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2010年8月31日 (火)

棟梁が伝えたいこと その1

入口忍さんは大工の棟梁として、長いこと腕をふるってきた。今は隠居の身だが、大工の心意気は健在だ。

こうした大工がいた時代は、本当の意味で日本は豊かだった。入口さんの語る一言一言に力がこもる。

私は大工です。ですから大工の話をします。昔の大工は胸を張って仕事に打ち込んだもんです。一軒の家を建てるということは、大工の度量がものを言ったからです。棟梁ともなれば、大勢の大工、職人さんを抱えて、一家を成していました。家一軒建てるのに、瓦職、畳屋、建具、左官と30人からの職人に仕事が回る。職人の腕が結集して家は建つ。「大工さんか神様か、天皇陛下のオジサンも大工がいなけりゃ雨ざらし」なんて言ったもんだ。
江戸時代、腕の立つ棟梁は花形でした。飛行機もビルもない時代、江戸の町で一番立派なものをこさえたのが大工です。お城も五重塔もお寺、お宮、お屋敷も大工の手を借りなければ出来ません。だから大工はたいそう粋でイナセでした。柱を立て,梁を渡す。釘を使わないで、継ぎ手と仕口で組み上げていく。現場は大工の技と無垢の木の香りが一体となります。
 粋はかっこいいと同じ意味に使われていますが、姿格好ばかりじゃあない、人とのつながりに長けているかどうかです。そっちのほうが大きい。黙っていても、人の気持を汲むことができる、相手を気遣う。それも相手に気付かれないように、寒けりゃあ暖かいように、それとなく火鉢を差し出す。後で親切がじわぁっとしみこんでくる、それが粋というものです。今では、これ見よがしに親切を見せ付けているやつがいる、あれは粋ではない。
大工はとうぜん腕がものを言いました。腕が立たなければ、「ぶっさくり」といわれました。仕事は速いが、いい加減もええところで、ろくなもんが出来ん。
腕が立つというのはどのくらいすごかったかというと、鉋の扱い。板を削るとき、最初は「荒しこ」といってさっとやる。次が「中しこ」、最後は「仕上げこ」です。普通の二倍の長さのある大鉋を糸ですうっと引っ張る。すると板が4メートルなら4メートルの長さだけ、一枚のうすい削りがふわっと鉋の間から舞いだす。

2010年7月22日 (木)

軒下

  軒下はさながら季節の小さな舞台だ。正月のしめ飾り。つばめの雛が顔を覗かせる5月。
雨の季節には雨宿り。雨だれ。風鈴が涼やかな音色をたてる夏の昼下がり。軒忍ぶの吊り。虫篭でギーチョンとキリギリスが鳴いていた。下町の家の軒下には鉢植えが、季節の花を咲かせている。道行く人への贈り物。
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 お祭りの提灯。花飾り。稲が並んでいる農家の深い軒下。梯子が掛かっている。
新酒が出来ました。酒屋の杉玉。古い街並みの虫籠窓。丸い電球。
木枯らしが吹いて、木の葉が軒下に降りてくると、雪の季節がやってくる。

 晩秋の南信濃。やや小ぶりの丸い実をした市田柿がたわわに実る。秋陽に照らされて、白いお蔵によく映える。
 軒下には吊るし柿がすだれのようにぶら下がっている。飯田市三日市場の古田さんのお宅は、干し柿作りの真っ最中だった。
 「こうして3週間くらい干して、次にからからとかき回す中に入れるのよ。形を整えると同時に、甘みを全体に回るんよ。それから燻した後で、また10日くらい干してね」。
まあ手間の掛かること。
「雨が降ったら取り寄せにゃあいかんし。暖かいと黴が生えるし、そりゃあ天気には気を使うに。寒さが凍みてこにゃあ甘さがでんでね」。地球温暖化は大問題である。
 

2010年5月30日 (日)

かまど

かまどは一家の生活の中心であった。その頃の台所は土間だった。かまどは,赤土にわらを刻み込んで,よくこね,上の方に丸みをつけて固めたものだ。ブリキで出来たエントツが出ていた。
 両側にお釜や鍋が乗っていて,真ん中に茶釜がかけられていた。
 火を燃やす口は,二段になっていて左右に二つあり,上の段では薪を燃やし,下の段で灰を受け止めていた。灰は庭の草花の良い肥料になった。かまどは火を引いた後,冬になるとよく猫が暖を取りに来ていた。
                            *
  昭和28年の春,光ちゃんが嫁をとることになった。幼なじみの信ちゃんが駆けつけてきて,「こりゃあ目出度いこったあ。結婚祝にかまどを作ってやらすか」と言う。
  数日後,レンガが持ち込まれ作業が始まった。信ちゃんは左官屋だけあってお手の物だ。夕方には,見事なレンガ作りのかまどが出来上がった。ちゃんとロストル(かまどの中の鉄製のすのこ)もついている。焚口で焚くと,火は上の鍋を炙り,次に隣の鍋の底を炙ってエントツに抜けていく。余熱利用型である。なるほどよく出来ている。
 「嫁さんがおくどの前で飯炊きをしていると,パチパチよう燃えていて嬉しくなった。一家にとって火がうまく燃えるというのは大事なことだでね。仕事から家に戻ってきて,おくどの煙を見ると,,やっぱりほっとした。我が家で自慢できるのは,おくどぐらいだったからね」と光ちゃんは,当時を思い出しながら話してくれた。

2010年3月17日 (水)

熊谷家 三河豊根

Img222_9 愛知県豊根村は山また山の奥三河にある。山道をいくと、入り母屋造りの豪壮な民家が現れてきてびっくりする。国の重要文化財熊谷家だ。熊谷家は信州よりこの地に土着していらい19代続く。庄屋だった家は、大きな茅葺き屋根におおわて、見上げるほどに堂々としている。奥行きの深い中にすっと入り込むと、ひっそりと懐かしい静謐なところへと連れていってくれる。骨太の構造の静かに沈んだ空間に立つと、浮き足立った時代の流れが一瞬遠のく。障子に映る日差しがほのかに薄らいでいく。
 2階建ての穀倉と新倉が主屋の前に建つ。主屋の黒光りした柱に祈祷札が貼ってあった。季節に応じて、天候や時刻に応じて、家を取り巻く自然環境に敬意を払って暮らしてきたのだろう。熊谷家に残る一番古い御札は寛保4年(1744)のものだそうだ。風雪にもまれて、よくもまあ260年の歳月を重ねてきたことか。

2010年2月22日 (月)

板葺き屋根

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三遠南信はなつかしい風景に出会える。アルプスを背景に板葺き屋根の家が、あっちこっちに見られる。なだらかな山の斜面の畑を前にして、勾配の緩やかな屋根の煙突から煙があがっている。民家はどこまでもやさしく風景におさまる。
 石置きの板葺き屋根というと、素朴でいかにも古びた感じがするが、土地の材を使ったぜいたくな造りなのだ。栗やナラの木の板を何枚も重ねて葺いていく。
30年前に大平に住んでいた大蔵義文さんが板葺き屋根について語ってくれた。「ちょうど裏に大きな栗の木があったもんで、それを伐り出して板にへえでもらってね」。板材を重ねていくとき、釘は使わない。釘を打つと錆びてきてそこから雨漏りがする。
 風に飛ばされないように割り丸太で押さえ、押し木を置いて石を乗せた。押し木は檜が使われた。石が転がらず、雨水も流れるようにするのには、緩やかな勾配でなくてはならない。板葺き屋根は、山に暮らす人々の生活の知恵がはりめぐらされている。
「夜寝ていると、お背戸の木の実がコーンコーンと屋根に落ちる音がしてね」。
「里の秋」の歌は、板葺き屋根だったのだ。
 最近は、屋根材の確保がむずかしく、その姿を消していく運命にあるのが惜しまれる。

2010年2月11日 (木)

遠州の民家 分棟造り

Img223_4  引佐郡的場の分棟造りは、釜屋造りとも言われ、三遠南信では各地に分布していたが、現在は愛知県新城市の望月家、静岡県引佐町の鈴木家等わずかに残すのみとなった。
 炊事や農作業をしていた仕事場の棟と主屋とからなる民家が分棟造りである。
一つの家屋が二つの異なる棟に分かれて成り立っていると見るのか。
二つの異なる機能(はたらき)を持つ空間が一つになって家屋として成り立っていると見るのか。
鈴木家を訪ねてみよう。田沢小学校4年の鈴木達也君は、当の鈴木家に暮らしていた。暮らしていたというのは鈴木家が老朽化して現在建て直し中なのである。県の文化財に指定されていて、県の事業として2001年に復元される予定だ。江戸時代から200年は経とうかという、古い民家の改修に岐阜県白川郷の大工さんが携わっている。それほどに本格的な茅葺き屋根の民家を造る後継者がいないくなったということだろう。
 達也君は解体された我が家を調べることにした。平たい石の土台にじかに柱がたっている。古いお宮さんもそうだけど。柱は太くて、釘を使っていない。ほぞに柱を組み入れてやるから頑丈だ。
 うわぁー、真っ黒な天井だ。これはおおえと呼ばれていた部屋に囲炉裏があったからだ。煙が抜けるように天井は竹のすのこで出来ていたから、冬はスースー隙間風が入ってきて寒かった。だけど煙に燻された茅は虫もつかず、丈夫で長持ちしたんだ。屋根の全面に葺くのに1800束もの茅がいるんだって。
 お勝手のある土間に降りるのに、いちいち履き替えなくてはいけなかったし、トイレも外だったから冬や雨の日は困った。でも夏は涼しくてよかった。近くに蛍がいっぱいいたしね。
 ずっと昔、釜屋と呼ばれていた土間のほうで馬を飼っていたそうです。いいなあ。動物といっしょに暮らせたなんて。今の家では犬でさえ外で飼っているんだよ。蚕も部屋で飼っていたし、紙漉きもやっていたし、なんか自然がいっぱいっていう感じ。
 部屋がつながっていたから大勢人がきても、広く使うことが出来たし、いつも家族がひとつとこに集まって、話したり仕事していたりしていた。今の家って自分の部屋を持っているけど、昔のほうがいいなあ。おじいちゃんはいつもそう言ってるよ。
 
 

2008年2月28日 (木)

都市住環境の現実

 Img_2863       真壁構造の家                    2003年に新しい建築基準法ができた。24時間換気である。これには驚いてしまった。住宅の居室(寝室や居間など)は24時間、換気扇を廻していなければならないというものだ。
 私共の設計する住まいは、前述したように、真壁構造で合板を一切使わない訳だから、ホルムアルデヒドを始め化学物質の入り込む余地は少ない。
 外壁は、木舞(こまい)を組んだ土壁で塗り、外の建具も木製でない限り、24時間電気を使う強制換気が義務づけられる。何かおかしい。地球温暖化が叫ばれ、省エネが叫ばれる中(一向に実現できないが)、日本で毎年建設される、100万戸近い住宅の各居室に換気扇が付けられ、昼といわず夜中まで廻り続けるということは、ひょうきん(遠州の方言)である。
マンションの1室、鉄筋コンクリート造3DKの和室で、去年誕生した可愛いい赤ちゃんが寝ている。床は、輸入材の米栂(べいつが)で組まれ、その上に下地として12mmのインドネシア産のラワン合板が敷詰められ、ダニなど防虫材(ナフタレン)加工された紙が畳床の中国製防虫ワラ床をすっぽり覆っている。これまた、防虫液が浸透している。
 畳表は、一見新しく見せるため緑の化学染料で染められ、ヒートアイランド現象で夜の9時になっても外気は下がらず36度。空調器が運転され、室内の空気をかき廻している。考えただけでもゾーっとする。でも、これが日本の都市住環境の現実である。
この赤ちゃんが、アトピーや喘息を必ず患うとは言い切れないが、せめて美味しい水と空気を子孫に残すことが、いま生きる者の努めではなかろうか。
 生態系の中で、人間だけが生き続ければ良いのではなく、全ての生き物と共生する意味を、子供の時から体験しなければ、少子化やCO2削減が数字上達成されても、地球の未来は明るくない。
米松(べいまつ)などが杉より10%安いというだけで、外材や合板そして新建材でできる家は、本当に美しいのだろうか。  
 ごく最近まで、人は森に向って生きてきた。森は生活の一部であった。林業人よ、もっと自信を持って、文化・生命の源である日本の森の意義を主張してほしい。健全な森がなければ、都市は成立しないことは、歴史が証明しているのだから。

経済成長とともに失われたもの

      
Img_2867 「私共の家創りは、真壁構造を基準としている」と前回書いた。その上で、工事する際に特別注意する事として、外材ではなく国産材を、集成材や合板ではなく無垢(むく)材を、使用することを強調している。
 竣工時には、隠れてしまう畳や壁の下地、荒床・野地板にも、合板は使わない。現在の構造基準(建築基準法)からいうと、合板を多用した方が、有利にみえるが、構造体(柱や梁)の呼吸が妨げられ、日本の湿潤で気温の高い国土には、なじまない。
 樹は、伐採されてからきれいな空気を吸収することで、新しい生命を生き続けることができる。
 真壁工法が、日本の国土に合っているという事は、敗戦前の町屋や民家が100年を優に生き続けていること、奈良時代の寺院が、1000年を越えて、健在であることで証明される。戦後60年、経済の成長と共に日本の文化風習が失われつつある。無駄を嫌い人の心までもお金に換算して、価値を定めるようになってきたからではないだろうか。
 とくに、1960年代から、その勢いは、とどまるところを知らない。水俣病やHIVウィルスの問題、住まいではシックハウスやアスベスト問題に象徴される。無垢材を使った住まいに、シックハウスや小児喘息は殆どない。アトピーや小児喘息の患者は、新建材と呼ばれる石油化学製品や合板や接着剤から生み出される。
                                              
 

真壁構造

 Img_2888r                                                                                                                                                     玄関土間とそれに続く外部ポーチは平瓦を四半で敷いたが、三和土(たたき)にする場合もある。ここまでは「土」である。
 構造とその他の外部仕上げは「木」が主役である。杉の赤味板が相決り(註2)(あいじゃくり)加工、目透かしで横に張られている。縦に突付けて張り桟で抑えたり、横に重ね張りをしたりもする。これらは、全国に点在する民家で見ることができるので皆様も心当たりがあると思う。
 今回は色調を整え、防腐のための塗料(柿渋や荏胡麻油・えごま(註3)をベースとしたもの)を塗らず素地のままとした。木は、本来虫を寄せ付けない樹液と他の自然素材や廻りの空気になじむ性質を持っている。外観は桧の4寸柱がそのまま表われて横板とリズムを創り出し白壁と相まって美しい。
 玄関の左は車庫で、150年経った欅(けやき)の古材の柱と曲がった欅の梁構成、いぶり出された黒光りした肌が時間の流れを感じさせ、手斧(ちょうな)の跡は人の手の暖かさを味わうことができる。
 木の骨格が外にも表わされて初めて屋根瓦の重さを支え、見た目にも安心感を与える。
これを見ると「日本の風土にはやっぱり真壁構造(註4)だ」と確信する次第である。玄関の扉は、青ヒバの引違い框戸(かまちど)であるが、他はさすがに都市ではアルミにその場を譲らざるを得ない。しかし、内側の障子が白く浮き上がり、紙独特のやわらかさを見せてくれる(カーテンは風土に合わない)。
 都会でも、針葉樹や広葉樹などさまざまな樹々に囲まれた豊かな森を体験できる住まいが可能である。ちなみに、工費は東京で3.3平方mあたり70~80万円である。かくのごとく、私たちの設計する家は「木」と「土」と「紙」が三位一体となった空間であり、外部だけでなく内部も同じである。
「やっぱり昔ながらの木の家がいい」と感ずる住まい創りを職人さん達と目指している。

註1 すさ  藁(わら)のこと。壁を塗るときに赤土がばらばらにならないよう藁を混ぜ込んだ。
註2 相決り【あいじゃくり】 板と板が接する長辺の部分が互い違いに上下に重なり合うようにして、隙間なく接合する方法。床板や天板を張り合わせるときに使う。これに対し、継ぎ目を凹凸にする「本実継ぎ」がある
註3 荏胡麻【えごま】シソ科の一年草。高さ60~90センチ。全体に白い毛があり、シソに似る。花は白色。種子をしぼって荏(え)の油をとり、またゴマの代用にもする。
註4 真壁【しんかべ】壁の骨組みをつくる伝統的な方法。柱を壁の表面に出して仕上げる。 これに対し「大壁」は、柱の両面を板張りまたは壁塗りにして、柱が外部に現れないようにした壁。

日本の風土に合った真壁構造

 「木」と「土」と「紙」が基本
001  この家も「木」と「土」と「紙」の三素材が基本となってできている。ハウスメーカーの家とは違い6ヶ月の期間を必要とした。
 屋根は“いぶし瓦”(釉薬・ゆうやく を表面に塗ったものは大気を呼吸しない)。軒の直下の壁には漆喰が純白とは異なった色気のある白で塗られている。
 玄関廻りは珪藻土(けいそうど)が厚く塗られ、櫛目引きで仕上げられている。瓦は、練った土を型にとり高温で焼かれ大量に生産されるが、塗り壁はあくまで手作業である。とくに櫛目は左官屋さんによって出来が違ってしまう。
 なかなか引き目が揃わず難しい。塗り壁の下地はともかく、仕上げは気の合った左官職人にお願いすることになる。できれば親方一人に仕上げてもらえば、これに越したことはない。
  壁の理想は、昔ながらの貫(ぬき)に竹を組み、麻縄で結んだ上に地元の土を塗り重ねたものである。土とすさ(註1)を水でよく練った上で何日も寝かし、粗塗り中塗り仕上げと乾燥を確認しながら1年以上かけて仕上げていったものである。時間はかかったが3代100年の耐久力を考えればなんのことはない。
今のように流通も発達せず石油もない時代、全ての素材が地産地消であり住まいも例外ではなかった。子供時代を過ごした遠州浜松でも小学校へ行く途中、後に山、南に田を見下ろす坂の途中に松を燃やす、それも黒々とした煙を出す瓦焼きの窯があったのを想い出す。のどかなものである。