコトコト煮てそこに、そば粉を少しづつ入れてよくかき混ぜます。熱いうちに、しょうがじょうゆで食べます。
(魅力ある山里の暮らし:今村純子)

2008年11月26日 (水)

恵比寿講

新暦では10月19日、20日と、月遅れの 11月19日、20日は、八百万(やおよろず)の神達が男女の縁組み相談に出雲へ行くのでその留守を守るのが、恵比寿様や大黒様、荒神様で、恵比寿様祀り、もてなして商売繁盛五穀豊穣を感謝する行事です。
「おいべっさん」といって、葉付大根(二股大根を使う家もある)とにんじん、赤飯と御頭付きの生魚(メダカやフナ)を水鉢に入れて供えます。この時、荒神様や大黒様にも供えます。
(魅力ある山里の暮らし:今村純子)

山の講

11月7日は、山の神様をお祭りします。お神酒とぼた餅をお供えして山仕事の無事をお願いします。この日は山仕事を休みます。
(魅力ある山里の暮らし:今村純子)

2008年10月27日 (月)

亥の子節句

旧暦10月の亥の日、亥の刻に餅を食べ、無病のまじないをします。亥の子の神は田の神と信じて、収穫を祝い農機具に感謝する日でもあります。大きなぼた餅を一升桝の中に入れて神様に供え、この餅を食べると、万病を除くと言われました。
亥の子が年に2回ある時は一升桝に2個、3回のときは3個入れるとも聞いています。
(魅力ある山里の暮らし:今村純子)

2008年10月21日 (火)

神送り

出雲へ旅立つ神様を送る行事で、お弁当として赤飯を炊いて、わら苞に詰めて神前に供えます。赤飯をわら苞に入れて大黒柱にしばる所や、重箱にぼた餅を入れて新しい風呂敷に包んで供えるところ、また旅費としてお金を添える所もあるようです。102251711

(魅力ある山里の暮らし:今村純子)

2008年10月 9日 (木)

いも節句

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10月9日は里芋を皮つきのまま蒸して、皮をむいて串にさし、焼きみそだれをつけて食べます。
(魅力ある山里の暮らし:今村純子)

田の神送り

10月1日は田の神が山へ帰る日といって1年間の恵みに感謝して、ぼた餅をつくって神棚に供えたり、近所にくばったりしたところもあったそうです。Botamoti021

(魅力ある山里の暮らし:今村純子)

2008年9月20日 (土)

お日待ち

地域の人々が集って、その土地を守ってくれる神様に感謝して収穫祭を行うため、のぼりを立てたり、灯籠に火をともして、村の人達が集って、ごちそうを食べ合うお祭です。
日待ちとは、日の出を待つという意味で、昔は朝まで歌い踊り、飲み明かしたそうです。
(魅力ある山里の暮らし:今村純子)

2008年9月17日 (水)

お月見 9月15日

旧暦八月朔日から15日目の満月の夜を十五夜といい縁側などにすすきの穂と萩の花を飾って、へそだんごと里芋や栗、さつまいも、小麦まんじゅう、旬の野菜を供えて、初物の収穫に感謝します。
(魅力ある山里の暮らし:今村純子)

2008年9月13日 (土)

「民の暮らしクロスロード市」によせて

★間伐材の有効利用が日本を救う!!

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私は日本の山がこれほど荒れ果てていることを、全く知りませんでした。
「木を見て森を見ない」という成句がありますが、縁あって長野県の山に入ったとき、「森を見て木を見ていなかった」ことを痛感しました。遠目から見れば、みずみずしい緑をたたえているのに、一歩山に入ってみれば、痩せた土地に伸び放題のからまつ、放置されたままの雑木、雪などで起こる自然倒木、山鹿に食い散らされた幼木……。日本はこのまま壊れて朽ちてしまうのでは?と危機感をおぼえました。
東京に住んでいるから……というのは、単なるエクスキューズにしか過ぎません。
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山の手入れ方法を調べていくうちにわかったこと。それは間伐材の有効利用が日本を救うということです。林業関係者は、経済的体力がなくて現状から動けません。「誰かがやるんだろ」と思っていても、儲からなければ誰もやりません。個人の力だけでは太刀打ちできないのが日本の「山」なのです。
だが私はどうしてもやりたい。やってみたい。手入れして水や空気を美味しくしたい。皆さんの共感が力になります。そして未来の子供や孫に、確かな山を残していきませんか?
(INAKAX応援団 特定非営利活動法人 緑化推進環境改善協会 理事長 竹垣英信)


2008年9月10日 (水)

山と海を結んだ光の物語

★今につながる火灯り通信
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帰り際の尾根沿いにふと気になる???なんでこんなところに、つるつるの緑の石が???しかも2つも???。
ここらは空気に触れて風化するとボロボロに砕けやすい岩である。こんな緑色の固い1mもするような石などない。しかもこの滑らかさは、水に洗われた痕だ。

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よくよく見ると龍堂奉納、もう一つの石には竜堂奉納と書いてある。奉納者の名前や住所もあるようだ。おそらくは海か川の信仰と結びつきがあるのだろう。こんな重い石を高い山の上まで担ぎ上げた。それは山への信頼の感謝の証とも感じました。
古代に思いをよせる。危険な漁をする海の民。それを遠く見守り、火で情報を光通信した山の民。火がお互いの信頼をつないでいた。さらにこの地は、光を名に冠する山と神社がいくつもある。そこは今でも海の民の信仰の場でもある。おそらくは、海の安全を守るためにかがり火をたいて知らせた、光通信の場であり、やがて人が常駐し、神社となっていった。
今一度、古代から火で信頼を育んだこの地で、心と心の信頼のネットワークを結んでいきたい。そのために、火灯り通信復活のための研究団を組んで、一緒に、古代の火のつながりを復活させましょう。(おわり)
(INAKAX広報団 鈴木猛史)


2008年9月 9日 (火)

山と海を結んだ光の物語

★山と海を結んだ鏡岩
敷地のガケに一本の大木が生えている。何年か前、この木を分けてもらいにきた人がいたらしい。その人は御前崎の人であった!。海の人の信仰が深い山。そう、ここは海とのつながりがある山なのだ。
光明山から見える海。遠州灘、駿河湾はよい魚場だった。焼津などでは釣りにでなくても、魚がピチピチと陸に飛び出すこともあったらしい。
その一方で、潮の流れが速かった。危険な旅や漁をするには、自分の位置を常に確かめるために、海岸の大木を目印にしたり、遠くの山で判断したりした。
山には大木が生えていて、目印にしたという。また、その大木に松明をつけていたという。いつしか大木は信仰の対象になり、お寺になっていったのだろう。
光明山遺跡には奥の院がある。そこには屏風のごとく切り立った山を登らなければならない。焼けなかった奥の院は、今の光明寺に移築されたので、今は切り立った岩のわずかな空間となごりの石があるのみである。
その奥の院の上には、鏡岩があるという。僕は小さな石を想像していた。いやはや、それは巨大な岩であった。周りは木々に覆われているのにそこだけぽっかりと空間がある。岩と岩の間に空間がありそこから下を覗いてみると、真ん中がへこんでいるのであろうか。しかし、大きすぎていまいちよく見えない。話しによるとこの下でかがり火を焚いていたという。さらにこの岩をみがいていたという人が現存している事実!。
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かがり火は岩を照らし、輝いたことだろう。この鏡岩が光ると魚がとれないという伝説がある。鏡岩は東方を向いている。御前崎につながりがあるのも分かる。
おそらく山のほうが天候の変化が分かり、風向きが分かり、それを光で知らせていたのだろう。時には灯台のように船が迷わぬように光で誘導したのか。(つづく)
(INAKAX広報団 鈴木猛史)

2008年9月 7日 (日)

山と海を結んだ光の物語

★光明山遺跡
光明山の頂上からはやや北東北の平らな所にある。ほぼ南を向いているその敷地には、かってお寺が建っていた。今は火事で焼けて、跡地が残っている。その灰には金粉が入っていたという記述もあり、りっぱな建物があったのだろう。
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遺跡に立つと眼下は急なガケ。その先には低い山々がつづき、平野部がみえ、その先は太平洋がみえる。標高500mは、そんなに高い山ではないが、見晴らしはよい。
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遺跡は赤石の石垣が積まれている。はて?この近辺に赤石など産しているのだろうか。赤石山脈の端っこだから、あるにはある。でもこんなにたくさんの石は??。
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おそらくかなりの労力で集めて運んだことだろう。しかもよくみると隙間なくきれいに積まれている。近年、直されたと思われる部分に比べると分かるが、いい仕事をしている。重い石を遠方より担ぎ上げて積み上げた。それだけ信仰の厚かったお寺であった。(つづく)
(INAKAX広報団 鈴木猛史)

2008年9月 3日 (水)

山里が21世紀の地球を救う!?

★志向を満た田舎す山里の豊かな資源Photo

こうした地球や人体に必要なマイナスイオンは、滝、森林、田畑及び木造や土壁の住宅などに多く存在するのですが、これこそまさに田舎=里山なのです。つまり、我々の暮らす山里は「マイナスイオンの宝庫」であり、プラスイオンが多い都会でITやソフト開発といった知的生産に従事する人達に田舎志向が多い傾向にあるのは、DNAがマイナスイオンを求めているのかもしれません。換言すれば、知的な生産活動にはマイナスイオンが不可欠なのです。
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さて、20世紀の反省から21世紀は、「循環境型社会」が提唱されています。私達が暮らす山里は縄文時代から「循環境型のライフスタイル」(=エコ的でオガニックな生活)を培ってきました。こうした「民の知恵」は「IT社会の普及」と「時代のニーズ」から循環境を資源とする「新市場」を山里に創造するばかりでなく、マイナスイオンに育まれた山里は知的生産性も高く、「21世紀型のベンチャー」を創造する集積地にもなりえます。ひょっとしたら、山里の資源(エコ・オーガニック=民の知恵やマイナスイオン)の活用こそが「21世紀の地球を救う」なんて壮大なロマンを感じるのは私だけでしょうか・・・。
(おわり)
(INAKAX広報団 川島正光)

2008年9月 1日 (月)

山里が21世紀の地球を救う!?

★文明的経済発展の代償
Cimg001220世紀は、著しい科学の進歩と目覚しい産業の発展を遂げましたが、その代償として地球の自然回復力を損ないました。こうした環境破壊は、地球を「プラスイオン化」させ、「プラス:マイナス=1:1.2」だった地球のイオンバランスを僅か1世紀足らずで「1.2:1」と逆転させてしまったのです。
 こうした環境破壊の代表的な存在とも言えるプラスイオンは、排ガス・ダイオキシン・農薬・食品添加物・電磁波など環境を悪化させるものが起因して増えるもので、環境や人体を「酸化」させる作用があり、ガンやストレスやアレルギーの元凶で「万病の元」とも形容されています。
 対照的に関連商品のヒットや医療分野でも活用されているマイナスイオンは、酸化の防止・細胞の活性化・毒素の排出・体質の改善・鎮痛(癒し)・浄化・消臭・分解などの「還元」的な作用があり、様々な分野から脚光を浴びています。(つづく)
(INAKAX広報団 川島正光)

2008年8月31日 (日)

「地で癒す!」古代からの民の知恵

★「地の癒し」ミステリースポットをフィールドトリップしませんか?
Photoこの北遠にも、青崩峠からホウジ峠を通り、渥美半島に抜ける中央構造線が通っています。地殻変動の巨大なエネルギーがぶつかりあって出来た中央構造線。その中央構造線から湧き上がるとされる、「大地の氣」を全身で味わってみませんか。
 自然との共生からうまれた“智慧”暮らし北遠には、自然生態系と調和する人間の智慧が残っています。21世紀の新たなライフスタイルの提供を可能とするために、経済優先の価値観から精神的価値観への移行が求められています。自然生態系のシステムを壊すことなく、人間の生活の中に再度取り組んで、自然から学んだ智慧を取り戻すことが、新たなライフスタイルに必要な要素になると思います。
 地球のエネルギーを全身で味わい、ときには瞑想し、心と身体の緊張を取り除き、五次元のエネルギーを自由自在に取り込んでゆく。身体一杯に「氣」を満たし、身体の細胞のひとつひとつが活気付き、五感が研ぎ澄まされ六感が冴えて来る。そして、潜在能力が引き出されて人生勝利への道を歩むのです。(おわり)
(INAKAX広報団団長・本島慎一郎)


2008年8月30日 (土)

「地で癒す!」古代からの民の知恵

★気功の大家がお墨付きをつける古代のミステリーゾーン
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十数年前、南信州(長野県南部)の地元有志で、氣功の大家・張志祥さんを中国より招き、中央構造線上を歩いてもらったところ、長野県長谷村と大鹿村の境にある文杭峠(ぶんぐいとうげ)で、「氣の場」を見つけました。
 張志祥さんは、中国政府が公認した唯一の科学的な氣功団体・元極学会を率いる人で、中国では、断層上にある武漢に近い蓮花山を活動拠点としています。張さんは、「ここは、蓮花山と同等か、それ以上の氣の場だ」と、地元の有志に明言したそうです。
 私(筆者)も、早速、「中央構造線の謎を探る会」事務局を務める永福屋伝兵衛さんに案内をしてもらい、文杭峠に行ってきました。車を降り、山道を一歩入ったところで永福屋伝兵衛さんが、「本島さん、何か感じない?」と両手を広げながら言いました。私も永福屋伝兵衛さんの真似をしながら両手を広げ、大氣を一身に受けてみました。何と「氣のせい」ではなく、「氣」を感じたように思いました。「大地の氣」は、断層上の特異点にあり、このような場所はゼロ磁場であることが多く、ゼロ磁場には、マイナスイオンが流れ込み、疲れやストレスを取り除き免疫力を高める効果があるそうです。(つづく)
(INAKAX広報団団長・本島慎一郎)

2008年8月29日 (金)

「地で癒す!」古代からの民の知恵

★なぜ北遠が「癒しの休日」人気スポットだったのか?
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なぜ、北遠が人気の古代のミステリーポイントだったのでしょうか?
 ふる里北遠には
どこまでも澄みきった
 コバルトブルーの空と
 やわらかな香り漂う
 エメラルドグリーンの森と
 濁りなく潤う
 セルリアンブルーの水
 母の愛で包まれた
 ベネチアンレッドの大地がある
 透明な光の中で
 コロニアルエアーを醸し出す
 溢れんばかりの豊かな天然資源
    どう活かす21世紀のために…
広々とした空間が、人をゆったりさせ、気持ちを落ち着かせてくれます。
(ちょっと詩人はいっていますが、掛け捨てなく本当に素晴らしいところです)
 修験=「心と身体のエステ」として、特に北遠・塩の道は庶民の人気スポットでした。特に修験者たちはこの地をこよなく愛し、多くにその伝説を残しています。明治時代の政策で解散を余儀なくされた主権者たちは、この地を離れたくなく最後までねばったといわれるくらい、人気のスポットだったのです。
 実はそれには理由があるのです。静岡県・北遠には、巨大断層・中央構造線が走っています。中央構造線にはさまざまな謎=「古代のミステリー」が残っています。中央構造線は、長野県諏訪を折り返し点に東は茨城県、西はこの地静岡県・北遠を通り、愛知県・渥美半島をぬけ、紀伊半島、四国、九州熊本をへて東シナ海に抜ける、まるで日本列島を南北に縦断する背骨です。中央構造線の地層にその秘密が隠されているのです。
 日本最古の塩の道といわれる静岡県で中央構造線に亀裂が走ります。それが赤石列線といわれ内陸部と海をむすぶ塩の道になりました。静岡県・北遠とは中央構造線が2つに分かれるちょうど真ん中にあるのです。民の古道として最古に発達した静岡県・塩の道は、真っ直ぐに大地の亀裂=350キロの活断層が生んだ自然が建立した天然の道=古代のハイウェイ?になったのです。
 400年の歴史がある江戸と京都をむすぶ東海道に、南下してぶつかる最古の塩の道が交通の便からいっても、町人にとって「心と身体のエステ」=修験スポットとして人気を博したのはいうまでもありません。(つづく)
(INAKAX広報団団長・本島慎一郎)

2008年8月28日 (木)

「地で癒す!」古代からの民の知恵

古代より名だたる修験道・塩の道は、民の信心厚い「心と身体の癒し」の人気スポットだった!!

★温泉だけが、体を癒す自然の力ではなかった!
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古代のミステリースポット、静岡県・北遠を訪れる人の中に「ストレスがたまるとここに来るんですよ」と言う人がいます。そうなんです。江戸時代には庶民の間では、日本で一番古い民の道といわれる静岡の塩の道は、修験の人気スポットでした。
いまでこそ、修験に道がついて修験道という宗教性つよい意味合いとして「修験」が知られていますが、実は「修験」というのは庶民の間では心と身体を癒すリフレッシュ休日をそう呼びました。町で暮らす人々が、町で身体に染み付いたもろもろのストレスを洗い流すために山の中に入り、ただ、ただ身体の思うままに歩く・・・しばらく歩くうちにもろもろの雑多なもの=しがらみや欲や悪しき癖などが消えてゆき、自分の身体だけが最後に残る。
☆ 自分と身体が一体になる!
☆ ありのままの自分と理屈なく再会できる!
☆ リセットできる!
そして、すっきりして町に帰ってゆく、明日を町でがんばるために・・・それが修験、民の暮しの知恵休日「心と身体のエステ」だったのです。
( INAKAX広報団団長・本島慎一郎)
(つづく)

2008年8月11日 (月)

調理器具の手入れ

普段、きれいにしているつもりでも、夏は更に気をつけたい調理器具
◎ まないたの殺菌は、野菜のゆで汁を、そのまま捨てないで、まないたにかける事を習慣づけるとよい。また時々は日光消毒を。
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◎ 包丁の手入れ スカッと切れる包丁は、調理がしやすい。大根の切れ端にクレンザーをつけて、こすると油汚れもさっぱり切れ味がよくなる。
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◎ 食器の油汚れは、お茶がらでこするときれいにさっぱりします。洗剤ばかりにたよらないで!!
◎ ビンの汚れは、卵の殻を細かく砕いて、水を入れよく振り洗いすると、簡単にきれいになる。
◎ 急須の注ぎ口が茶しぶで汚れると、スポンジでも、歯ブラシでも洗いづらくて困ります。そんな時ストローの先を6等分に切って、注ぎ口から差し込んで、シャカシャカとこすると、おどろくように汚れがとれる。きれいな急須でおいしいお茶を。。(魅力ある山里の暮らし:今村純子)

2008年8月 6日 (水)

夏野菜の王者“なす・きゅうり”

夏に欠かせない、なすは調理法も“生で”“漬ける”“炒める”“煮る”“焼く”“蒸す”等々どのようにも食べられる万能食材です。その場合生姜を一緒に使うとなおよい。
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「本草細目」によれば“血を散じ、痛みを止め、腫れを消し、腸を寛にする”とあるように、血圧を下げ、毛細血管を若返らせるといわれている。またビタミンA、B1、B2、CやPもたくさん含まれていて、特にビタミンPは血圧を下げる効果があるとか。
民間療法でも、なすのヘタを干して、煎じたのは産後によいとか、ヘタを黒焼で歯をみがくと歯痛や歯槽膿漏の予防になるといわれる。
また、きゅうりは水分が86%といわれるが、ミネラルやビタミンCが豊富で、漬け物、うりもみ、サラダには欠かせない食材で、夏の暑さ負け予防にはなくてはならない。また、きゅうりをうすい輪切りにしたり、すりおろして肌にはりつけたり、ぬるとスベスベしてくるし、しみやそばかすも、芯の部分で、毎日根気よくこすると、うすくなる。その他、ぬか漬けは整腸作用を高める。(魅力ある山里の暮らし:今村純子)

2008年7月25日 (金)

土用の丑

立春、立夏、立秋、立冬の前の18日間を土用といいます。特に立秋前の土用を指しています。土は物を変化させるものですが、土用の天候によって秋の収穫が左右される程、重要だとか、生活の変化に伴い健康に注意しなければならないと古くからいわれてきました。
土用の間に丑の日は2回ありますが、この日うなぎをたべると「夏バテしない」とか、「しじみを食べると滋養になる」「小豆を食べると夏病みしない」「薬草を入れて入浴した」「お灸をすえると効き目がある」といわれました。また「土」の日ということで土木工事や庭いじりは避けた方がよいといわれます。
(魅力ある山里の暮らし:今村純子)

2008年7月16日 (水)

送り盆(送り火を焚く)

精霊送りは仏が帰るので、お供えした盆棚のものや盆花など一切をまとめて、昔は川に流したそうですが、今は川原で焼いたり、地域によっては、まとめて焼却するようです。
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(魅力ある山里の暮らし:今村純子)

2008年7月12日 (土)

孟蘭盆会

盆と正月、昔はだれもが指折り数えて待った休暇でした。
正月は年のはじめに1年の無事と豊作を願う豊作祭の性格が強いのに対し、盆は先祖供養の祭りです。夏の収穫物である野菜、くだもの、麦類など供えて感謝します。
盆行事は「孟蘭盆経」という仏説が基になっていて、お釈迦様の弟子の1人日蓮が神通力で亡き父母の様子を見たら、母が生前犯した罪のため、餓鬼の世界に堕ちて苦しんでいました。
日蓮はお釈迦様に話したら、多くの弟子たちのきれいな心で供養すれば救われると教えたそうです。そこで弟子たちと7月15日に百味の飲食物を捧げて大法要を行ったところ、母を救うことが出来たのだそうです。
先祖だけでなく、無縁仏も供養するのはこうした死者の魂を救う行事だからだそうです。
(魅力ある山里の暮らし:今村純子)

2008年7月10日 (木)

迎え盆(迎え火を焚く)

13日の夕方は家族で迎え火を焚いて仏を家に迎えます。
盆棚づくりや盆花の用意は11日~13日までに済ませます。地域によってそれぞれ多少の違いがありますが、我が家の先祖をおまつりする大切な行事、時代が云々といわず、若い人達には親の役割として伝承したいものです。Cimg0898

(魅力ある山里の暮らし:今村純子)

2008年7月 7日 (月)

盆の入り

7月(8月)1日は「地獄の釜の蓋が開く日」といわれ、仏様達がお帰りになる道を作るため、墓の掃除をし、ダンゴを作って仏壇に供え、夕方は火を焚き始め提灯を飾ります。Cimg1371

(魅力ある山里の暮らし:今村純子)

2008年6月 3日 (火)

山菜の食べ方

山菜の中にはその後、人々の手によって、意図的に栽培種になったものもあるので採取には注意してほしい。
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「ワラビ」
下処理は、根元の堅いところは切り落とし、容器に入れて、ワラビ1kgに対し、熱湯8カップ位に木灰半カップ又は重曹3g(小さじ1)を溶かして、ワラビの上からそそぎ入れ、皿などで押ブタをして、一晩位おく、もし苦味が残るようなら、真水でさらすか、一寸ゆでるとよい。
調理法は、アク抜きしたワラビは、きれいに洗って、普通に煮物、和え物、炊き込み御飯、お浸し、酢の物、汁の実なんでも幅広く使える
「フキ」
下処理は、ナベに入る長さに切って、煮立った湯の中で7~8分間ゆでる。ゆで上がったら冷水にとって、さましてから皮(すい)をはぐ、そして、しばらく水につけてから調理する。
調理法は、煮物、油炒め、酢煮、等々だしを効かせて煮るとおいしい。なお細いものは、下処理で皮もむかず、そのまま食べやすい長さに切り、さとう、しょうゆを煮立てた中にフキを入れ、沸騰したらそのまま一晩おいて翌日唐辛子とさとう又は水飴など入れて、トロ火で汁がなくなるまで気長に煮詰めてキャラブキにする。(魅力ある山里の暮らし:今村純子)

2008年5月29日 (木)

山菜の楽しみ

山菜が豊かに野山をにぎわす時期になってきた。以前は山の人々の特権のごとく、誰でもその時期になると採取したものだが、今は地元でも採る人もなく忘れられていると聞く、むしろ都市部から自家用車で訪れる人々の勝手なマナー違反に悩まされる声を耳にする。私達の祖先が、永年かけて“食べられる事やおいしい食べ方を伝承してきた山菜”を見直してみたい。
山菜の共通した特徴は、淡白であると同時にアクが適度にあって、独特の持ち味がある。高齢の方なら誰でもご存知と思うが、一寸思い出すだけでもあげてみるとPhoto

ワラビ、ゼンマイ、フキ、フキノトウ、ヨモギ、ミツバ、ノカンゾウ、ノビル、ミズナ、コシアブラ、クサソテツ、オオバギボウシ、ウコギ、イタドリ、サンショウ、シオデ、ジュンサイ、シュンラン、スベリヒユ、タラノキ、ツクシ、タンポポ、ハナイカダ、マタタビ、コゴミ、ヤマイモ、モミジガサ、ユリノネ、ヨメナ、カタクリ、ウド、アザミ、アサツキ、タケノコ
順不同であるが、このようなものを探す山歩きはたのしい。(魅力ある山里の暮らし:今村純子)

2008年5月23日 (金)

野山の中で

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“土と水と太陽”は輸入出来ない。
そこにしかない、自然の恵みたっぷりの山のくらし。現代文明社会の中では、一寸不便さを感じる若者には敬遠されがちでも、そこに暮らす人々がなんと温和で、誰にでも親しみやすい人柄の多いことか。これは、きっと育つ、暮らしている環境がそうさせていると面えてならない。
今、忙しく生きる若者に云わせれば「そんな呑気なこと云ってられない」と、叱られそうだが、忙しい中でも時には「ほっ」とした時間がほしいと思う。だから今、山へ、山へ、緑と癒しを求めて自然や涼を求めて出掛ける人々が増えている。
で、そこで一寸気になるのは、町中から一日、二日訪れる人々に、気づいてほしいのは、普段そこに住んでいる人々の日常の守り、管理があって、楽しませていただける恩恵を感じなければならない。あたかも、この自然は当然、あたり前と思うのは、日頃、管理している地元の皆さんに申し訳ない気がする。
自然を守り、来た時よりも美しく、はどこでも共通するマナーとして守りたい。(魅力ある山里の暮らし:今村純子)

2008年5月16日 (金)

山里のおばさんは誰にでも親切

「私は嫁にきてから、家と畑の往復だけで、他にどっこにも行ったことはないわいね」という、80代のおばあちゃん。そう云いながら、グチひとつ云うこともなく「あんたどこから来ただね、今、ちょうど出来たで、これ食べるかね」と、おいしそうな、あんこのたっぷり入った“蒸しまんじゅう”を、にこにこしながら出してくれる。まるで待っていてくれたように、タイミングよく、誰がいつ行っても、こんな調子でとても感じよく話し相手になってくれるCimg0556

昔からの習慣でいつでも手軽に、煮物でも漬け物でも、乾物でも、おやつも、なんでも手まめにつくることが、日常作業となっている。頭が下がる思いがする。今ならまだ、こんなおばあちゃん達の技術が残っているので受け継いでおいてほしい。
昔は行事食から家事一斎の諸技術は、姑から嫁へ、地域の諸行事も含めてインターンのように受け継がれてきたのであるが、今は別居生活が多く、そのようなチャンスに恵まれない人が多いので地域らしさがうすらいで残念に思う。
しかし、中には同居しながらしっかりと、お姑さん相手にいろいろ教わって、楽しく仲良くその技術をマスターしている素敵なお嫁さん達もいることは、数少ないながらうれしいことである。
そして、おじいちゃん、おばあちゃん相手の孫達も、また自然の中でのびのびと生活の知恵をもらって大きくなっている。


2008年5月12日 (月)

まんがらい

まんがとは農具のことで田植えが終ると、農具を洗って手入れすることを「まんがらい」といって、お供えものをあげて農作業の労をねぎらいます。Cimg1027(魅力ある山里の暮らし:今村純子)

この写真は爆弾あられをつくるもので記事とは関係ありません。子供時代が懐かしく載せました。


2008年5月 9日 (金)

早苗ぶり

田植えの終った農休日です。今でこそ田植は機械植えですが、昭和の時代までは手植えでした。田植の終った後は、肉御飯、寿司、白むすび、カツオの刺身、小麦まんじゅうとご馳走が楽しみでした。Cimg1034

その土地のお庚申様にも我が家の苗を供えて豊作を祈りました。
(魅力ある山里の暮らし:今村純子)

2008年5月 6日 (火)

端午の節句

5月5日は、はじめての男の子の誕生を祝って、鯉のぼりや吹き流しを立てて、五月人形を飾って祝います。菖蒲やかしわ餅を供えて子どもの成長を祝います。Cimg0924

菖蒲とよもぎを軒先きに刺して厄除けをします。この菖蒲を風呂に入れて、菖蒲で身体をなでて無病を祈ります。かしわ餅、もろこしかしわ餅、げんるり寿司などつくって食べます。
(魅力ある山里の暮らし:今村純子)

2008年4月29日 (火)

年中行事からみる山の暮らし

以前、山のある集落で代々伝わる年中行事について姑からそのまま受けつぎ伝承している実態を知り、暮らしの原点の尊さを知った。それは、同年代の平地の主婦に同じ事をたずねた時「そんな古くさい事、この忙しいのにやっちゃいられないよう!!」との返事、大半はすでにほとんど関心もないそれが普通だった。暮れになると新しい年を迎えるための大掃除(すすはらい)をした。いまは電化製品が多くなって、昔ほどの汚れはないが、普段手のかけられない所などの丁寧掃除は今も昔もかわりはない。
28日か30日に餅つきをする、29日は「苦餅」といって餅はつかない。Cimg0898

神棚、仏壇、荒神様、仕事道具、台所、風呂場、便所等々普段世話になる数ヶ所に供えるための供え餅を用意し、あとは、のし餅としてお雑煮用の切り餅をつくる(地域によっては丸餅のところもあるが遠州地方は角に切る)。
元旦を迎え、主人が若水を汲んで、神棚に供え、お雑煮を用意し、お神酒、燈明をあげ、家内安全を祈願する。
お雑煮は「名(菜)もあがれ位(芋)もあがれ身上代々(大根)もち(餅)あがれ」の願いをこめてこの順番に食すといわれている。
神様に串柿をあげて、家中の者が一串づつ食べるところもある。
(魅力ある山里の暮らし:今村純子)

2008年4月28日 (月)

自然と共に暮らす生活

月を敬い、太陽を拝んで、自然の神を尊び、家内安全と五穀豊穣を願って、村の神社の境内で、たき火を囲みながら、持ち寄った手づくり料理を肴に酒をくみかわし団らんした。神様に供えたものを「おんくさん」といってみんなで分けて家に持ち帰り家族と団らんする。神や仏との共食であると共に地域の人々との共食でもある。
行事食の中には小豆がゆをはじめ赤飯、炊きおこわなど赤いごはんが多い。古代の稲作信仰には、採れた赤米を事あるごとに炊いて神に供えたという。豆の栄養価の高い事も、根菜類のすばらしい力も大切にしてきた。普段は単品粗食であっても、その節目節目の行事の食べ物(供物)は様々なものがそろえられ、不足しがちなものを補っていたように思われる。
年のはじめ、山のむこうからお正月神様(それは我が家の先祖様)が降臨される。その神様の依代として、門松やお飾りを用意してはじまる年末年始の行事から一年間、その月々に自然の神を尊び、お祀りしてきた。どんなに文明が進んでも、人間の自由にならないこともたくさんある。最近多発する自然災害が証明している。Photo_6

昔行事など「そんな古い事、今じゃようせんよう。やっちゃいられない」との粗末な考え方をしていいだろうか、大きな自然を大切にしながら、日々営んできた人々の暮らし方を今一度みなおしてみたい。
(魅力ある山里の暮らし:今村純子)

命の源・食材の宝庫

今でこそ、毎日の食材はどこからでも豊富に手に入るが、元々は野山の自然から人々が見つけ出したり、それを栽培工夫し改良に手を加え、増産技術も進んだ賜物である。
地域の先人達は、ヒエ、アワ、キビ等々の雑穀類をはじめ、春夏秋冬、樹木の枝や大地から芽吹く新芽を上手に手を加え試食しながら工夫したものが、今の調理技術の原点となっている。
昭和40年代、山のある集落でおばあちゃんが「あんたね、私らの食べ物は三里四方で採れたものを食べていれば、そこに住む人の体に一番合っているまちがいはないでね」と聞かされたことがある。Photo

それぞれ地域・家庭の中で、親から子へ、姑から嫁へと伝えられてきた貴重な智恵・行事食(赤飯、餅、かしわ餅、芋の煮ころ、煮豆)等々、技術は、今、人気の田舎料理として画一された味で店頭にならんでいる。永年つき合ってきた腕前のおばあちゃんも「今の若い衆は昔料理をきらってたべないで…」と淋しそうにあきらめている。ほんとうは若い人にもっと自信をもって伝承しておいしい煮方やつくり方を教えておいてほしいと願わずにはいられない。
(魅力ある山里の暮らし:今村純子)

2008年4月24日 (木)

くらしの魅力を教わった原点

農村農家のくらしの改善にとりくむ「生活改良普及員37年間」の中で、そこに住む人々から、どれだけのことを学んだことだろう。この仕事は、身分は県職員行政職でも予算は全然もたない。直接農家の人々と会って課題をみつけ、課題解決のために創意工夫していくことが手法の仕事であった。
その課題をみつけるモノサシは、衣、食、住、家庭管理(時間、労働、人間関係)環境の分野で個々の家庭では、地域ではどこに不都合があるか、診断して、話し合って、共通課題をみつけ、改善目標をまとめ解決にむけてとりくむ。そして、課題解決のためには、当然、「個々の努力で解決できること」「地域の人みんなでとりくむ事」「行政におねがいしなければ出来ない事」と分けて、出来るところからとりくむ手法であった。同じ地域内でも、東の方と、西の方では、また年代によって様々な課題がみつかり、その解決にむけて共に歩んできた。
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おかげで、その地域の人々とのきずなは固く、前向きにいつまでも交流が続いている。そして、そこに住む人々や、生活の先輩であった高齢者から、その地域の生活技術はもとより、日々の言動の中から生き様まで、ずい分多くを教えられたと実感している。その様な中から、山里の暮らしについての魅力をのべてみたいと思う。
(魅力ある山里の暮らし:今村純子)

2008年4月23日 (水)

はじめに

人々の生活の原点は、山や河の豊かな自然の中から発生している。私の尊敬する今は亡き、小山智士先生によると「史実に残る最も古い“人と森林とのかかわり”は紀元前2200年(縄文時代)北九州である。この頃すでに農業による山地の開発が始まっていた」ということである。
そこでの暮らし方は、当然地域によって時代によって、それぞれのちがいはあって創意工夫があったことだろうと思うと大変興味を感じる。
掛川市の山合いの集落で育った私は、父とうらじろを採ってお飾りをつくってはじまった、年神様を迎える年中行事祭や、そこでの人々の祭事に大変関心があった。
昭和32年短大卒業時、戦後23年からGHQの指導ではじまったといわれる“農業改善普及事業(国と県の協同事業)の仕事につく事になって、山間地の人々の生活実態にふれるにつけ、その働く現場や日常生活の中で、山や自然に対する思いについて尊敬を感じた。
今は単純に古いとか時代おくれという判断をする方々もいるけれど、これこそ私たちが生きていく中で残して生きたい暮らしの原点ではないだろうかとの思いから、以後、山里に暮らすその魅力についてふれてみたいと思う。
(魅力ある山里の暮らし:今村純子)
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