やつぱり昔ながらの木の家がいい Feed

京都の隠れ里、南山城

Img_1137

南山城は京都と奈良の境にあります。宇治茶の茶園が広がる山里に昔ながらの集落が広がっています。そこに住む人たちの穏やかな暮らしぶりが伝わってきます。矢車草の咲き乱れる庭、玄関わきの花壇、昔ながらの白壁の蔵、屋根の重なりの美しさ。

Img_1130

Img_1138

近くには十一面観音のお寺がひっそりとたたずみ、うっとりするほど美しい村です。

002

現光寺は古いお堂に素晴らしい十一面観音が祀られていました。

001

禅定寺の十一面観音も堂々としています。お顔が

優しく慈悲に満ちています。

日本の家 空間・記憶・言葉 中川武・著

日本の家には数えきれないほどの言葉が潜まれている。今、家の建て方が変わってきた。それに伴って家の言葉が消えて行く。家に携わってきた大工、左官、指物師等の職人の仕事がなくなってきたからだ。これは日本文化の消滅につながる。豊かな日本の家の伝統について余すところなく書かれた名著。

Photo_4

フランクロイド・ライト、ブルーノ・タウト、日本建築に憧れていた。桂離宮を最高の建築とする数寄屋造りこそ日本文化の粋。

ところが日本の家についての言葉の多くを知らない。たとえば大黒柱に縁側、上がり框や雪見障子、畳に襖――日本の家には四季を取り入れ、古来の習俗と共に生きてきた先人の知恵と情緒、美意識が込められている。その歴史や変遷、計算された構造を紐解きながら、家の持つ本来の意味、住まうとは何かを考える。

たとえば大黒柱に縁側、上がり框や雪見障子、畳に襖―日本の家には四季を取り入れ、古来の習俗と共に生きてきた先人の知恵と情緒、美意識が込められている。その歴史や変遷、計算された構造を紐解きながら、家の持つ本来の意味、住まうとは何かを考える。

●中川 武:建築史家・早稲田大学教授・工学博士。1944年富山県生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業、日本建築学会賞(業績賞)などを受賞・受勲。2014年より明治村館長を務める。

池川邸の煤払い

池谷  豁さんの写真

浜松の市街地で唯一残っている古民家。今日は大掃除と竹藪・庭の手入れをしました。30人のパワーはすごい。またたく間にきれいになりました。 労働の後のお汁粉は美味しかったです。都さんありがとう。陰で頑張っている人がいるのです。3月下旬にはタケノコ掘りをします。

森山 雪子さんの写真

 

 

 

続きを読む »

地鎮祭

Photo 
教え子の鹿島君は建築家として注目されています。今日も地鎮祭の情報を送ってきました

川越で住宅の地鎮祭をとりおこないました。天候にも恵まれた中、丁寧な神事に心洗われる思いと、これからの設計監理も身の引き締まる思いになりました。楽しみにしながら現場に通うことにします。

名古屋の元料亭「鳥久)」の解体を市長が保留 

Photo_3

 名古屋市中村区の堀川沿いにある元料亭の古い建物を解体しようと、所有者が工事に必要な許可を申請したが、河村たかし市長が保留している。
  建物は納屋橋南の木造の元料理店「鳥久(とりきゅう)」。市によると、江戸後期から明治の間に造られたとみられ、戦前は料亭「得月楼」として使われた。坪内逍遥ら文化人も多く訪れた、と記された文献もあるという。
  市長は27日の定例会見で、「空襲や戦災復興のため広い道路ばかり造って古い物をぶっ壊してきた名古屋の町で、庶民が集まった料理屋の最後の一個。頼むで壊さんでほしい」と主張。「正当な補償もさせてもらう」と述べ、同社を説得できるまで判断を保留する考えを示した。朝日新聞 10.29

 

軽井沢 追分の家

2_6

鹿嶋信哉さんが設計した家。木の家に風格がある。

軽井沢の追分といえば、立原道造を思い出す。ゆうすげびとと呼んだ少女との恋。追分の駅で少女は汽車が来るのを待った。日暮れのプラットホームに立原道造が降り立つのをひたすら待った。

1星よ、おまへはかがやかしい

花よ、おまへは美しかった

小鳥よおまへは優しかった

・・・私は語った おまへの耳に 幾たびも

私の心を どこにおこう 

 

 

 

匠の名旅館

木の家はいい。繊細な木目、飾り気のない無垢の表情。

森の簡素さが日本の名旅館にある。

Photo_2

Photo_3

 

漆喰の家

漆喰の家

浜松市中区初生町に国産材と漆喰で建てた家が完成。外観も漆喰で塗り固め、黒漆の玄関周りは見事な艶を出している。

むろん国産材を使った地産地消の建築である。いま新築の30%がこのような方法で建ったら、。大工さんも職人さんも元気になって、日本の国は変わる。

007

 

後ろの部屋に並ぶ小さなコンロは漆喰でできていて、固形燃料で三合のコメが炊ける。

京都の町屋

062

 
両側町

屋根の低い六軒長屋、十二軒長屋、百軒長屋のある通りは、以前と何も変わっていない。そこに住む人たちだけが年を取っていく。八百屋,花屋,和菓子屋となじみの店で,日々の暮らしがたちゆく。リヤカーで豆腐を売りにくる。     

職住一体の町屋は、人と人との縁で成り立っている。時代が移り変わっても,心急(せ)くことはない。何百年も続いている普段どおりの生活をしていればいい。相も変わらない暮らし方で,ゆとりを楽しんでいるようだ。  

京都の町屋は両側町である。通りは,ただ通過する街路ではなく,人々が暮らしを共有する生活の舞台である。歴史的に言うと,その昔,豊臣秀吉が永代地子免除令を出したことによる。路地を無償で永久にその両側に住んでいる人に貸し与えたのである。通りは町の中心となり,社交場でもあり、子供たちの遊び場でもあった。ヨーロッパの都市の広場がそうであったように、生活空間として機能を果たしていた。  

そのようにして歴史を刻んできた町屋も、最近、ビルの波が押し寄せてきて姿を変えつつある。いまや町屋は文化財並み。それでも現在2万8千の町屋が残っているというから、京都の町衆はなかなかしたたかである。 通りにはいくつもの小路があって,抜け裏へと続いている。京都の人たちは路地をろーじと間延びさせて,慕わしい気もちをこめていう。路地裏には,お地蔵さんの小さな祠があって、いつも花が供えられている。しばらく前までは共同の井戸があった。そんな小さな空間は子供たちの秘密の遊び場となる。自分たちだけの好(す)い場。ろーじに隠された好(す)い場で,明日の約束を交わして菫の暮色に消えていく。

 

地産地消 日本は山国

      
Img_2867 「私共の家創りは、真壁構造を基準としている」と前回書いた。その上で、工事する際に特別注意する事として、外材ではなく国産材を、集成材や合板ではなく無垢(むく)材を、使用することを強調している。
 竣工時には、隠れてしまう畳や壁の下地、荒床・野地板にも、合板は使わない。現在の構造基準(建築基準法)からいうと、合板を多用した方が、有利にみえるが、構造体(柱や梁)の呼吸が妨げられ、日本の湿潤で気温の高い国土には、なじまない。
 樹は、伐採されてからきれいな空気を吸収することで、新しい生命を生き続けることができる。
 真壁工法が、日本の国土に合っているという事は、敗戦前の町屋や民家が100年を優に生き続けていること、奈良時代の寺院が、1000年を越えて、健在であることで証明される。戦後60年、経済の成長と共に日本の文化風習が失われつつある。無駄を嫌い人の心までもお金に換算して、価値を定めるようになってきたからではないだろうか。
 とくに、1960年代から、その勢いは、とどまるところを知らない。水俣病やHIVウィルスの問題、住まいではシックハウスやアスベスト問題に象徴される。無垢材を使った住まいに、シックハウスや小児喘息は殆どない。アトピーや小児喘息の患者は、新建材と呼ばれる石油化学製品や合板や接着剤から生み出される。
                                              
 

フォトライブラリー

団体組織

  • NPO法人(特定非営利活動法人)
    雲を耕す会
    --活動状況--

    (事務局)
    〒433-8105
    静岡県浜松市北区三方原町447-23
    TEL/FAX 
    053ー436-5221

入会案内

  • 私達と一緒に「雲を耕す会」で活動しませんか?
     雲を耕す会では、たくさんの人や企業の協力・参加を求めています。
     詳細については事務局まで、
    電話またはメールにてお問い合わせください。

リンク

  • 緑のgoo

    リンクについてはこちらをご覧下さい。