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    雲を耕す会

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2010年3月 1日 (月)

モロッコ  アトラス山脈

 アーモンドの花咲く地中海地方とも別れて、モロッコを東西に走るアトラス山脈に入っていく。地中海気候と砂漠気候に分断する大山脈である。
 モワヤン・アトラスはそのほんの入り口。登って行くほどに針葉樹の緑なす高原が広がっていた。瀟洒な建物が建ち並ぶイフレンのリゾート地は、かつてフランスの保護下の名残か、ヨーロッパ風でついコーヒータイムを取りたくなる。71_2

 一休みして峠越え、レバノン杉の群落が現れてきた。古代、フェニキアの船を建造し、ペルシアの宮殿を構築し、ローマの館を飾ったレバノン杉は、人類の文明を支えてきたといっていい。その由緒ある樹木は、本家レバノンでは絶滅寸前という。それが目の前で山林となって生い茂っているではないか。木に抱きつき、実を拾い、木の香りを嗅ぎ、ひたすら古代の樹に参拝九拝した。樹を崇めたくなるのは、人類の記憶にずっと流れているようだ。  亭々とした木の下では、どうしようもなくアニミズムな気分になる。

   ミデルトという小さな町で昼となった。レストランのメニューは鱒のホイル焼き、リンゴのタルト。アトラスの雪解け水を集めて流れる川が近くにある。地図で確かめたらモーローヤと書いてあった。なんか朦朧としてくる。
 いよいよ主峰、ハイアトラスに登って行く。もちろんバスで。山路は険しくなり、霧がかかって雪山を隠す。タルガル峠(1907m)を越えると、ズィズ川の峡谷が右のほうに深く落ち込んでいる。

2010年2月 6日 (土)

ヴェトナムの森

Photo_3 ヴェトナムは海岸線は、南北3000キロにもわたる。樹相も、北から南へ、照葉樹林、熱帯樹林へ遷移していく。

フエ近くの山地には香木がひそかに葉を広げている。ジンチョウゲ科アキラリア属、高さ30m。香木のなかで、樹齢100年を越えた樹は、伽羅といわれた。香気は鼻に迫る。それは木でもなく、空でもなく、煙でもなく、火でもない。まことに神秘的である。神に祈ってから樹を伐らないと天罰が下る。それだけ香木は神聖であった。

香木すべてが伽羅になるのではなく、アステルギルス・ルーパ菌が繁殖した樹に限られる。それは奇跡というほかない。金と等価であったという。

森の中で、どれが香木か見分けられる能力に驚かされる。特殊な才能というほかない。

伐採には皇帝の許可を得た、もし盗めば腕を切り落とされた。

蘭奢待(らんじゃたい)という名香が正倉院にある。10年ほど前に正倉院展で公開されたとき、蘭奢待は大きく削られていた。誰が削ったのだ。信長、秀吉、家康の天下人である。権力これに極まれり。

現在も日本へ香木が16トン輸出される。6億円にものぼる。

2009年12月 8日 (火)

サンタクロースの故郷

 旅の雑誌で「あなたが一番行ってみたいところはどこですか」という問いかけに「北
欧のクリスマス」と答えた人がいた。新劇女優の大塚道子という人だと思ったが、よく
覚えていない。それ以来、北欧は憧れの地となった。 

 Img206

数年前、その夢が半分実現した。と言うのも季節が夏だったから。フィンランドのヘ
ルシンキまでの航空切符を買って旅の人となった。『ムーミン』に出てくるスナフキン
のような旅をしてみたかった。そう『ムーミン』の作者トーベ・ヤンソンはフィンラン
ド人なのだ。 スナフキンはどのように旅に出たかというと、まあこんな具合だ。
 ある朝はやく、スナフキンは、ムーミン谷のテントの中で目が覚めました。あたりは
、ひっそり静まり返っていました。しんみりした秋の気配がします。旅に出たいなあ。
スナフキンは、リュックを担ぐのももどかしく夢中で走りだしました。後で友達が目
を覚ましたら、こう言うでしょうね。
「あいつ、旅に行ってしまったよ。秋になったんだねえ。」
                      ◇
  旅の季節は夏だったけれど、クリスマスに関係の深いところへ行ってみたかった。

地図をめくりながらサンタクロースの故郷であるロバニエミを捜し当てた。

「サンタのおじさんへ」と子供たちが手紙を出す宛て先がロバニエミなのだ。

そこは北極圏まで続く鉄道の終着駅にある。ヘルシンキから北へ九00キロ。
 青い車体の特急はロバニエミへ向けてスピードをあげていた。

タイガ(針葉樹林帯)をしばらく走ったかと思うと、湖が遠くに光っていた。

牧場がいくつも現れては去って行った。
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  とある小さな駅で、女の子を抱いた若いお母さんが乗って来た。

汽車の窓からホームに向かってニッコリとほほえんだ。プラットホームでは、老夫婦がほほえみかえしていた。日に焼けた顔、がっしりした手、農民の表情がそこにあった。深い緑の瞳は、ずっと孫に注がれていた。里帰りをしていたのだろう。大きな荷物には、おみやげがいっぱい詰まっているらしかった。列車が静かに動き出すと、小さく手を振って元気でねと目元で語っていた。こんなにもつつましく、温かみのある別れがあるのだろうか。素朴だけど、とても真実味がある。思わずわが家が恋しくなった。遠い国の知らない街で、家族とはいいものだとしみじみ思った。
  列車は再び森をぬうようにひた走りに走り出した。湖畔のサウナ小屋から、うっすら
と煙がたちのぼっているのが見える。自転車の少年が森の中に消えた。先ほどの母子のこまやかなやりとりがしばらく続いて、ほんのりした雰囲気が車内に漂っていた。ヨーロッパ、とりわけ北の方では、小さい子でも騒いだりぐずったりしない。公共の場の振る舞い方を厳しく躾られているからだ。 どのくらいかして、小さな駅に停車した。そこで母子は降りた。ホームを歩いて向かう二人に、若い夫が、手を振っていた。列車が動き出すころ、母子は夫の運転する小さな車に乗って、田舎の一本道を走って行った。
 あの子の部屋では、人形や動物のぬいぐるみが帰りを待っているだろう。それにしても物静かな家族だなと思った。フィンランドの田舎は、どこまでも静寂な風景が続いていて、人もまた寡黙なのだ。
                       ◇
  午後10時に、ロバニエミの駅へ着いた。白夜の北極圏は、昼のようにまだ明るかった。駅から国境の村や、北極近くの小さな町へ行くバスが出ていた。なかにはソリで行く5日間の旅というポスターもあった。雪の季節にならないと無理だが。
 北の果てロバニエミ。周辺は白樺の森や、苔の湿地帯が広がっていて、トナカイが群れていた。透明感のある青い空。ラップランド人の住んでいるトンガリ屋根の民家、赤や青の民族服を身につけた女性が犬の世話をしていた。
  すべてが汚れを知らないメルヘンの世界を思わせた。なるほどサンタクロースの故郷はこのようなところなんだ。

通りすがりの青年に「クリスマスはどんな風に過ごすの」と訊ねたら、「取り立ててどうって事はありませんよ。家族が集まってごちそうを食べるだけさ」という答えが返ってきた。北欧のクリスマスはそれだけのことなのか。いささか拍子抜けしたが、かえってそのほうがいいように思った。クリスマスは本来、宗教的行事なのだから、お祭り騒ぎする方がおかしい。
                        ◇
 クリスマスには、遠い都会で働いている家族が、樅の木の村に戻ってくる。雪の降りしきる北欧の家々では、パチパチと燃える暖炉の火を見つめながら、冬の物語を語る。
 夏でもさみしいのに、雪の季節は、宇宙の底にいる感じがするだろう。夏とは逆に昼
はほとんどないのだ。
 クリスマスは簡素だけど大切にされているのがわかる気がする。だからこそ北欧のクリスマスは、素敵にロマンティックなのだ。
 あの女の子の家のクリスマスはどんなんだろう。一度訪ねてみたい。スナフキンのように緑の帽子を目深に被り、日本からのおみやげをリュックに入れて。

2008年5月14日 (水)

マリアナの家で

   34 マリアナさんの家の中に入ると、敬虔な正教徒らしくイコンが祭ってある。その隣に、農事暦が貼ってあった。種まきとか刈り取りなどの農作業が、宗教行事と連動しているようだ。信仰と労働が渾然一帯となって、春夏秋冬と季節を送る。
 刺繍のきれいなタピストリー、赤や青の縁取りのあるタオル、絵柄のかわいい陶器の皿。部屋の壁いっぱいの飾りは、みなマリアナさんの手作りだ。
 村の女性はみんな機織りが出来る。ということは糸紡ぎもするわけだ。冬の夜、誰かしらの家に集まって、糸を紡ぐという。夜なべ仕事のかたわらお喋りに花が咲く。子供たちは、冬の夜話を耳にしながら眠りにつく。女性がいれば、やあ、こんばんはと男たちが訪ねてくる。地酒のツイカを飲んでは、歌をうたい、踊り明かす。寒い冬を耐えてやり過ごすなんて野暮な話よ。暖炉さえあれば、いつも人の輪が出来て、恋を交わす。
 マリアナさんの家は、羊が30頭、ブタも牛もいる。これは忙しいだろう。そんな中で、御馳走を作って待っていてくれたなんて。
 ツイカで乾杯。絞りたての牛乳。表面に脂肪の膜が張られたミルクを飲むのは、久しぶりのことだ。チーズ、何種類ものソーセージ、ブタの脂身の塩漬け。このひとつひとつは手作りだから、味わい深いことこの上ない。掛かった時間と込められた愛情、そのおもてなしに、感謝感謝で涙があふれる。きゅうり、トマト。それとスープ。朝、畑で収穫したに違いない
 ママリガ、これはとうもろこしのべたべたしたおまんじゅう。もうお腹がいっぱい。
 そこへ、メインデッシュのサルマーレが出てくる。これを食べずしてルーマニアは語れない。サルマーレは、ひき肉と米を混ぜ合わせ、ブドウの葉で巻いて、じっくりと煮込む。やわらかからず固からず、その手頃感が素晴らしい。
 ルーマニア料理のすべてを味わったのではないか。もうすっかりルーマニア料理評論家になってしまった。
 夜も更けた。ツイカが効いてきたのか、目もとろんとなって寝たくなった。刺繍のきれいなベッドカバーを掛けて、多少ガタゴトするベッドにもぐりこむ。
 夜中にトイレへ行きたくなって、目を覚ます。外は真っ暗闇だった。そうか、夜は暗いのだ。トイレは外で、電気もないから、マッチをすって探さなくてはならない。
 たかがトイレに行き着くのに、かなり悪戦苦闘を強いられた。トイレはブタ小屋の隣であつた。冒険物語に近い体験をして、戻る夜空に星がまたたいていた。ややっ、天の川だ。
 星降りしマッチの火影マラムレシュ 
 29_3                   *
 朝が明けた。もうマッチはいらないと思うとほっとする。おはようとあいさつをして、井戸端で顔を洗って、ラジオ体操をする。田舎の朝だ。隣近所にもあいさつをしなくっちゃあ。折りしも向かいの家では、朝餉の仕度に忙しい。煙がゆらゆら庭先に流れ、おばあさんが鍋をかき回している。おはようと声を掛けると、おいでなせーと言う。庭のやわらかな緑をくぐって中へ入る。ワインとツイカを作るのに必要だから、家々の庭には決まって葡萄と李が植えられている。鍋の中はじゃがいもであった。なぜか玄関先が台所になっている。
 鶏がとっとこ歩き回り、牛や豚が小屋から顔をのぞかせている。裏の畑でポチが鳴く。畑に行ってみると、キュウリ、トマト、トウモロコシが採れ頃だった。
 少年は釣りに出かけ、農夫は朝の野良から戻ってきた。馬は誰に命じられるわけでもないのに、自分で小屋に入っていく。   
 田舎はい30_4いなあ。豊かな魂が息づいていて。あれこれ情報に惑わされることなく、質朴とした生き方に何のためらいもない。衣食住を自給できるのだから、これ以上の暮らしなどあるものか。困った時は、誰かしら手助けにやってくる。もし呼ばれなかったら、おいおい、どうして俺を呼ばなかったのだと文句を言う。お互い支え合うものだぜ。貧しければなおのこと、人との結びつきが大切だ。かぐわしい心映え。存在が詩であり、魂であり、歌である。 
 子供たちはかわいいし、みんなやさしくて、風景の中に不愉快なものが一つもない。
 さあこれから草刈りに精を出さなくっちゃあ。乳絞り、畑の手入れ、ああ忙しい。ぼくもひとはだ脱いでと張り切ったのだけど、バスは早々に出発すると言う。そこが渡世人のつらいところ。それでは皆さんお達者で。村を去る目に涙。上を向いて歩こう。涙がこぼれないように。マリアよまた会う日まで。
  マリアはパリに留学中の才媛。鄙にも希な見目麗しい女性である。大勢の村人の後ろで、小さく手を振っている。ルーマニア撫子マリア。花のパリでも、彼女は人の心を尊ぶこの村の暮しぶりを忘れはしないだろう。
 どこよりも愛している村、やさしすぎて寄り添えなかった恋人のような、切ない村。そう、たしかにそうだと、行ってみて分かった。

マラムレッシュ

38_3   北の国では夜の訪れはなかなかやって来ない。空はまだまだ明るかった。
 マラムレシュは大変な山間僻地で、外部との行き来もままならず、独自の習慣に頼らざるを得なかった。そのことが幸いして、生きた博物館と言われている。フォークロアの宝庫、三遠南信と似たところがある。 
 村々が点在するマラムレッシュは、見るべき物は何もない。ただ人々の暮しがあるだけ。ここは神様と共に人々が暮らすところ。天国のように貧しい村。
 色鮮やかな鍋、釜、ポットが、大輪の花のように木の枝に吊る下がっている。ガイドのブラナさんは、「あれはこの家に娘さんがいると言うサインです。花婿募集中なのです」と説明してくれた。何と言うおおらかさ、箱入り娘なんていないらしい。のびやかな丘の草原に暮らせば、嫁入り先も風まかせ、鍋まかせなのだ。
 カリネシュチ村に到着。広場で、村人総出で出迎えてくれる。ぼくたちはマリアナさんの家に一宿一飯の恩義に預かることになった。娘のアエロワは6才、愛くるしい笑顔で、ほおにキスをしてくれた。
アエロアに先導されて、ぼくたちは雨にぬかるむ道を歩いた。どの家の門も立派だ。門は、樅の樹で出来ていて、ぎざぎざの模様が刻まれている。トーテムポールみたい、いや鳥居かな。天まで伸びる樅の樹は、神と人とをつなぐご神木として崇められている。聖なる柱は、当然家族を守ってくれる。
 その門のかたわらで、老人たちがのんびりとベンチに座っている。ひたすら座り続けて、黙して動かず、そのまま化石になってしまいそう。
 深く皺を刻んだ顔に、なるようにしかならなかった諦めの歳月が流れる。生れてこの方過酷な歴史をかいくぐり、大波小波にもまれて、人生の詠嘆を残しながら穏やかに老いていく。過ぎてしまえば、みな美しい。32                                                                                                    

 樅の樹の木っ端を積み重ねた柿葺の屋根を見かける。煙突から煙がたちのぼり、老婆が井戸の滑車を回している。のっぽの屋根を置く井戸の小屋は、四方を格子で囲み、冬の雪に備えて建っている。-30℃の寒さの中、水汲みなんて、さぞつらかろうに。
  小屋の外に鉄の輪が飛び出していて、糸紬のように回すと、中の滑車が動いて、水を汲む仕掛けになっている。滑車の軋む音が聞こえてくる。
 もう一つ跳ね釣瓶の井戸がある。竿の片方に石をぶら下げて、釣瓶を持ち上げる。おばあさん、お手伝いしましょうと、やってみるとなかなか大変だった。いやまあ、そんな腰つきではだめでござんすよ。ほれ、こんな具合に。軽やかなもんだ。
 釣瓶井戸は3種類もあることが分かった。さすが生きた博物館だ。
 マリアナさんの家へ着いた。新しい大きな家だ。
 まあ、ようこそ、どうぞ、おくつろぎください、と言っているらしいが、ルーマニア語はさっぱり分からない。井戸で顔を洗って、柄杓で汲んだ井戸水を飲む。冷たくて美味しい。マラムレシュはカルパチァ山脈の谷の国なのだ。アルプスの水を飲んでいるようなものだ。
 

2008年4月 7日 (月)

ヴォロネッツ修道院

 17 7月5日、ヴォロネッツ修道院へ出かけた。修道院って厳めしくて、近寄りがたく、古ぼけていて、何やらあやしく、シスターは神に仕える身であらせられるよ、とばかりにこりともしない。こちらは気鬱になる。
で、ヴォロネッツは。丘を越え、橋を渡り、森の小道を行ったところに、柿葺きのまろやかな修道院が見えてきた。屋根の上の塔も丸くて優しい。なんだか船を思わせる。薔薇の花咲く庭に囲まれて、あれイメージと違うなあ。
 美しい修道女ガブリエラさんが出迎えてくれた。黒の法衣、俗世とは縁を切った証、丸い黒の帽子は、分けへだてなく円満にという意味がこめられている。何事も深い意味があるのだ。俗世にまみれたぼくには縁がない。
 この日は彼女の誕生日だそうで、オペラ歌手から花束を贈られて、思わずにっこり。ぼくは尼僧に花など贈ったことがない。
 修道院には、青を基調としたフレスコ画が外壁いっぱいに描かれていた。ボロネッツ・ブルーは、古代の青とでもいおうか、縹色に近い。この青は謎のまま、未だに再現出来てない。青は褪せることなく450年の風雪に耐えてきたのは、深い庇で守られてきたからだろう。
 南側のファサードには、聖書の教えが描かれていた。絵を眺めているだけで、文字を知らない人でも、聖書を巡ることが出来る。シスターは、エッサイの樹と呼ばれる系統樹を、長い板で指し示しながら説明なさる。柔和な笑みは、神に仕える高貴さというものだ。
畏れ多くも、ぼくは質問をしたりして、さながら御前様に話し掛ける寅さんのようであった。シスターは祈りの時を告げるのに、このように板を小槌でコンコンとたたくのですとおやりになった。木魚みたい。そうだ、お寺の木魚も、時を作ったのだった。ノアが、洪水が起こったとき、動物たちを集めるために木を打ち鳴らしたことから来ているそうだ。
 西の面には、最後の審判が描かれていた。キリストの血は地獄へと流れ、そこで喘ぎ苦しむ人たちがいる。あな恐ろしや。よく見ると、彼らはトルコ人に似ている。なるほど宿敵トルコは地獄へ落ちろというわけだ。
 18 反対側は、花咲き、鳥歌い、天使の舞う天国が描かれていた。12の使徒に囲まれ、とても居心地が良さそうだ。真ん中には理科の実験のとき使うような天秤ばかりが置かれている。神は「汝、善を積んできたか」と問う。どちらかに傾いて、最後の審判が下る。善行に励み、神を崇め、教会にもサボらず行かなければならないと、誰もが思う。でなかったら地獄に落ちて、このような恐ろしい目に会わなければならない。
 シスターは修道院の中へと導く。かしこみながら中へ入ると、フレスコ画が所狭しと描かれていた。外だけでは足りないのかなあと思ったら、中のが足りなくなって外にあふれ出たのだと言う。小暗い中で、聖体(イコン)にかしずく人、十字架に礼拝する人、聖書を熱心に口ずさむ人を見かけた。堂内は、俗世にまみれることもなく、厳粛な雰囲気に満ちていた。生涯、祈りと労働の日々を送るなんて、ぼくには出来ない。四角いかばんを提げて旅に出たほうがいい。
 外に出る。塔の上に、白い雲がぽっかりと浮かんでいた。薬師寺の塔の上なるひとひらの雲を思い出す。森の木立が風にもまれて、歌うように揺れている。ものみな平和であった。

スチャバ

 12 7月4日夕方、カルパチャ山脈の北の端スチャバに飛んだ。丘がゆるやかに波打ち、麦畑、トウモロコシ、牧草地が短冊模様を描いていた。その外側に森が広がり、パッチワークのように見える。
 スチャバは地方都市らしく、メインストリートは一本しかなかった。この町の郊外の村にポルンベスクは生れた。後に、バルトークに師事し、ブラショフで名声を博す。彼はひとつ山を越えた村の娘と恋をした。初恋のベルタである。ストゥプカの森を抜けて恋人ベルタのイリシュシティ村まで通ってきた。だが森の中で交わされた逢い引きも、長くは続かなかった。宗派が違ったからだ。 失意の中で、ベルタはラダウツィの薬局に嫁ぐ。
修道院の鐘が鳴る。この辺は修道院がやたらに多い。15世紀末、シュテファン大公はオスマントルコと戦うたびに勝利し、神に感謝して修道院を寄進した。ルーマニアって百戦百敗の国だと思ったら、勝ったこともあったのだ。
 わけても5つの修道院は名高く、その4つまでが世界文化遺産になっている。ヴォロネッツの修道院もそのひとつ。いや、ヴォロネッツの修道院を見るだけでもルーマニアへやって来る甲斐がある。それほどに尊い。

バラーダ

36 ルーマニアの夜、バラーダの哀切なメロディーが流れる。ヴァイオリンの甘い響きがいっそう郷愁を誘う。この曲には思い入れがあった。13年前、ラジオ・フリー・ヨーロッパはバラーダで放送開始を告げ、圧政下に打ちひしがれていた人々の心を和らげていった。やがて民衆の心から心へ、バラーダは燎原の火のように広がり始めた。ルーマニア革命の序曲。
作曲者ポルンベスク(1853~1883)は、短い生涯で200を越す曲を作った。その中に、ひとつだけ不協和音の散らばる奇妙な曲を残した。『100年後の愛しき羊たちへ』というタイトルは、何を伝えようとしたのか、まったく謎であった。
 最近になって、バラーダと謎の曲の譜面を重ねあわせると、「殺されたことについは誰にも言うな」という言葉が隠されていたことが判明した。ルーマニアの古謡『ミオリッツア』の一節を、楽譜によって言語化していたのだ。ポルンベスクは、100年の時を越えてルーマニアの人々にメッセージを送っていた。『百年の預言』(高樹のぶ子)
85  セクリターテの盗聴をかいくぐって、バラーダは暗号文として、革命に立ち上がる人々に伝えられた。美しい鉄砲の弾が、ルーマニアの街を、丘を駆け巡った。人々は、憂い嘆く涙の果てに、失われた時代の回復を希求してやまなかった。バラーダは、革命の鍵を握っていた。
ルーマニアの夜、バラーダの哀切なメロディーが流れる。ヴァイオリンの甘い響きがいっそう郷愁を誘う。この曲には思い入れがあった。13年前、ラジオ・フリー・ヨーロッパはバラーダで放送開始を告げ、圧政下に打ちひしがれていた人々の心を和らげていった。やがて民衆の心から心へ、バラーダは燎原の火のように広がり始めた。ルーマニア革命の序曲。
作曲者ポルンベスク(1853~1883)は、短い生涯で200を越す曲を作った。その中に、ひとつだけ不協和音の散らばる奇妙な曲を残した。『100年後の愛しき羊たちへ』というタイトルは、何を伝えようとしたのか、まったく謎であった。
 最近になって、バラーダと謎の曲の譜面を重ねあわせると、「殺されたことについは誰にも言うな」という言葉が隠されていたことが判明した。ルーマニアの古謡『ミオリッツア』の一節を、楽譜によって言語化していたのだ。ポルンベスクは、100年の時を越えてルーマニアの人々にメッセージを送っていた。『百年の預言』(高樹のぶ子)
 セクリターテの盗聴をかいくぐって、バラーダは暗号文として、革命に立ち上がる人々に伝えられた。美しい鉄砲の弾が、ルーマニアの街を、丘を駆け巡った。人々は、憂い嘆く涙の果てに、失われた時代の回復を希求してやまなかった。バラーダは、革命の鍵を握っていた。

結婚式

28_2 ボクダン・ボーグの木の教会に入ると、暗くてよく分からない。ろうそくの灯かりにようやくイコンが浮かぶ。 
 イコンはガラスに描いたテンペラ画だ。素朴といおうか、稚拙といおうか、田舎の煤びた梁に貼られた秋葉山の御札を思わせる。それとこれとは違うのと言われそうだが、下手を旨としている節がある。
 キリストがゴルゴダの丘を上った時、汗で布に顔が写し取られたという。それがイコンの起源といわれている。ルーマニア正教ではイコンが御神体である。ちなみにパソコンのアイコンはイコンから来ているそうだ。
 司教さんがお見えになります。あっ、お見えになりました。ちょっと待ってください。今から結婚式を執り行います。えっ、ほんと、さっきまで誰もいなかったのに、と言っている間に、ぞろぞろと参列者がやってきて、厳かに結婚式が始まった。日本の皆さんもどうぞどうぞ。結婚式は大勢の人たちに祝われてこそ、二人の前途は開けるのですから。
 教会の中は、たくさんのろうそくが灯されて、明々と新郎新婦を照らしだした。前へどうぞと、縁もゆかりもないのに、ぼくは前に押し出された。新郎はなんと式服でも民族衣装でもなく、普通のシャツ姿であった。新婦は白いウェディングドレスを身につけていたが、昨日まで野原で羊を追っていたという雰囲気だ。来賓も仲人も日本人もあったものじゃあない。みんな普段のままだ。
 結婚式は心がこもっていればいいのだ。むろん民族衣装に着飾った派手な結婚式もあるわけだか、どのように式を挙げようと本人次第だ。ルーマニアの結婚式は、村中が繰り出して、3日3晩、飲み明かし、踊り明かす。民族的伝承に則って行われるから、小学校で模擬結婚式の授業があり、小さいうちから練習をしている。
 結婚式を中座して、外に出た。雨は小降りになって、山の村をしっとりと包んでいた。

ルーマニア 木の教会

25  ラダウツィからトランシルヴァニアへ向かう。トランシルヴァニアの響きがいい。遥か彼方を感じさせる。カントリーロード、緑に埋まる村、煙突から煙棚引き、キャベツ売りの少女が牛をひいて行く。もうぼくは、ほとんど涙ぐんでしまった。そのうちに空まで泣き出してきた。もらい泣きかもしれない。
 清澄な川がずっとお供をしてついてくる。バスが行くほどに森は深まり、樅の樹が雨にけぶる。冬の季節ならば、みなクリスマスツリーになるだろう。
 やっとプリスロープ峠に着いた。標高2004m、道祖神が雨の中に立っていた。牛が一頭、モォーと出迎えてくれた。霧の間にトランシルヴァニアの山々が見渡せる。マラムレッシュはあの向うらしい。なんという僻地なのだ。水窪の兵越峠を越えた遠山郷みたいだ。山道を延々と走り、やっとの思いで、ボクダン・ヴォーダの木の教会に着いた。
 柿葺きの急な屋根が鱗のようだ。ハンガリーが支配していたころ、石の教会は立派すぎるからだめだといわれて、やむなく樅の樹で教会を建てたという。それでよかった。こんなにもやさしく高貴に満ちた教会が、丘の上にいくつも残ったのだから。
 教会の木肌は、400年の歳月にさらされて銀色に底光りし、日本の古いお寺を見ているようだ。釘を一本も使わず、木組みによって建てられているのも、法隆寺や薬師寺みたいでいい。塔が、空に突き抜けんばかりにすっくと立ちあがって、樅の木のよう。裳腰に当たる屋根が、ひろやかに庇を延ばしている。のっぽの教会は、どこからでも仰ぎ見ることができる。村のランドマークだ。村人は、朝な夕なに、鐘の音を聞き、祈りを捧げる。