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2008年4月

2008年4月 7日 (月)

ヴォロネッツ修道院

 17 7月5日、ヴォロネッツ修道院へ出かけた。修道院って厳めしくて、近寄りがたく、古ぼけていて、何やらあやしく、シスターは神に仕える身であらせられるよ、とばかりにこりともしない。こちらは気鬱になる。
で、ヴォロネッツは。丘を越え、橋を渡り、森の小道を行ったところに、柿葺きのまろやかな修道院が見えてきた。屋根の上の塔も丸くて優しい。なんだか船を思わせる。薔薇の花咲く庭に囲まれて、あれイメージと違うなあ。
 美しい修道女ガブリエラさんが出迎えてくれた。黒の法衣、俗世とは縁を切った証、丸い黒の帽子は、分けへだてなく円満にという意味がこめられている。何事も深い意味があるのだ。俗世にまみれたぼくには縁がない。
 この日は彼女の誕生日だそうで、オペラ歌手から花束を贈られて、思わずにっこり。ぼくは尼僧に花など贈ったことがない。
 修道院には、青を基調としたフレスコ画が外壁いっぱいに描かれていた。ボロネッツ・ブルーは、古代の青とでもいおうか、縹色に近い。この青は謎のまま、未だに再現出来てない。青は褪せることなく450年の風雪に耐えてきたのは、深い庇で守られてきたからだろう。
 南側のファサードには、聖書の教えが描かれていた。絵を眺めているだけで、文字を知らない人でも、聖書を巡ることが出来る。シスターは、エッサイの樹と呼ばれる系統樹を、長い板で指し示しながら説明なさる。柔和な笑みは、神に仕える高貴さというものだ。
畏れ多くも、ぼくは質問をしたりして、さながら御前様に話し掛ける寅さんのようであった。シスターは祈りの時を告げるのに、このように板を小槌でコンコンとたたくのですとおやりになった。木魚みたい。そうだ、お寺の木魚も、時を作ったのだった。ノアが、洪水が起こったとき、動物たちを集めるために木を打ち鳴らしたことから来ているそうだ。
 西の面には、最後の審判が描かれていた。キリストの血は地獄へと流れ、そこで喘ぎ苦しむ人たちがいる。あな恐ろしや。よく見ると、彼らはトルコ人に似ている。なるほど宿敵トルコは地獄へ落ちろというわけだ。
 18 反対側は、花咲き、鳥歌い、天使の舞う天国が描かれていた。12の使徒に囲まれ、とても居心地が良さそうだ。真ん中には理科の実験のとき使うような天秤ばかりが置かれている。神は「汝、善を積んできたか」と問う。どちらかに傾いて、最後の審判が下る。善行に励み、神を崇め、教会にもサボらず行かなければならないと、誰もが思う。でなかったら地獄に落ちて、このような恐ろしい目に会わなければならない。
 シスターは修道院の中へと導く。かしこみながら中へ入ると、フレスコ画が所狭しと描かれていた。外だけでは足りないのかなあと思ったら、中のが足りなくなって外にあふれ出たのだと言う。小暗い中で、聖体(イコン)にかしずく人、十字架に礼拝する人、聖書を熱心に口ずさむ人を見かけた。堂内は、俗世にまみれることもなく、厳粛な雰囲気に満ちていた。生涯、祈りと労働の日々を送るなんて、ぼくには出来ない。四角いかばんを提げて旅に出たほうがいい。
 外に出る。塔の上に、白い雲がぽっかりと浮かんでいた。薬師寺の塔の上なるひとひらの雲を思い出す。森の木立が風にもまれて、歌うように揺れている。ものみな平和であった。

スチャバ

 12 7月4日夕方、カルパチャ山脈の北の端スチャバに飛んだ。丘がゆるやかに波打ち、麦畑、トウモロコシ、牧草地が短冊模様を描いていた。その外側に森が広がり、パッチワークのように見える。
 スチャバは地方都市らしく、メインストリートは一本しかなかった。この町の郊外の村にポルンベスクは生れた。後に、バルトークに師事し、ブラショフで名声を博す。彼はひとつ山を越えた村の娘と恋をした。初恋のベルタである。ストゥプカの森を抜けて恋人ベルタのイリシュシティ村まで通ってきた。だが森の中で交わされた逢い引きも、長くは続かなかった。宗派が違ったからだ。 失意の中で、ベルタはラダウツィの薬局に嫁ぐ。
修道院の鐘が鳴る。この辺は修道院がやたらに多い。15世紀末、シュテファン大公はオスマントルコと戦うたびに勝利し、神に感謝して修道院を寄進した。ルーマニアって百戦百敗の国だと思ったら、勝ったこともあったのだ。
 わけても5つの修道院は名高く、その4つまでが世界文化遺産になっている。ヴォロネッツの修道院もそのひとつ。いや、ヴォロネッツの修道院を見るだけでもルーマニアへやって来る甲斐がある。それほどに尊い。

バラーダ

36 ルーマニアの夜、バラーダの哀切なメロディーが流れる。ヴァイオリンの甘い響きがいっそう郷愁を誘う。この曲には思い入れがあった。13年前、ラジオ・フリー・ヨーロッパはバラーダで放送開始を告げ、圧政下に打ちひしがれていた人々の心を和らげていった。やがて民衆の心から心へ、バラーダは燎原の火のように広がり始めた。ルーマニア革命の序曲。
作曲者ポルンベスク(1853~1883)は、短い生涯で200を越す曲を作った。その中に、ひとつだけ不協和音の散らばる奇妙な曲を残した。『100年後の愛しき羊たちへ』というタイトルは、何を伝えようとしたのか、まったく謎であった。
 最近になって、バラーダと謎の曲の譜面を重ねあわせると、「殺されたことについは誰にも言うな」という言葉が隠されていたことが判明した。ルーマニアの古謡『ミオリッツア』の一節を、楽譜によって言語化していたのだ。ポルンベスクは、100年の時を越えてルーマニアの人々にメッセージを送っていた。『百年の預言』(高樹のぶ子)
85  セクリターテの盗聴をかいくぐって、バラーダは暗号文として、革命に立ち上がる人々に伝えられた。美しい鉄砲の弾が、ルーマニアの街を、丘を駆け巡った。人々は、憂い嘆く涙の果てに、失われた時代の回復を希求してやまなかった。バラーダは、革命の鍵を握っていた。
ルーマニアの夜、バラーダの哀切なメロディーが流れる。ヴァイオリンの甘い響きがいっそう郷愁を誘う。この曲には思い入れがあった。13年前、ラジオ・フリー・ヨーロッパはバラーダで放送開始を告げ、圧政下に打ちひしがれていた人々の心を和らげていった。やがて民衆の心から心へ、バラーダは燎原の火のように広がり始めた。ルーマニア革命の序曲。
作曲者ポルンベスク(1853~1883)は、短い生涯で200を越す曲を作った。その中に、ひとつだけ不協和音の散らばる奇妙な曲を残した。『100年後の愛しき羊たちへ』というタイトルは、何を伝えようとしたのか、まったく謎であった。
 最近になって、バラーダと謎の曲の譜面を重ねあわせると、「殺されたことについは誰にも言うな」という言葉が隠されていたことが判明した。ルーマニアの古謡『ミオリッツア』の一節を、楽譜によって言語化していたのだ。ポルンベスクは、100年の時を越えてルーマニアの人々にメッセージを送っていた。『百年の預言』(高樹のぶ子)
 セクリターテの盗聴をかいくぐって、バラーダは暗号文として、革命に立ち上がる人々に伝えられた。美しい鉄砲の弾が、ルーマニアの街を、丘を駆け巡った。人々は、憂い嘆く涙の果てに、失われた時代の回復を希求してやまなかった。バラーダは、革命の鍵を握っていた。

結婚式

28_2 ボクダン・ボーグの木の教会に入ると、暗くてよく分からない。ろうそくの灯かりにようやくイコンが浮かぶ。 
 イコンはガラスに描いたテンペラ画だ。素朴といおうか、稚拙といおうか、田舎の煤びた梁に貼られた秋葉山の御札を思わせる。それとこれとは違うのと言われそうだが、下手を旨としている節がある。
 キリストがゴルゴダの丘を上った時、汗で布に顔が写し取られたという。それがイコンの起源といわれている。ルーマニア正教ではイコンが御神体である。ちなみにパソコンのアイコンはイコンから来ているそうだ。
 司教さんがお見えになります。あっ、お見えになりました。ちょっと待ってください。今から結婚式を執り行います。えっ、ほんと、さっきまで誰もいなかったのに、と言っている間に、ぞろぞろと参列者がやってきて、厳かに結婚式が始まった。日本の皆さんもどうぞどうぞ。結婚式は大勢の人たちに祝われてこそ、二人の前途は開けるのですから。
 教会の中は、たくさんのろうそくが灯されて、明々と新郎新婦を照らしだした。前へどうぞと、縁もゆかりもないのに、ぼくは前に押し出された。新郎はなんと式服でも民族衣装でもなく、普通のシャツ姿であった。新婦は白いウェディングドレスを身につけていたが、昨日まで野原で羊を追っていたという雰囲気だ。来賓も仲人も日本人もあったものじゃあない。みんな普段のままだ。
 結婚式は心がこもっていればいいのだ。むろん民族衣装に着飾った派手な結婚式もあるわけだか、どのように式を挙げようと本人次第だ。ルーマニアの結婚式は、村中が繰り出して、3日3晩、飲み明かし、踊り明かす。民族的伝承に則って行われるから、小学校で模擬結婚式の授業があり、小さいうちから練習をしている。
 結婚式を中座して、外に出た。雨は小降りになって、山の村をしっとりと包んでいた。

ルーマニア 木の教会

25  ラダウツィからトランシルヴァニアへ向かう。トランシルヴァニアの響きがいい。遥か彼方を感じさせる。カントリーロード、緑に埋まる村、煙突から煙棚引き、キャベツ売りの少女が牛をひいて行く。もうぼくは、ほとんど涙ぐんでしまった。そのうちに空まで泣き出してきた。もらい泣きかもしれない。
 清澄な川がずっとお供をしてついてくる。バスが行くほどに森は深まり、樅の樹が雨にけぶる。冬の季節ならば、みなクリスマスツリーになるだろう。
 やっとプリスロープ峠に着いた。標高2004m、道祖神が雨の中に立っていた。牛が一頭、モォーと出迎えてくれた。霧の間にトランシルヴァニアの山々が見渡せる。マラムレッシュはあの向うらしい。なんという僻地なのだ。水窪の兵越峠を越えた遠山郷みたいだ。山道を延々と走り、やっとの思いで、ボクダン・ヴォーダの木の教会に着いた。
 柿葺きの急な屋根が鱗のようだ。ハンガリーが支配していたころ、石の教会は立派すぎるからだめだといわれて、やむなく樅の樹で教会を建てたという。それでよかった。こんなにもやさしく高貴に満ちた教会が、丘の上にいくつも残ったのだから。
 教会の木肌は、400年の歳月にさらされて銀色に底光りし、日本の古いお寺を見ているようだ。釘を一本も使わず、木組みによって建てられているのも、法隆寺や薬師寺みたいでいい。塔が、空に突き抜けんばかりにすっくと立ちあがって、樅の木のよう。裳腰に当たる屋根が、ひろやかに庇を延ばしている。のっぽの教会は、どこからでも仰ぎ見ることができる。村のランドマークだ。村人は、朝な夕なに、鐘の音を聞き、祈りを捧げる。