世界の森を巡る旅 Feed

モンゴル 遊牧民の暮らし

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乳こそわが命。モンゴルでは乳製品を白い食べ物という。沸騰したミルクを何回も柄杓ですくいあげては落とす。そのうち表面が泡に包まれる。一晩置くと、表面がクリーム状になる。クリームはとろりとして美味しい。ケーキの味といおうか。クリームからバターができる。カルピスバターの高雅な味。

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残った脱脂乳を発酵させるとヨーグルトになる。ヨーグルトを掻き回してチーズの元をつくる。何回も掻き回して、さらに掻き回して、3000回は掻き回す。それを発酵させるとチーズができる。主婦のミンジンさんが桶からチーズを取り出して食べさせてくれた。酸っぱいチーズや硬いチーズがある。何千回も撹拌する作業は大変だ。朝早く夜遅くまで主婦は寝る暇もない。

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今は一面の青々とした緑に覆われている。家畜も思い思いに草を食む。短い夏は家畜たちの天国だ。その間に貯える乳が、遊牧民の暮らしのすべてを決める。バター、チーズは単なる嗜好品ではない。命をつなぐ保存食だ。

トバ湖 インドネシア・スマトラ島

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熱帯雨林を抜けるとトバ湖が広がっていた。世界最大のカルデラ湖、長さ100km、幅は約30km、最大水深530mで、面積は1,300km2に及ぶ。琵琶湖の2倍ある。

波立つ湖面、対岸が霞んで見える。噴火口にできた湖なのにとてつもなく大きい。熱帯雨林に空いた瞳、夜ともなれば銀河を映す。

Img_0647 湖岸に集落が点在し、小舟で漁をしている人がいる。湖の水で野菜を洗っている女の人。なんとなく生活の匂いがして、親しみがもてる。目指すはトバ湖に浮かぶ火山島サモシル島。船は行く船は行く、遥か希望を乗せて。船べりを涼しい風が通り過ぎる。

サモシル島に着いた。島といっても630平方キロもある。これは東京23区にあたる。山手線が1周する広さだ。船着き場の小さな通りを抜けると、土産物屋がいっぱい並ぶ。よほどの観光地らしい。

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夕闇迫る森の中に船の舳先のような屋根が反り返っているのが見える。高床式の民家はなかなか荘厳である。近くにシダブタル王家の墓がある。舟形の石棺が安置されていた。聖なる木ハリアナツリーの下に、石を削って作られた椅子やテーブルが円形に並ぶ。バツパーシダンガンと呼ばれ、会議や裁判のための石という意味を持つ。スマトラのバタック族の風習である。それらは約200年前に作られたという。この二つのセットのうち一つは公式な会議に使われ、もう一つは死刑執行場所であった。またしても首狩りの話題になる。むかし『冒険ダン吉くん』という漫画で、そんな話を読んだような気がする。キリスト教の伝来とともにこのような風習は禁止された。島のリゾートホテルに泊まる。湖に夕日が沈むのを眺めながら、現代と過去が交錯するバタック族の暮らしに思いを馳せる。

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夕食はトバ湖の魚、近くで採れた野菜の炒め物、正体不明のスープ。水鳥が鳴いている夜半の湖。

  

南ニアスの村

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子供たちがにこやかに迎えてくれた。船を並べたように民家が建ち並ぶ。集落の家並は日本の宿場町を思わせる。大屋根の集合集落となると白川郷を思い出す。ここは熱帯のニアス島、気候風土が違う。伝統的な家屋が80軒並んで、なかなか壮観だ。

集落内に人があふれ、普段通りの日常生活が営まれている。屋根の上ではお母さんが洗濯物を干す。日の当たる地べたに籾を広げている。広場に子どもたちの遊ぶ姿が見られる。どの子も元気。飛び跳ね、走り回り、押し合いへし合い。群れて遊ぶ子供たちに心が躍る。

村の石畳の通りは広い。道の真ん中に丸い石のへそがある。ここを基点に集落が形成されている。生の方向である川上から死の方向である川下へ向かって、家々が建ち並ぶ。川の流れのように穏やかにこの身をまかせる死生観が暮らしの中に表れている。家の前で、老人と孫が椅子に座ったままなにもしていない。

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家の両脇の横桁が腕木のようににゅっと抜き出ている。祭りの屋台のように装飾的で、家は住まいである以上に祭祀性に富む。

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船のような形の屋根は、西方から先祖が船でやってきた故地にちなむ。家族の誰かが死ぬと、魂がふたたび船に乗せられて西方へかえってゆく。家屋は祖先の乗り物であった船のアナロジ-だ。日本でも古墳時代に船のような屋根をのせた建築が表現されている。そして、棺桶はまさに死者を乗せるための船そのもの。家の船の底荷として米蔵があった。登呂遺跡の高床式倉庫につながる。遥かニアス島で日本の建築のルーツを見たような気がした。広間はテラスが居住空間になったものだ。

高床を斜めに支える木組みが力強い。家の構造は巨木で成り立っている。高い屋根が空を目指す。背後に大きなヤシの葉がそよぐ。森が人を包み込む。村の人がココナツ (サゴヤシ)を割ってくれた。ココナツジュースは野趣に富んで美味しかった。

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まっすぐ行ったら広い海が開けてきた。階段の遥か下、インド洋がおだやかに広がっている。この静かな海で、2005年にスマトラ沖地震が起きた。ニアス島だけで964人が犠牲になった。あれから13年も経つのかとしみじみ思った。

インドネシア・ニアス島

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メダン空港から双発ターボプロップ機はスマトラ島の南に浮かぶニアス島へ飛び立った。雲の流れる果てにシナブン山が噴煙を上げている。すぐ近くにトバ湖がのぞく。世界最大のカルデラ湖である。眼下に熱帯雨林の広がり、元・少年探検隊の血が騒ぐ。

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地図で見るとニアス島はゴマ粒しかないけれど、降り立ったらかなりの広さ。和歌山県ほどの面積がある。日の出とともにグンヌシトリ空港の草が萌えだす。飛行機から人力で荷物を運び出している。いよいよジャングルをかき分ける旅が始まった。

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車で北ニアスに向かう。バナナ、パパイア、マンゴーのトロピカル・フルーツが生い茂る。ヤシの大樹が風にサワサワと揺れる。かん高い鳥の鳴き声。道を駆け上っていくと家が見えてきた。サゴヤシの葉で葺かれた楕円形の家、寄棟造りのトンガリ型といえばいいか。高床式のはしごを登って、広間に入る。中央の柱に家族の歴史を語る彫刻が施されている。足踏み式ミシンが1台。隣の部屋で豚肉が燻されている。欲しそうにしていたら、お皿に盛ってきてくれた。コリコリと野性味あふれた味がする。

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外は暑いのに、部屋のなかは涼しい。大きく開け放たれた窓から風が吹き抜ける。窓の際にはベンチ、ここから外が丸見え。2人の男の子と女の子の3人兄妹が、親しげに近づいてくる。近所の人たちも普段の暮らしをのぞかせて親しみがもてる。屋根材のサゴヤシの葉が干してある。

ムザブの谷

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サハラ砂漠に世にも不思議な街がある。ムザブの谷は、奇妙で不思議で、まさに夢想の世界。こんなところにひとが住むなんて、どんな事情があってのことか。街に近づくにつれ、通学する子供たちの姿を見かける。ワジ(涸れ川)の河川敷は広い駐車場になっている。ワジは洪水に見舞われると大変だが、普段は水無川である。

異民族の襲撃に備えて、要塞が取り囲む。丘のてっぺんにモスクが建つ。モスクといっても質素な日干し煉瓦が使われていた。ミナレットが隣り合う。マグレブ地方特有の四角いミナレットは、上に行くほど細くなって、青空に突き抜ける。

丘の家々が豆腐の賽の目のように建ち並ぶ。パステルカラーの壁のおだやかな配色、家の造りは申し合わせたように似通う。

ベルベル人の一部族ムザブ族はコーランの教えを厳格に守り、イスラム教徒の清教徒と言われた。しかしイスラム世界では異端となり、主流派から迫害を受けた。11世紀初め、信仰の自由を求め、流浪の旅に出る。アトラス山脈を越えてサハラまでの遥かな旅だった。

ムザブの谷に辿り着いたのが1000年前、光源氏が夜な夜な女のもとに通っていたころだ。こちらは砂漠を逃げ回っていたのだから、運命とはいえ、あまりの落差に心が痛む。疾風怒濤の砂塵に巻きこまれ、立ち尽くしたこともあっただろう。

 ムザブの谷は、ほとんど雨の降らない不毛の土地だ。水脈を探し当て、井戸を深く掘り、オアシスへと遅々たる流れ。

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 一番のにぎわいはガルダイアの広場、周囲をアーケードが巡り、色とりどりの絨毯、衣類、小物などの店が建ち並ぶ。広場に人々があふれ、ついぞ聞いたことのない喧噪が心地よい。ベールの女、小さな子供の手を引いているお父さん、晴れがましい服装のお上りさん、アルジェリアの大家族、ひげの老人が店先で何やら話しこんでいる。あっちからもこっちからも親しげな声が響き合う。

サハラ砂漠

 

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「あっ狐が」と登喜子さんが言う。えっえっと砂漠に目をやる。その時は、もう狐の姿はどこにもなかった。石川さんが「きっと『星の王子さま』に出てくるフェネックという狐ですよ。それはラッキーでしたね」と快哉を叫ぶ。あの耳の長い狐は、メルフェンの世界だけかと思っていたら、サハラ砂漠に実際に生息していた。帰国してググったらホントに耳の長い狐だった。

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『星の王子さま』の作者、サン=テグジュベリは実際にリビア砂漠で遭難している。それなのに『星の王子さま』では、サハラ砂漠になっている。黄金に輝く美しいサハラ砂漠に魅せられたのだろう。『星の王子さま』の狐も耳が異様に長い。

飛行士を現実的なイメージとして書き、星の王子さまは薔薇の花がランプの灯のように輝いているような子供として描いている。そしてはかなく消えて行く。サハラ砂漠のたった0・2ミクロンしかない砂粒のように。

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夕暮れが迫ってきた。砂丘が目の前に広がる。バスを降りて砂丘を駆け上る。砂に足を取られてなかなか前に進めない。風が表面の砂をさらっていく。斜面に風紋が広がる。

砂丘のまろやかな起伏は、なんとも官能的で、『月の砂漠』を思い出させる。ボクは『月の砂漠』が好きだ。「二人はどこへ行くのでしょう」いうフレーズで、ほとんど涙声になる。作曲をした佐々木すぐるは浜松師範で音楽を教えていた。彼のイメージしたのは中田島砂丘に違いない。ボクの子供のころ、幾重にも重なる中田島砂丘を上り下りして、砂にまみれていた。その時の幸福感はいつまでも消えることはなかった。

『イングリッシュ・ペイシェント』はサハラ砂漠でのロマンティックな男女の出会いを描いている。映画は語る。人は誰かと出逢う約束があって、この世に生まれてくるのかもしれない。誰かとは、もうひとりの自分。いまの自分をもっと豊かにできる可能性を秘めた誰かと出逢う。映画のロケ地はここから120㌔しか離れていない。

ボクはサハラ砂漠の砂丘を越えて、やさしい稜線をふわりふわりと歩いていった。砂丘のかなたに夕日が沈んでいく。遠くの集落が紅球に染まる。その後、ゆっくりと暗闇が訪れて、辺りは急にひんやりしてきた。

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書評)『熱帯雨林コネクション マレーシア木材マフィアを追って』 ルーカス・シュトラウマン〈著〉

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楽園があった。名はサラワク。ボルネオ島北西部の豊かな森で、人びとはサゴヤシの樹(き)からデンプンを採り、吹き矢で鳥を狩って暮らしていた。 楽園のほとりに悪魔が生まれた。名はタイブ。貧しい大工の息子の彼は、小さな偶然でサラワク州の大臣となり、より大きな権力が欲しくなった。そのためには資金が要る。そうだ、伐採ライセンスを売ろう。

 タイブは既存の伐採ライセンスをいったん凍結し、賄賂と引き換えに業者に再発行するシステムを思いつき、実行した。

 大破壊が始まった。ブルドーザーとチェーンソーが熱帯雨林を薙(な)ぎ払い、切り出された木材は建設ラッシュ中の日本が消費した。

 破壊は世界へ広がった。楽園の樹をあらかた倒し終えた木材王たちは、近くはニューギニア、遠くはアマゾンの密林までブルドーザー隊で荒らし回った。

 同時に巨額のブラックマネーが世界を汚染した。賄賂で肥え太ったタイブは、自国のマレーシアはもとより、香港・カナダと各地に傘下の企業を数百社も設立し、吸い上げた富を増殖した。違法を訴える内部告発者は自殺に追い込んだ。

 

 白馬の騎士が現れた。名はブルーノ・マンサー。スイス生まれで、サラワクの自然をこよなく愛し、原住民と森で暮らしていた彼は、悪魔の侵攻に敢然と立ち向かった。道路を封鎖し、国外への抗議ツアーも催した。運動は実らず、彼の足跡は森に消えたが、仲間が志を継ぎ、わずかな森を守る戦いは続いている。

 乱伐で森が再生できなくなった跡地には、一面にオイルパームの赤い実がきらめく。腐敗しやすく大企業にしか管理できない実だ。

 33年後、悪魔は去り、楽園は永遠に失われた――。

 これがサラワク版の失楽園である。楽園を失う。顧みれば人類は、創世以来それを繰り返してきた。何かを得れば必ず何かを失う。私たちは今、悪魔の贈り物の上で暮らしている。

 評・山室恭子(東京工業大学教授・歴史学)朝日新聞 12月3日朝刊 読書欄より

サンクトペテルブルグ

サンクト・ペテルブルグは、街そのものが宝石といわれるほど美しい。ヨーロッパへの窓でもある。縦横に張り巡らされた運河、大聖堂のドーム、古色に染まる街並み。

ドフトエフスキーの「罪と罰」の舞台は当時とあまり変わらない。センナヤ広場を横切って、運河に架かる橋を渡り、石造りの古い建物に入る。ラスコーリニコフの足取りをたどることができる。

ネヴァ川に沿って、宮殿、聖堂、美術館など見所が集中している。元老院広場にピョートル大帝の騎馬像が立つ。203㌢の大男ならば、大帝と呼ぶにふさわしい。馬が立ち上がって反っくり返っている。こんなアクロバティックなポーズをとるなんて地震国日本では無理だ。

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182 聖イサク寺院

広場から聖イサク寺院のドーム(101m)が見える。大理石のどっしりした聖堂は、サンクト・ペテルブルグのランドマークになっている。

ロシア革命後、イデオロギーと宗教は相いれず、大聖堂は打ち壊すことになった。ところが建物が頑強過ぎて、どうすることもできない。しょんない、博物館にでもしておこうということで、生き残った。

そういえば前に来た時はソ連時代だったからイサク寺院の中へ入れてくれなかった。それが未練であったが、今日はその思いを遂げることができた。

さあ中へ、ドームの天井のモザイクがきらびやかに輝いている。祭壇のキリストの復活を表したステンドグラスの大きさに圧倒される。こんなに内部は豪華で美しかったのか。初恋の人に出会ったようだ。

  

209 血の上の救世主教会

「血の上の救世主教会」は、クリボエードフ運河の畔に建つ。ロシア風で、カラフルなネギ坊主がいくつも立って、小学生のお絵かき帳みたい。

アレクサンドル2世は農奴解放を目指した皇帝だったが、1881年に急進派のテロで暗殺されてしまう。息子のアレクサンドル3世が父の死を悼んで、殺された場所に建てたという。

血の上の救世主教会などと禍々しい名に反して、内部は美しいモザイク画で埋め尽くされていた。ロシアの人は世界一美しい教会だという。これほどの教会もソ連時代は倉庫に使っていたのである。社会主義は宗教や芸術に無知蒙昧、バカ頓智気(とんちき)だった。

教会の外に出ると、運河を船が行くのが見えた。サンクト・ペテルブルグは水の都でもある。橋を渡ると向こう岸で、流れる時間が一瞬止まる。時間がもう一度戻るまで待たなければならない。幻想都市、サンクト・ペテルブルグは、白夜の日の名残り、いつまでも暮れそうで暮れない。

メキシコのカカオ農園

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 カカオの原産地はてっきりガーナとばかり思っていたら、メキシコであった。事実、現在はアフリカが大産地になっている。

カカオの実が木の幹に生っている。幹生果(かんせいか)なんて初めて知った。まだ緑色だけど6月には赤く熟れる。熟成した実からカカオ豆を採り出す。焙煎して擂り潰したのがチョコレートの元になる。

カカオは神に奉げられた。日本の神饌みたいなものだ。誕生、結婚、死といった通過儀礼には必ず用いられた。

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 カカオの歴史は4000年、マヤ文明とカカオは切っても切り離せない。

 カカオは薬でもあった。胃にも肝臓にもいい。歯痛、毒消し、精力剤であった。子宝に恵まれるために寝屋には欠かせない。

 それよりなによりカカオは貨幣であった。七面鳥は100粒で手に入れることができた。奴隷とも交換された。カカオは租税として納められ、権力者の財をなした。もちろん交易にカカオは使われた。というわけでカカオはマヤ文明をずっと支えてきた。

 こんなに世界の歴史とつながっていたのかと、カカオの樹を仰ぎ見た。仰げば尊し、カカオの恩。

水木しげるさんと旅した森

水木しげるさんが亡くなりました。 10年以上も前になりますが、水木しげるさんとカナダへご一緒したことがあります。右から二人目 水木しげるさん、その隣が荒俣弘さん 飄々とした人柄がトーテムポールと共に思い出されます。ご冥福をお祈りします。 国立民族学博物館友の会の研修旅行でした。講師はイヌイット研究の第一人者、岸上伸啓先生でした。

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