マリアナの家で
マリアナさんの家の中に入ると、敬虔な正教徒らしくイコンが祭ってある。その隣に、農事暦が貼ってあった。種まきとか刈り取りなどの農作業が、宗教行事と連動しているようだ。信仰と労働が渾然一帯となって、春夏秋冬と季節を送る。
刺繍のきれいなタピストリー、赤や青の縁取りのあるタオル、絵柄のかわいい陶器の皿。部屋の壁いっぱいの飾りは、みなマリアナさんの手作りだ。
村の女性はみんな機織りが出来る。ということは糸紡ぎもするわけだ。冬の夜、誰かしらの家に集まって、糸を紡ぐという。夜なべ仕事のかたわらお喋りに花が咲く。子供たちは、冬の夜話を耳にしながら眠りにつく。女性がいれば、やあ、こんばんはと男たちが訪ねてくる。地酒のツイカを飲んでは、歌をうたい、踊り明かす。寒い冬を耐えてやり過ごすなんて野暮な話よ。暖炉さえあれば、いつも人の輪が出来て、恋を交わす。
マリアナさんの家は、羊が30頭、ブタも牛もいる。これは忙しいだろう。そんな中で、御馳走を作って待っていてくれたなんて。
ツイカで乾杯。絞りたての牛乳。表面に脂肪の膜が張られたミルクを飲むのは、久しぶりのことだ。チーズ、何種類ものソーセージ、ブタの脂身の塩漬け。このひとつひとつは手作りだから、味わい深いことこの上ない。掛かった時間と込められた愛情、そのおもてなしに、感謝感謝で涙があふれる。きゅうり、トマト。それとスープ。朝、畑で収穫したに違いない
ママリガ、これはとうもろこしのべたべたしたおまんじゅう。もうお腹がいっぱい。
そこへ、メインデッシュのサルマーレが出てくる。これを食べずしてルーマニアは語れない。サルマーレは、ひき肉と米を混ぜ合わせ、ブドウの葉で巻いて、じっくりと煮込む。やわらかからず固からず、その手頃感が素晴らしい。
ルーマニア料理のすべてを味わったのではないか。もうすっかりルーマニア料理評論家になってしまった。
夜も更けた。ツイカが効いてきたのか、目もとろんとなって寝たくなった。刺繍のきれいなベッドカバーを掛けて、多少ガタゴトするベッドにもぐりこむ。
夜中にトイレへ行きたくなって、目を覚ます。外は真っ暗闇だった。そうか、夜は暗いのだ。トイレは外で、電気もないから、マッチをすって探さなくてはならない。
たかがトイレに行き着くのに、かなり悪戦苦闘を強いられた。トイレはブタ小屋の隣であつた。冒険物語に近い体験をして、戻る夜空に星がまたたいていた。ややっ、天の川だ。
星降りしマッチの火影マラムレシュ
*
朝が明けた。もうマッチはいらないと思うとほっとする。おはようとあいさつをして、井戸端で顔を洗って、ラジオ体操をする。田舎の朝だ。隣近所にもあいさつをしなくっちゃあ。折りしも向かいの家では、朝餉の仕度に忙しい。煙がゆらゆら庭先に流れ、おばあさんが鍋をかき回している。おはようと声を掛けると、おいでなせーと言う。庭のやわらかな緑をくぐって中へ入る。ワインとツイカを作るのに必要だから、家々の庭には決まって葡萄と李が植えられている。鍋の中はじゃがいもであった。なぜか玄関先が台所になっている。
鶏がとっとこ歩き回り、牛や豚が小屋から顔をのぞかせている。裏の畑でポチが鳴く。畑に行ってみると、キュウリ、トマト、トウモロコシが採れ頃だった。
少年は釣りに出かけ、農夫は朝の野良から戻ってきた。馬は誰に命じられるわけでもないのに、自分で小屋に入っていく。
田舎はい
いなあ。豊かな魂が息づいていて。あれこれ情報に惑わされることなく、質朴とした生き方に何のためらいもない。衣食住を自給できるのだから、これ以上の暮らしなどあるものか。困った時は、誰かしら手助けにやってくる。もし呼ばれなかったら、おいおい、どうして俺を呼ばなかったのだと文句を言う。お互い支え合うものだぜ。貧しければなおのこと、人との結びつきが大切だ。かぐわしい心映え。存在が詩であり、魂であり、歌である。
子供たちはかわいいし、みんなやさしくて、風景の中に不愉快なものが一つもない。
さあこれから草刈りに精を出さなくっちゃあ。乳絞り、畑の手入れ、ああ忙しい。ぼくもひとはだ脱いでと張り切ったのだけど、バスは早々に出発すると言う。そこが渡世人のつらいところ。それでは皆さんお達者で。村を去る目に涙。上を向いて歩こう。涙がこぼれないように。マリアよまた会う日まで。
マリアはパリに留学中の才媛。鄙にも希な見目麗しい女性である。大勢の村人の後ろで、小さく手を振っている。ルーマニア撫子マリア。花のパリでも、彼女は人の心を尊ぶこの村の暮しぶりを忘れはしないだろう。
どこよりも愛している村、やさしすぎて寄り添えなかった恋人のような、切ない村。そう、たしかにそうだと、行ってみて分かった。










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