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2010年2月

2010年2月22日 (月)

板葺き屋根

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三遠南信はなつかしい風景に出会える。アルプスを背景に板葺き屋根の家が、あっちこっちに見られる。なだらかな山の斜面の畑を前にして、勾配の緩やかな屋根の煙突から煙があがっている。民家はどこまでもやさしく風景におさまる。
 石置きの板葺き屋根というと、素朴でいかにも古びた感じがするが、土地の材を使ったぜいたくな造りなのだ。栗やナラの木の板を何枚も重ねて葺いていく。
30年前に大平に住んでいた大蔵義文さんが板葺き屋根について語ってくれた。「ちょうど裏に大きな栗の木があったもんで、それを伐り出して板にへえでもらってね」。板材を重ねていくとき、釘は使わない。釘を打つと錆びてきてそこから雨漏りがする。
 風に飛ばされないように割り丸太で押さえ、押し木を置いて石を乗せた。押し木は檜が使われた。石が転がらず、雨水も流れるようにするのには、緩やかな勾配でなくてはならない。板葺き屋根は、山に暮らす人々の生活の知恵がはりめぐらされている。
「夜寝ていると、お背戸の木の実がコーンコーンと屋根に落ちる音がしてね」。
「里の秋」の歌は、板葺き屋根だったのだ。
 最近は、屋根材の確保がむずかしく、その姿を消していく運命にあるのが惜しまれる。

2010年2月11日 (木)

遠州の民家 分棟造り

Img223_4  引佐郡的場の分棟造りは、釜屋造りとも言われ、三遠南信では各地に分布していたが、現在は愛知県新城市の望月家、静岡県引佐町の鈴木家等わずかに残すのみとなった。
 炊事や農作業をしていた仕事場の棟と主屋とからなる民家が分棟造りである。
一つの家屋が二つの異なる棟に分かれて成り立っていると見るのか。
二つの異なる機能(はたらき)を持つ空間が一つになって家屋として成り立っていると見るのか。
鈴木家を訪ねてみよう。田沢小学校4年の鈴木達也君は、当の鈴木家に暮らしていた。暮らしていたというのは鈴木家が老朽化して現在建て直し中なのである。県の文化財に指定されていて、県の事業として2001年に復元される予定だ。江戸時代から200年は経とうかという、古い民家の改修に岐阜県白川郷の大工さんが携わっている。それほどに本格的な茅葺き屋根の民家を造る後継者がいないくなったということだろう。
 達也君は解体された我が家を調べることにした。平たい石の土台にじかに柱がたっている。古いお宮さんもそうだけど。柱は太くて、釘を使っていない。ほぞに柱を組み入れてやるから頑丈だ。
 うわぁー、真っ黒な天井だ。これはおおえと呼ばれていた部屋に囲炉裏があったからだ。煙が抜けるように天井は竹のすのこで出来ていたから、冬はスースー隙間風が入ってきて寒かった。だけど煙に燻された茅は虫もつかず、丈夫で長持ちしたんだ。屋根の全面に葺くのに1800束もの茅がいるんだって。
 お勝手のある土間に降りるのに、いちいち履き替えなくてはいけなかったし、トイレも外だったから冬や雨の日は困った。でも夏は涼しくてよかった。近くに蛍がいっぱいいたしね。
 ずっと昔、釜屋と呼ばれていた土間のほうで馬を飼っていたそうです。いいなあ。動物といっしょに暮らせたなんて。今の家では犬でさえ外で飼っているんだよ。蚕も部屋で飼っていたし、紙漉きもやっていたし、なんか自然がいっぱいっていう感じ。
 部屋がつながっていたから大勢人がきても、広く使うことが出来たし、いつも家族がひとつとこに集まって、話したり仕事していたりしていた。今の家って自分の部屋を持っているけど、昔のほうがいいなあ。おじいちゃんはいつもそう言ってるよ。