サンタクロースの故郷
旅の雑誌で「あなたが一番行ってみたいところはどこですか」という問いかけに「北
欧のクリスマス」と答えた人がいた。新劇女優の大塚道子という人だと思ったが、よく
覚えていない。それ以来、北欧は憧れの地となった。
数年前、その夢が半分実現した。と言うのも季節が夏だったから。フィンランドのヘ
ルシンキまでの航空切符を買って旅の人となった。『ムーミン』に出てくるスナフキン
のような旅をしてみたかった。そう『ムーミン』の作者トーベ・ヤンソンはフィンラン
ド人なのだ。 スナフキンはどのように旅に出たかというと、まあこんな具合だ。
ある朝はやく、スナフキンは、ムーミン谷のテントの中で目が覚めました。あたりは
、ひっそり静まり返っていました。しんみりした秋の気配がします。旅に出たいなあ。
スナフキンは、リュックを担ぐのももどかしく夢中で走りだしました。後で友達が目
を覚ましたら、こう言うでしょうね。
「あいつ、旅に行ってしまったよ。秋になったんだねえ。」
◇
旅の季節は夏だったけれど、クリスマスに関係の深いところへ行ってみたかった。
地図をめくりながらサンタクロースの故郷であるロバニエミを捜し当てた。
「サンタのおじさんへ」と子供たちが手紙を出す宛て先がロバニエミなのだ。
そこは北極圏まで続く鉄道の終着駅にある。ヘルシンキから北へ九00キロ。
青い車体の特急はロバニエミへ向けてスピードをあげていた。
タイガ(針葉樹林帯)をしばらく走ったかと思うと、湖が遠くに光っていた。
とある小さな駅で、女の子を抱いた若いお母さんが乗って来た。
汽車の窓からホームに向かってニッコリとほほえんだ。プラットホームでは、老夫婦がほほえみかえしていた。日に焼けた顔、がっしりした手、農民の表情がそこにあった。深い緑の瞳は、ずっと孫に注がれていた。里帰りをしていたのだろう。大きな荷物には、おみやげがいっぱい詰まっているらしかった。列車が静かに動き出すと、小さく手を振って元気でねと目元で語っていた。こんなにもつつましく、温かみのある別れがあるのだろうか。素朴だけど、とても真実味がある。思わずわが家が恋しくなった。遠い国の知らない街で、家族とはいいものだとしみじみ思った。
列車は再び森をぬうようにひた走りに走り出した。湖畔のサウナ小屋から、うっすら
と煙がたちのぼっているのが見える。自転車の少年が森の中に消えた。先ほどの母子のこまやかなやりとりがしばらく続いて、ほんのりした雰囲気が車内に漂っていた。ヨーロッパ、とりわけ北の方では、小さい子でも騒いだりぐずったりしない。公共の場の振る舞い方を厳しく躾られているからだ。 どのくらいかして、小さな駅に停車した。そこで母子は降りた。ホームを歩いて向かう二人に、若い夫が、手を振っていた。列車が動き出すころ、母子は夫の運転する小さな車に乗って、田舎の一本道を走って行った。
あの子の部屋では、人形や動物のぬいぐるみが帰りを待っているだろう。それにしても物静かな家族だなと思った。フィンランドの田舎は、どこまでも静寂な風景が続いていて、人もまた寡黙なのだ。
◇
午後10時に、ロバニエミの駅へ着いた。白夜の北極圏は、昼のようにまだ明るかった。駅から国境の村や、北極近くの小さな町へ行くバスが出ていた。なかにはソリで行く5日間の旅というポスターもあった。雪の季節にならないと無理だが。
北の果てロバニエミ。周辺は白樺の森や、苔の湿地帯が広がっていて、トナカイが群れていた。透明感のある青い空。ラップランド人の住んでいるトンガリ屋根の民家、赤や青の民族服を身につけた女性が犬の世話をしていた。
すべてが汚れを知らないメルヘンの世界を思わせた。なるほどサンタクロースの故郷はこのようなところなんだ。
通りすがりの青年に「クリスマスはどんな風に過ごすの」と訊ねたら、「取り立ててどうって事はありませんよ。家族が集まってごちそうを食べるだけさ」という答えが返ってきた。北欧のクリスマスはそれだけのことなのか。いささか拍子抜けしたが、かえってそのほうがいいように思った。クリスマスは本来、宗教的行事なのだから、お祭り騒ぎする方がおかしい。
◇
クリスマスには、遠い都会で働いている家族が、樅の木の村に戻ってくる。雪の降りしきる北欧の家々では、パチパチと燃える暖炉の火を見つめながら、冬の物語を語る。
夏でもさみしいのに、雪の季節は、宇宙の底にいる感じがするだろう。夏とは逆に昼
はほとんどないのだ。
クリスマスは簡素だけど大切にされているのがわかる気がする。だからこそ北欧のクリスマスは、素敵にロマンティックなのだ。
あの女の子の家のクリスマスはどんなんだろう。一度訪ねてみたい。スナフキンのように緑の帽子を目深に被り、日本からのおみやげをリュックに入れて。









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