ヴォロネッツ修道院
7月5日、ヴォロネッツ修道院へ出かけた。修道院って厳めしくて、近寄りがたく、古ぼけていて、何やらあやしく、シスターは神に仕える身であらせられるよ、とばかりにこりともしない。こちらは気鬱になる。
で、ヴォロネッツは。丘を越え、橋を渡り、森の小道を行ったところに、柿葺きのまろやかな修道院が見えてきた。屋根の上の塔も丸くて優しい。なんだか船を思わせる。薔薇の花咲く庭に囲まれて、あれイメージと違うなあ。
美しい修道女ガブリエラさんが出迎えてくれた。黒の法衣、俗世とは縁を切った証、丸い黒の帽子は、分けへだてなく円満にという意味がこめられている。何事も深い意味があるのだ。俗世にまみれたぼくには縁がない。
この日は彼女の誕生日だそうで、オペラ歌手から花束を贈られて、思わずにっこり。ぼくは尼僧に花など贈ったことがない。
修道院には、青を基調としたフレスコ画が外壁いっぱいに描かれていた。ボロネッツ・ブルーは、古代の青とでもいおうか、縹色に近い。この青は謎のまま、未だに再現出来てない。青は褪せることなく450年の風雪に耐えてきたのは、深い庇で守られてきたからだろう。
南側のファサードには、聖書の教えが描かれていた。絵を眺めているだけで、文字を知らない人でも、聖書を巡ることが出来る。シスターは、エッサイの樹と呼ばれる系統樹を、長い板で指し示しながら説明なさる。柔和な笑みは、神に仕える高貴さというものだ。
畏れ多くも、ぼくは質問をしたりして、さながら御前様に話し掛ける寅さんのようであった。シスターは祈りの時を告げるのに、このように板を小槌でコンコンとたたくのですとおやりになった。木魚みたい。そうだ、お寺の木魚も、時を作ったのだった。ノアが、洪水が起こったとき、動物たちを集めるために木を打ち鳴らしたことから来ているそうだ。
西の面には、最後の審判が描かれていた。キリストの血は地獄へと流れ、そこで喘ぎ苦しむ人たちがいる。あな恐ろしや。よく見ると、彼らはトルコ人に似ている。なるほど宿敵トルコは地獄へ落ちろというわけだ。
反対側は、花咲き、鳥歌い、天使の舞う天国が描かれていた。12の使徒に囲まれ、とても居心地が良さそうだ。真ん中には理科の実験のとき使うような天秤ばかりが置かれている。神は「汝、善を積んできたか」と問う。どちらかに傾いて、最後の審判が下る。善行に励み、神を崇め、教会にもサボらず行かなければならないと、誰もが思う。でなかったら地獄に落ちて、このような恐ろしい目に会わなければならない。
シスターは修道院の中へと導く。かしこみながら中へ入ると、フレスコ画が所狭しと描かれていた。外だけでは足りないのかなあと思ったら、中のが足りなくなって外にあふれ出たのだと言う。小暗い中で、聖体(イコン)にかしずく人、十字架に礼拝する人、聖書を熱心に口ずさむ人を見かけた。堂内は、俗世にまみれることもなく、厳粛な雰囲気に満ちていた。生涯、祈りと労働の日々を送るなんて、ぼくには出来ない。四角いかばんを提げて旅に出たほうがいい。
外に出る。塔の上に、白い雲がぽっかりと浮かんでいた。薬師寺の塔の上なるひとひらの雲を思い出す。森の木立が風にもまれて、歌うように揺れている。ものみな平和であった。













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