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2011年11月 9日 (水)

静寂と緑の中…ランプの宿を味わう

「木曽路はすべて山の中である」とは、かの文豪島崎藤村の著書「夜明け前」の一節

その藤村が生まれ育った馬篭から車で1時間走ったところ、裏木曽街道と呼ばれる一角に、今尚、山深く静かに時間の流れる場所がある。

そこは中津川市加子母(かしも)渡合(どあい)温泉

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テレビも冷蔵庫も携帯も通じない、まさにいろいろな意味での「圏外」世界…そこにあるのは森の静寂とあふれる緑、澄んだ空気、冷たい水、ふりそそぐほどの青空だけ。

それだけ…が、なんとも贅沢なのだ。本来の豊かさは、ありあまる自然の恵みの中にいることだと実感できる。

自家発電で起こされた電気が10時に消されると、宿はたちまち優しい闇の世界に包まれる。その闇の中、宿のあちこちに灯されたランプの灯りが控えめな彩りを添えていく。

昔ながらの木造りの宿の中は、古びてはいても微かな木の香とランプの光と混ざり合い、心地よい時間を生み出していくようだ。

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わずかな灯りが灯された風情ある階段

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昔はこんなわずかな光で暮らしていた。夜は、貴重な灯りの下に家族が身を寄せ合うように集まり、外の自然を敏感に感じながら語り合っていたのだ。

日頃あらゆる情報の嵐の中にいるために、情報が一切入らないことに不安も感じるが、やがて「なにもない」世界の居心地良さを知ることになる。

早朝、弱い雨の中、宿の付近を散歩してみる。雨に濡れた落ち葉のなんと美しいことだろう。雨にけむる山々の姿も沈黙の中で迎えてくれる。

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家族だけでひっそりと営むこの宿で、人間本来の生き方はこれなのかも知れないと思うようになった。自然と共生する、自然の恵みに感謝し生きる。ストレスなどどこかに吹っ飛んでしまう温かな気持ちになれる場所だ。

山深いランプの宿はどこまでも優しく私たちを包んでくれた気がする。四季折々の自然を味わうために、また訪れてみたいものである。

                           (11/5ー6 研修旅行にて mamesan 記)

2011年10月21日 (金)

辻垣正彦さんの仕事

 辻垣設計事務所(品川区五反田)は12階建てマンションの2階にあります。この度、地球温暖化に備えて内装を一新しました。石油系の素材である新建材を全て剥ぎ取り、自然素材にしました。天井は無垢の板張り、吉野杉、長野の唐松、月山の赤松、天竜の桧、青森ヒバと、あらまほしき限りをつくしました。床は広葉樹の楢、会議室は天竜の節有の桧、玄関ホールは唐松が使われています。桧や赤松の香りが満ちて、この空間に居るだけで癒されます。

   Img_9211                                                                                                                         無垢の木材なので、さながら森に囲まれて仕事をしているようです。日本の民家は、いかに森の中の環境に近づけるかに懸かっています。森を再構築することが日本建築の原点だと思います。茶室を見ればわかります。庭屋一如、自然と室内は一体になっているのが、日本の住まいの在り方です。

 私の足元の東京品川は、超高層ビルがそそり立って、風や光を遮っています。無機質な素材(鉄やガラスとコンクリート)で造られた建物は、いけすかない優等生といったところでしょうか。この超高層の内装に、雲を耕す会の活動拠点である天竜の杉や桧を使ったら、どれ程気持ちよく仕事ができことでしょう。呼吸が楽になるにちがいありません。
 今年も冷房に頼らず、扇風機2台で頑張りました。パタゴニア製の青い短パンと素足。木は呼吸をしているから、湿度はほぼ一定、さらさらしています。桧と足裏のスキンシップは快適。靴下、スリッパは、日本の気候に合いません。柔道、剣道、相撲、すべて裸足です。
 壁は土佐の和紙。龍馬ブームに乗った訳ではありませんが、モダーンで革新的。共生の原則をもう一度見直し、足元から実行していきたいものです。

 

 11月から久し振りにパプアニューギニアへ出掛けてきました。ニューブリテン島のラバウル(水木しげるの部隊のあったところ)から、さらに奥地、マラクルという美しい村です。

人間は欲深い動物です。グローバリゼーションの名の元、スキあらばパプアの森を喰い尽くそうとしています。小さな蘭の花も、ある日突然ブルドーザーで踏み倒され、村は破壊され、村人は都会へ追われていきます。

 辻垣正彦の仕事。
 9月は和泉多摩川にプロテスタントの教会が着工しました。勿論伝統的工法による民家風で、全て国産の木材の手刻みです。
 もう一つは、ケアホーム印旛という知的障害者の住まいで、2棟12名が利用します。木造の全て国産材で建てられます。居間の中央に大きな塔があり、地域のシンボル・ランドマークになることを希っています。鹿児島市にも住まいを建築中ですから、結構賑やかに現役しています。
 

2011年6月13日 (月)

梅雨どきの家

今年の梅雨は例年より早くて、しとしとと雨が降りやまない。菖蒲、紫陽花などの花が雨にぬれて美しい。田植えの早苗に鷺が舞う。

夕風や水青鷺の脛(すね)を打つ 蕪村

004 小糠雨、村雨、白雨、驟雨と幾通りにも呼び分けている。城ケ島に降る利休鼠の雨。雨は日本人の美意識の中にあるけれど、梅雨どきのじめじめ具合にはうんざりする。

漆喰の壁、杉の天井、檜の床。梅雨時でもさらりと気持ちがいい。湿気を吸い込んでしまうからだ。漆のテーブル、胡桃の椅子。木の感触、土壁の深呼吸、しっとりとした障子の白、梅雨時にこそ日本の家は梅雨時になると真価を発揮する。

テレビのコマーシャルで、華やかなモデルハウスが、どんなに高気密、耐震と言われても、昔ながらの木の家にかなわない。

ヴァイニング夫人は、「日本に来て初めて雨の美しさを知った」という。ニューヨークのビルの谷間に降る雨と、瓦屋根を濡らして落ちる日本の雨では、美意識が違う。

 

2011年4月16日 (土)

新月伐採の家

Img329 木は伐採時期によって大きな差が出る。『木とつきあう知恵』(エルヴン・トーマ著)

木材の悩みは、反りが出たり、ひび割れが起こることである。その点、新月の時期に伐採した木は、くるいもなく、ねばり強く、長持ちするという。火にも強く、健康的でシックハウスにならない。いいことずくめである。

 浜松市大平台に住む宮田さんは新月伐採の木で家を建てた。先日、宮田邸を訪問させていただいた。無垢の材で作られた玄関は木肌も美しく、いいにおいがする。

Img328 外回り、天井、壁、床もすべて新月伐採の木を使っている。それも天竜材の杉と檜ばかり、そのこだわりに脱帽する。部屋に入ると、薪ストーブがほかほかとあたたかい。

窓から春の日差しが差し込み、森に包まれている感じがする。新月伐採の木だから、より自然に近く、くつろいだ気分になる。

天と地を結ぶ神秘が木に宿っているみたいだ。  

住みよさは無垢の木だからこそと実感する。床に吸いつくような足裏の感触が心地いい。雨の日もさらりとしているし、寒い夜もほんわかと暖かい。宮田邸はお風呂も檜である。木の風呂は、体の芯からほかほかと温まる。天竜の木、しかも新月伐採の木は、住み心地満点である。

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2011年2月26日 (土)

ステーショナリーカフェ konohi

ぼくのひいきにしているコーヒー・紅茶専門店  Sceneのマスターから素敵なお店の紹介がありました。Photo_2          

掛川市の中心部から北西に5km、牧歌的な田園が広がり、その周りにはのどかな里山風景が展開しています。 そんな中に、“ステーショナリーカフェ konohi”が在ります。木の家の普通の民家というところがいいです。          

 里山にひっそりと開いているカフェ、なんだかトトロの森みたい

店内に配置された椅子、テーブル、棚、電灯などの家具・調度品もレトロ感溢れています。

ステーショナリー(stationery)とは文房具のこと。 レトロな文房具が小物コーナーに並んでいます。

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 文房具、学用品、すでにレトロな世界だなあ。母に買ってもらった竹でできた線ひき。      小学校の懐かしい校舎とともに、幻灯機のように映し出される。

小学校の6年間、ぼくにいつもお仕え申してきたものたち。消しゴム・鉛筆・下敷き。
消しゴムは我が身を削りながら間違いを消してくれた。
思いを伝えるたびに擦り減った鉛筆の芯。
その熱い思いをいくら書いても一文字も残すことをしなかった下敷き。

おへその曲がり具合までは測れない分度器。
  そうそうノートは欄外に書かれたものの方が面白いんだよね。居眠りしながら書いた字って後で読もうとしても読めない。

“Stationery cafe konohi”

掛川市家代855-1

電話 0537-26-1036

営業時間 12:00~19:00

日曜・月曜 定休

2011年1月24日 (月)

曲げ物師

 小笠原達夫さん 飯田市馬場町 電話0265-22-4780
 馬場町というから昔は武家屋敷があったのだろう。先祖は武士。江戸時代は手内職として曲げ物を手がけていた。明治になって本格的に本業として始める。達夫さんは3代目。
 蒸篭,曲げわっぱ。木を薄く削って丸く曲げて作る。檜は強さといい色艶といい,一番だ。時にはスギ,トウヒ,サワラも使う。
 何年も寝かして木を乾燥させる。木はアテといって北側の条件の悪いところで育った方がいい。年輪が密になった曲げわっぱは木目も美しく,樹脂が乗っていて,いかにもねばりがありそうだ。素直な柾目じゃあこうはいかん。
 ぱーんと割った木の表面を銑で削る。木なりにね。無理にねじったり,圧を掛けちゃあ,削った後,なめらかさがまったく違う。
 薄く削った板を熱い湯の中に漬けて取り出す。浸けすぎても漬けたりんでもいかん。その加減はまったく勘でしかない。轆轤に掛けて挟むようにして曲げ込む。丸く輪になった合わせ目は桜の皮で縫う。
 山仕事に入るとき,3食分の飯を五合わっぱにつめる。柾目のわっぱは通気性があり味が落ちない。軽いし保温もいい。菜入れはおかず用。
 篩は金網を食込ませてぴたっと納めてある。篩に米を入れて回すと,米が立つ。小粒な米が篩落とされる。
 弓の的も曲げ物。紙の張り具合がいいうえに,外れた矢が当たっても木だから傷めることもない。蒸篭,曲げわっぱ,柄杓。どんな曲げ物も手入れさえ良ければ100年持つ。

2010年11月19日 (金)

伊奈の家、むかし

  かつてこの地方は一大養蚕地帯であった。どこの家も「御蚕様」が中心だった。家もまた天井を高く、風通し良く蚕を飼うのに都合良く軒は深く造られていた。
春、桑の葉が繁ると蚕がくる。初秋の頃まで蚕と人の共存である。秋には沢山の稲束が軒下に積み上げられ脱穀をする。やがて大きな籾摺りの機械が来て多勢の大人が立ち働き米俵が次々と運び出される。その賑わいは子供心に取り入れの喜びを味わせてくれた。
Img262 今は蚕を飼う家はほとんど無く、軒下の広い風通しの良い家は、市田柿作りに持って来いである。皮をむいた柿は吊るされ、天竜川からの朝霧に湿らせ日中は、天日に干される。その繰り返しで、徐徐に渋みがぬけ、甘味が出てくる。時期を見て取りこみ,柿をもみながら中の糖分を表面に出し、寒さに当て、さらに7日~10日繰り返すと、糖分が結晶して白い市田柿ができる。
 干し柿づくりに適した古い家に住んでいると木や紙がいかに除湿性を持っているかに気づく。家が呼吸しているのである。しかしながら冬の寒さ対策は、必須である。
今では、機械化されている部分も一部あるが本当に手間がかかる作業である。

かまどは一家の生活の中心であった。その頃の台所は土間だった。かまどは,赤土にわらを刻み込んで,よくこね,上の方に丸みをつけて固めたものだ。ブリキで出来たエントツが出ていた。
 両側にお釜や鍋が乗っていて,真ん中に茶釜がかけられていた。
 火を燃やす口は,二段になっていて左右に二つあり,上の段では薪を燃やし,下の段で灰を受け止めていた。灰は庭の草花の良い肥料になった。かまどは火を引いた後,冬になるとよく猫が暖を取りに来ていた。

2010年10月20日 (水)

棟梁が伝えたいこと その2

 鉋と板とがすいついとらんとこうはいかん。ずっと鉋で削っていると台の端がすりへってしまう。ぴたっと平らじゃあないとなめらかに刃が動かん。刃の研ぎこそ大工の命。なにしろ大工の仕事は研ぎの明け暮れ、ひまさえあれば研いでいる。鉋の刃はうすく鋭く光っていなければいかん。
029  そんなぐあいで親方から厳しく鍛えられた。毎朝暗いうちに起きて、歩いて親方の後を歩いていく。親方は空身だからいいが、こっちは親方の分まで道具箱を担いでいく。片方の手で砥石を下げて、仕事場までついていく。前を歩く親方が恨めしく思いました。
 ある程度、年季も入ったので縁側を作らせてくれた。柱を立て、垂木を張って、板を渡す。もう舞い上がったねぇ。オレも一丁前になったってね。親方が見に来て、おお出来たかってもんです。こちらは、いつほめてくれるか、わくわくして待っていた。ところが親方は仕上げを見たまま、腕を組んで何も言わない。
 そのうちにやっと口を開いた。「おめえさん、もういっぺんやり直せ」。坪方が、これはお施主さんのこと、「いい出来じゃあないですか」とかばってくれた。「だめだ。この垂木が気に入らない」。見ると1本だけ垂木がたるんでいる。「これではせっかく板を張っても、たわんでしまう」。  それからが大変、一日がかりで造作したのをはがさなくっちゃあいけない。二日が無駄になってしまった。仕事は納得するまでやりぬく。なまじ妥協するくらいなら始めからやらないほうがいい。
 仕事をやらせていただいて、はじめてお金がいただける。それが職人の基本です。いい加減な仕事していたら一銭の値打ちもない。ちゃんとやるということは、お施主さんの願いを叶えさせていただくということです。家は家族の夢がつまっている。子供がすくすくと育って欲しい。年寄りが安心して暮らせるようにして欲しい。
 見積もりが出ます。釘一本に至るまですべてが予算の中に組み込まれます。いったんやるとなると、契約なのですから、見込み違いは許されません。
 同じ金をかけても家の出来は違います。先ほど申しましたように、ぶっさくりの大工と、職人気質の大工とでは、違って当たり前です。心がこもっているかどうかです。垂木一本くらいいいじゃあないかと、つくろったらその家は持ちません。まともな材、まともの職人が建てたら、家は100年持ちます。
Photo  今ではぶっさくりでも、そこそこの家が建てられる。工場生産の家が大手を振っているということです。昔なら小僧っ子扱いしかしてくれなかった、言葉は悪いが、若造が一丁前の顔している。一方でこの道40年の大工の出番がない。そんな馬鹿なことはない。真っ当な職人に仕事がないってえのは、日本文化の恥です。
 年季の入った職人の数だけ文化が豊かになるのです。伊勢神宮が20年ごとに遷宮をして建て替えてきたのは、古くからの伝統技法を後世に伝えるためです。技は伝えていかなくちゃあいかん。これからもそうです。職人は日本文化の技の担い手です。どこの国へ行っても伝統はきちんと守られています。古い家を残した街がえらいと尊敬されています。
 わたしは昔からのやり方を守り通してきました。世界に誇る木造伝統工法は受け継いでいかなければなりません。技は文化です。

2010年9月24日 (金)

建築家 辻垣正彦の仕事

   辻垣設計事務所(品川区五反田)は12階建てマンションの2階にあります。この度、地球温暖化に備えて内装を一新しました。石油系の素材である新建材を全て剥ぎ取り、自然素材にしました。天井は無垢の板張り、吉野杉、長野の唐松、月山の赤松、天竜の桧、青森ヒバと、あらまほしき限りをつくしました。床は広葉樹の楢、会議室は天竜の節有の桧、玄関ホールは唐松が使われています。桧や赤松の香りが満ちて、この空間に居るだけで癒されます。

   Img_9211                                                                                                                         無垢の木材なので、さながら森に囲まれて仕事をしているようです。日本の民家は、いかに森の中の環境に近づけるかに懸かっています。森を再構築することが日本建築の原点だと思います。茶室を見ればわかります。庭屋一如、自然と室内は一体になっているのが、日本の住まいの在り方です。

 私の足元の東京品川は、超高層ビルがそそり立って、風や光を遮っています。無機質な素材(鉄やガラスとコンクリート)で造られた建物は、いけすかない優等生といったところでしょうか。この超高層の内装に、雲を耕す会の活動拠点である天竜の杉や桧を使ったら、どれ程気持ちよく仕事ができことでしょう。呼吸が楽になるにちがいありません。
 今年も冷房に頼らず、扇風機2台で頑張りました。パタゴニア製の青い短パンと素足。木は呼吸をしているから、湿度はほぼ一定、さらさらしています。桧と足裏のスキンシップは快適。靴下、スリッパは、日本の気候に合いません。柔道、剣道、相撲、すべて裸足です。
 壁は土佐の和紙。龍馬ブームに乗った訳ではありませんが、モダーンで革新的。共生の原則をもう一度見直し、足元から実行していきたいものです。

 私の仕事場へ遊びに来てください。

 11月から久し振りにパプアニューギニアへ2週間程出掛けます。ニューブリテン島のラバウル(水木しげるの部隊のあったところ)から、さらに奥地、マラクルという美しい村です。

 森林伐採の調査ということで、女性3人と一緒です。ケアンズ経由、ラバウルで合流します。
人間は欲深い動物です。グローバリゼーションの名の元、スキあらばパプアの森を喰い尽くそうとしています。小さな蘭の花も、ある日突然ブルドーザーで踏み倒され、村は破壊され、村人は都会へ追われていきます。

 辻垣正彦の仕事。
 9月は和泉多摩川にプロテスタントの教会が着工します。勿論伝統的工法による民家風で、全て国産の木材の手刻みです。
 もう一つは、ケアホーム印旛という知的障害者の住まいで、2棟12名が利用します。木造の全て国産材で建てられます。居間の中央に大きな塔があり、地域のシンボル・ランドマークになることを希っています。鹿児島市にも住まいを建築中ですから、結構賑やかに現役しています。
 10月16日浜松にいます。池川邸の見学会とか。では皆様、お元気で!

2010年8月31日 (火)

棟梁が伝えたいこと その1

066 入口忍さんは大工の棟梁として、長いこと腕をふるってきた。今は隠居の身だが、大工の心意気は健在だ。

こうした大工がいた時代は、本当の意味で日本は豊かだった。入口さんの語る一言一言に力がこもる。

私は大工です。ですから大工の話をします。昔の大工は胸を張って仕事に打ち込んだもんです。一軒の家を建てるということは、大工の度量がものを言ったからです。棟梁ともなれば、大勢の大工、職人さんを抱えて、一家を成していました。家一軒建てるのに、瓦職、畳屋、建具、左官と30人からの職人に仕事が回る。職人の腕が結集して家は建つ。「大工さんか神様か、天皇陛下のオジサンも大工がいなけりゃ雨ざらし」なんて言ったもんだ。
江戸時代、腕の立つ棟梁は花形でした。飛行機もビルもない時代、江戸の町で一番立派なものをこさえたのが大工です。お城も五重塔もお寺、お宮、お屋敷も大工の手を借りなければ出来ません。だから大工はたいそう粋でイナセでした。柱を立て,梁を渡す。釘を使わないで、継ぎ手と仕口で組み上げていく。現場は大工の技と無垢の木の香りが一体となります。
 粋はかっこいいと同じ意味に使われていますが、姿格好ばかりじゃあない、人とのつながりに長けているかどうかです。そっちのほうが大きい。黙っていても、人の気持を汲むことができる、相手を気遣う。それも相手に気付かれないように、寒けりゃあ暖かいように、それとなく火鉢を差し出す。後で親切がじわぁっとしみこんでくる、それが粋というものです。今では、これ見よがしに親切を見せ付けているやつがいる、あれは粋ではない。
大工はとうぜん腕がものを言いました。腕が立たなければ、「ぶっさくり」といわれました。仕事は速いが、いい加減もええところで、ろくなもんが出来ん。
腕が立つというのはどのくらいすごかったかというと、鉋の扱い。板を削るとき、最初は「荒しこ」といってさっとやる。次が「中しこ」、最後は「仕上げこ」です。普通の二倍の長さのある大鉋を糸ですうっと引っ張る。すると板が4メートルなら4メートルの長さだけ、一枚のうすい削りがふわっと鉋の間から舞いだす。