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    雲を耕す会

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2010年2月25日 (木)

三里四方は薬

昔、卓袱台なんてものがありました。春の頃はタマネギを薄く切ってシラス干をかけたの、筍に椎茸、蕨なんかの山菜を合えたのなんかが並んでいました。アサリ、サヨリ、初鰹も初夏が旬。アサリなんザ応えさらん。うまさが乗っている。初夏を過ぎるとジャガイモです。
8  給食人気No1 カレーシチュー 元祖海軍カレ

 小学の給食人気ナンバー1はカレーシチュー、あのジャガイモごろごろしたのです。お母さんの味でもあります。神奈川県横須賀に海軍学校があって、そこで出されたカレーが元祖です。ジャガイモとタマネギは三方原と篠原産だったってことは案外知られていない。自衛隊浜松基地の元司令官の話。全国自衛隊の最も人気メニューはカレーライス、なかでも浜松のカレーが一番です。それはジャガイモとタマネギのよさにある。
 ミカン、ナシ、メロン等果物は豊富、最近はレタス、エシャロット、子持ちカンラン等西洋野菜も人気が高い。キュウリ、トマト、ナス、もう夏野菜は何でも美味しい。ただし路地物に限ります。というのは「三里四方は薬」だからです。地のものを食べていりゃあ体にいいってことです。そりゃあそうです。旬のものはうまいし、栄養もある。
 舞阪港に行くと、シラス漁が盛んです。あれ2艘の船で網を引いてとりに行く。浜名湖の伝統漁法も健在です。角立て網、ボラたたき。入出の佃煮屋、おいしいですね。うなぎ、すっぽん、カキ、ドウマン、上げていったら切がない。
 10_4 浜納豆、あれは安いです。5粒でご飯一杯食べられる。紫蘇(しそ)巻きも安い。遠州ほど食に恵まれたところはない。
 食文化は風土です。気候がいい。雪が積もらない。それはそれでさびしいけど、12月の日照時間は世界一です。砂漠みたいなところは除きますけど。それに地形がそろっている。海、湖、川、平野、台地、森、山地、ないものがない。それだけ取れるものが豊富だということです。その中に入るかもしれないけれど、水に恵まれている。風にも恵まれているというか、まあ迷惑なところもありますが、三方原大根とかですね。空っ風は食べ物にも影響しているわけです。

2010年2月 7日 (日)

三河田楽…存続の危機

国の重要無形民俗文化財「三河の田楽」のひとつである「黒沢田楽」が存続の危機に瀕しているとの記事を目にしました。(2月6日付け中日新聞 社会12面)

「黒沢田楽」は、愛知県新城市七郷一色の黒沢地区に伝わるもの。静岡県境の山奥にあり、源氏の落人が開いた集落で、この田楽は五穀豊穣を祈願して鎌倉時代に始まったとされています。

存続の危機は、言わずと知れた「過疎化」「高齢化」によるもの。同様の問題は他の民俗芸能を伝承する地域が抱えるものです。

現在の舞手はたったの4人…若くて50代後半、上は80歳近い方もいるそうです。林業の衰退で若者の流出が続き、現在に至るといいます。憂いてもどうにもならない現状に、街に住む私たちはただ眺めているしかできないのでしょうか?

田楽踊り、田楽能、猿楽能、田遊びで構成される黒沢田楽には37の演目があり、これまで地元の在住者だけで継承してきましたが、今後は鳳来寺田楽などと同様に地元以外の外部の協力を検討せざるを得ないということです。

こんな危機を抱えて、「黒沢田楽」が本日(2月7日)午前11時から午後3時頃まで阿弥陀堂で催されます。支援の動きが活発になり、存続の危機をなんとか乗り越えて欲しいと切に願います。

今後も続く同様の危機をくいとめるのは、やはり山を元気にすることでしょう。

山を元気にし、人々が再び里山に戻ってくる日のために、まずできることから始めていかなければと改めて思います。

                                                                                                                        (mamesan 記)

2010年1月20日 (水)

エコロジーを最初に唱えたひと、南方熊楠

南方熊楠(みなかたくまぐす)は日本で最初にエコロジーという言葉を使った。

1867年、和歌山市の金物屋に生まれる。18867年、大学などの学歴を意味なしとして 渡米した。 
1891 25歳のとき、曲馬団に入り、キューバ、ジャマイカ、ベネズエラを巡歴した。奇人としかいいようがないが、知の巨人といわれる出発点となった。
1892 渡英。8年間に大英博物館でノートを作る。科学雑誌ネーチャーに投稿して世に知られるようになる。大乗仏教と科学という対立した概念を、「南方曼荼羅」の独創的なモデルへと変換していく。

異質な者の間の対立と、それらの間に新しい結びつきを創り出すための強烈な意志と執念に人間的スケールの大きさを感じる。概念と内念の融和によって創造性は高まった。
「南方曼荼羅」は、漂泊の経験から東洋の智と西洋の知とを自己の中で格闘させて、構築されていった。それまでの知の集積を、自己の内部で発酵させたといってよい。
帰国後 田辺 那智で山野を跋扈 粘菌学に没頭。南方は森と深くかかわるようになる。

                1981_2      

                     熊野古道      

1888年、市町村制が公布された。 

町村合併により、一つの村に2つ以上の産土社をもつ事態となった。国はどちらか一つにせよと指令を出した。その結果和歌山県は、87%の神社が消滅する憂き目にあった。神社を国の都合でつぶすとは何事か、南方は怒った。

1909年、神社合祀反対運動を起こす。鎮守の森を守れ。神社は日本人の魂であるとして、8項目の反対理由を掲げた。
 
①敬神の念を減殺する
②人民の融和を妨げる
③地方を衰微させる
④庶民の慰安を奪い、人情を薄くし、風俗を乱す
⑤愛郷心を損す
⑥土地の治安と利益に大害
⑦勝景史跡と古伝を隠滅す
⑧環境の全体保全によって、それぞれ固有の植生が保たれる。

彼のエコロジーの思想にもとずく日本最初の環境保全運動である。研究分野の、粘菌に沿って、説得性を増していった。粘菌は高層、中層、低層の植物が重なり合った一番下の湿地に生息する。多様な植物の相互補完と循環の構造を、エコロジーの第一義においた。
樹木は神の依り代 高い木から神々は降りてくる。草木に神宿る。アニミズムの進行に基づくタブーが、数千年、数百年の間、神域の生態系を守ってきた。
雑木林は保水が抜群である。田に水を供給する。水源に鎮守を築き、樹木を植え、タブーによって守ることを通して、水を豊かに保ってきた。
地球の自然生態系の全体的保全と、侵害されたときに、結果として、地域住民の生活が脅かされることの総体としてとらえた。神社の樹木が取り払われると、田畑の害虫駆除に役立つ鳥が来なくなる。海辺の神社の森は魚着き林である。
神社が遠くに行ってしまうと、住民の信仰心は薄れる。天然の風景が破壊されると、どのように教育に悪影響が及ぶか。
わが国の天然風景は、わが国の曼荼羅ならん。景色を眺めて、何となく至道をぼんやりと感じ得(真如)る。
地域住民の強固な意志がなければ、外からの応援や圧力によって、自然を守ることができない。
地球的規模での普遍的な問題である。地球は一つであることを足下で捉える。

雲を耕す会の掲げた目標と通じる。南方によって励まされた気がする。
1941年没。 今、熊野古道は世界遺産にもなって、大変なブームを巻き起こしている。もし南方熊楠がいなかったら、熊野古道は存在していたかどうか。もって瞑すべきである。

2009年11月14日 (土)

少年に返る道  その2

 3_3                  子供の頃の笑ったり泣いたり怒ったりした記憶は,ズック靴で歩いて行った場所のどこかに隠されている。 
 冒険は歩いて行った先にあった。こわい,どうしよう,引き返そうか。迷いながらも恐いもの見たさで仲間と一緒に付いて行く。弱虫と言われるのがいやだったし,みんなと一緒なら恐くないという群集心理も働いて,冒険へと歩を進める。
 森,鉄橋,谷。遠く離れた異界こそ,冒険心を満たすものはない。知らない場所に分け入って,新たな世界が広がっているのを知ったとき,今までの自分から脱皮したような気がした。
               *
 歩くことはいたわりなのだ。ご足労かけてと言うではないか。はるばる訪ねて行くからこそ,会えば嬉しくもなるし,感激もする。かわいそうなお話は,遠くまで足を引きずりながら歩いて行く場面が必ずあった。『母を訪ねて3千里』など読まない前からほとんど涙していた。そんなにも会いたいのかマルコ少年、ぼくがついてる、がんばれと何度叫んだことか。
 歩くことは大変だ。たとえいばらの道でも歩いていかなければならない。日暮れて道遠し,まあ地道にぼちぼち歩いていきまひょ。割に合わない不器用な生き方こそ歩きの本道といえる。
 順風満帆なときは、追手に帆懸けてシュラシュシュシュだ。願いが叶ったときは、空飛ぶ思い。うまくいっているときは道など歩いていない。
 中学校で習った英語の教科書には,ジャックのお父さんは車で通勤していた。それだけでアメリカという国は,とても豊かな国に思えた。歩かない豊かな生活は夢のまた夢だった。だからリヤカーでも乳母車でも、車のついているものなら何でもいいから乗せてもらいたかった。荷車に乗せてもらったときは、ちょっぴり偉くなったような気がした。
     

2009年11月12日 (木)

少年に返る道  その1

                                                                                                                                                  今でこそウォーキングなどとことさらに言うが,昔は毎日がウォーキングだった。お使いは子供にとって大事な役割だったから,毎日のようにお店やさんに行かされた。豆腐や,魚屋,八百屋,主に食べ物やが多かった。豆腐は鍋をさげて行った。お使いはそんなに遠くまで行ったわけではなく,せいぜい300メートルの範囲内だった。鳥の餌とか提灯などよほどのものでなければ、自転車で買い物に行かなかった。
                                                                                                                                                       

015 お使いのみならず,日常的なことは歩かニャア事が運ばなかった。出迎えも見送りも,拾ってきた猫を捨てに行くのも歩いていった。野良へお昼を届けたり,馬の世話をしたり,今よりずっと歩くことが多かった。山の子は学校に行くだけでも大変だった。
 遠足はもちろん歩き。お宮参りや七五三のお参りも,野辺の送りも役場に行くのもすべて歩きだ。恋文を渡すのも歩いた時代の出来事だった。子供の日々は,歩くか走るか登るか逃げるかのどれかだった。失敗は転ぶか落っこちるか捕まるかのどれかだった。
 子供の頃の遠い知らない世界は,今考えてみるとわずか2キロ先かそこらだ。いつだったか遠くの友達のところへ遊びに行ったときのこと,夢中になってカン蹴りをしているうちに,辺りが暗くなってきた。遊び仲間は「かえるが鳴くからかーえろ」とクモの子を散らすように帰っていった。ひとり残されたぼくは,誰もいなくなったことに気付き,「あの街この街日が暮れた 今来たこの道帰りゃんせ」と,とぼとぼ家路についた。行くときは意気揚々と出掛けたのに,帰り道はこんな遠くまで来なければよかったと後悔した。そんなときだ、風がすうすう通り過ぎるのを感じるのは。

2009年4月 3日 (金)

山の講

2月8日は八日山ともいわれ、山仕事によるケガや炭焼きによる火事にならないように、竹を切って酒を入れたものを木に吊るし、ぼたもちや、そばを供えて1年間の無事を祈願した。
 地域によっては「初山(はつやま)といって1月2日や8日、16日などを山休みにする、もともと8日はケガをしやすいと嫌われていて仕事休みの日にあてていたともいう。この日は仲間同志集って山の神にお神酒を供え、そばや、ぼたもちで振る舞い合って楽しんだ。
 またこの日ワラでつくった龍を村人がかつぎ「参ろう、参ろうオンベ持って参ろう」と唱えながら山を登り、山の神の場所につくと、龍を木に這わせ、大弓を山から里に向けて矢を放ち、直会を山で行う。12月も同じように年2回行うところもある。
  事始め(針供養)
 2月8日は、針供養の日でもあり、折れた針や曲がった針を豆腐に刺して、1年間の針の労をねぎらうお祭りをした。

お彼岸

仏教行事であるが、彼岸とはこちら側の迷いの世界から、向こう岸の悟りの世界へ到達するための教えで、お寺では彼岸会法要がいとなまれる。
 春分の日(3月20日頃)を中日として17日が入り、23日が明け日秋は9月23日秋分の日を中日として20日が入り、26日が明けで、この7日間に先祖供養をする。。ふつうは彼岸入りの前、お墓の掃除をし、仏壇もきれいにして、花と水、菓子、果物を供え、「入りすり焼き餅、中日ぼた餅、明けだんご」を供える。中日のぼた餅(春にはぼた餅、秋にはおはぎという)

2009年2月28日 (土)

ひなまつり

3月初めは暦の上では厄日だったからお祓いのために紙でつくった「ヒトガタ」に供物を供えて川に流す、「ひな送り」が元といわれている。
はじめは女の子の誕生は直接関係なく江戸中期頃から雛人形の商品化と共に全国にひろまった。人形も紙から絵、胡粉塗の飾り雛となり、流し雛の風習から飾り人形を主とした祭りになってきた。
昔は女の子だけの祭りではなく、女の子には雛人形、男の子には天神様の人形を飾って、健やかに育てと祝った。
ひな壇に供える菱餅は、白、草(よもぎ)、黄(くちなし)、赤(紅)と重ね「雪の中から芽が出て、つぼみがふくらんで、花が咲くと解釈されている。Cimg2223

この日は春の初物も採れるので、なるべくごちそうを作り華やかに飾るという。
旬の初煮、魚の煮付、青菜の浸し、わけぎとたにしのぬた、はまぐり汁、白和え等
(魅力ある山里の暮らし:今村純子)

2009年2月 7日 (土)

なた餅

家に厄年の人がいると“なた餅”をついてミの中に半紙を敷いて、わらを十文字において、その上に餅を包んで四辻におく、これをその日のうちに食べてしまうように、近所の人に拾ってもらったり、家まできてもらって全部食べてもらうと、自分の厄を大勢の人に分けるという行事もある。
(魅力ある山里の暮らし:今村純子)

節分(豆まき)2月3日

寒明とか大年越しともいう。竹竿の先に竹の目かごを下向きにして、その上に香花やひいらぎの枝をさす。豆まきの大豆を炒る時も香花の葉とひいらぎの葉を入れて炒り。一升枡に入れて「鬼は外、福は内」と部屋毎に豆をまく、寿司やなます、魚を神棚に供える。
ひいらぎやくろもじの先に、いわしの頭を刺して、門口において、にんにくやヒルなどの臭いの強いものを添えて「畑の虫もジーヤ、ジーヤ、やいかがしの候」と唱えて厄払いをする。
豆まきの豆は、雷よけになるといわれ、一部を白紙に包んでとっておき、雷がなった時に食べるというところもある。
(魅力ある山里の暮らし:今村純子)