マラムレッシュ
北の国では夜の訪れはなかなかやって来ない。空はまだまだ明るかった。
マラムレシュは大変な山間僻地で、外部との行き来もままならず、独自の習慣に頼らざるを得なかった。そのことが幸いして、生きた博物館と言われている。フォークロアの宝庫、三遠南信と似たところがある。
村々が点在するマラムレッシュは、見るべき物は何もない。ただ人々の暮しがあるだけ。ここは神様と共に人々が暮らすところ。天国のように貧しい村。
色鮮やかな鍋、釜、ポットが、大輪の花のように木の枝に吊る下がっている。ガイドのブラナさんは、「あれはこの家に娘さんがいると言うサインです。花婿募集中なのです」と説明してくれた。何と言うおおらかさ、箱入り娘なんていないらしい。のびやかな丘の草原に暮らせば、嫁入り先も風まかせ、鍋まかせなのだ。
カリネシュチ村に到着。広場で、村人総出で出迎えてくれる。ぼくたちはマリアナさんの家に一宿一飯の恩義に預かることになった。娘のアエロワは6才、愛くるしい笑顔で、ほおにキスをしてくれた。
アエロアに先導されて、ぼくたちは雨にぬかるむ道を歩いた。どの家の門も立派だ。門は、樅の樹で出来ていて、ぎざぎざの模様が刻まれている。トーテムポールみたい、いや鳥居かな。天まで伸びる樅の樹は、神と人とをつなぐご神木として崇められている。聖なる柱は、当然家族を守ってくれる。
その門のかたわらで、老人たちがのんびりとベンチに座っている。ひたすら座り続けて、黙して動かず、そのまま化石になってしまいそう。
深く皺を刻んだ顔に、なるようにしかならなかった諦めの歳月が流れる。生れてこの方過酷な歴史をかいくぐり、大波小波にもまれて、人生の詠嘆を残しながら穏やかに老いていく。過ぎてしまえば、みな美しい。
樅の樹の木っ端を積み重ねた柿葺の屋根を見かける。煙突から煙がたちのぼり、老婆が井戸の滑車を回している。のっぽの屋根を置く井戸の小屋は、四方を格子で囲み、冬の雪に備えて建っている。-30℃の寒さの中、水汲みなんて、さぞつらかろうに。
小屋の外に鉄の輪が飛び出していて、糸紬のように回すと、中の滑車が動いて、水を汲む仕掛けになっている。滑車の軋む音が聞こえてくる。
もう一つ跳ね釣瓶の井戸がある。竿の片方に石をぶら下げて、釣瓶を持ち上げる。おばあさん、お手伝いしましょうと、やってみるとなかなか大変だった。いやまあ、そんな腰つきではだめでござんすよ。ほれ、こんな具合に。軽やかなもんだ。
釣瓶井戸は3種類もあることが分かった。さすが生きた博物館だ。
マリアナさんの家へ着いた。新しい大きな家だ。
まあ、ようこそ、どうぞ、おくつろぎください、と言っているらしいが、ルーマニア語はさっぱり分からない。井戸で顔を洗って、柄杓で汲んだ井戸水を飲む。冷たくて美味しい。マラムレシュはカルパチァ山脈の谷の国なのだ。アルプスの水を飲んでいるようなものだ。








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