ラッコ
プロペラ機はブリテッシュ・コロンビア州の南の端から北の端まで一気に飛んだ。直線距離で700キロ,アラスカはすぐ隣だ。フィヨルドの狭い湾の上をかすめて,荒涼とした飛行場に降り立った。
フェリーで小さな町プリンスルパートに渡る。丸太を組みあわせた先住民のロングハウスのような建物が見えてきた。ノーザンBC博物館だ。入口のドアを開けると,カヌーが天上にぶらさがっていた。山羊の毛で織ったマントがあった。首長が儀礼のとき掛けたもので,クマやワタリガラスが描かれている。動物たちの目玉がいくつもあって,お面が織り込まれているみたいだ。
その横に豪勢な金糸,銀糸で織り上げた蝦夷錦が飾られていた。竜の模様が東洋的だ。アイヌやサンタン文化が交易と共に広がっていたのだ。オホーツクや北太平洋の文化がこんなにも進んでいたなんて。
青いガラス玉があった。きれいなビーズは誰が身に付けたのだろうか。美しいガラスの玉は,悲しいラッコの物語でもあった。北の海の動物たちは自慢の毛皮をまとっていたために,片っ端から捕らえられた。ラッコは,シベリヤのクロテンと同じように,ガラス玉と取り引きされ,ヨーロッパへと運ばれた。ラッコの交易は地球規模だった。
狩猟の民は自然とうまく折り合いをつけてきた。森や海の種が途絶えたら,飢え死にするほかない。先住民は,狩猟の際,獲物の命が絶えるのを前にして祈りを捧げた。動物たちは再生するために人の前に現れ喜んで死んでいったのだと。だから獲物のどんな部分だろうと,捨てないで利用する。
そのバランスが崩れたのは交易が始まってからだ。金になることは自然の破壊につながる。ラッコも森も。その上,ヨーロッパの文明と衝突するや,先住民の伝統が壊されていった。
ラッコが獲り尽くされて,ガラス玉だけが残った。絶滅に瀕して,やっと1911年にラッコは禁猟となる。しかし,数の回復には遅すぎた。
「銀河鉄道の夜」に,ジョバンニのお父さんが禁猟のラッコを獲っているという話が出てくる。そのころ宮沢賢治は,禁猟の話を聞いていたのだ。ジョバンニの住んでいた町は,カナダの太平洋岸だったことになる。
「あぁ,その大きな海はパシフィックというのではなかったろうか。その氷山の流れる北の果ての海で,小さな船に乗って風や凍りつく湖水や,烈しい寒さと戦かって,誰かが懸命に働いている」。ジョバンニのお父さんはその一人だったのだろう。
博物館の前は駅だった。駅は電報を打ったり,雑貨を置いたり,一人何役もこなしていた。線路はスキーナ川沿いにどこまでも伸びていた。夜汽車に乗って,星月夜のスキーナ川を走りたい。川は夜空に横たわる銀河を映して流れていることだろう。空と二重映しに。
















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