マスタープラン

団体組織

  • NPO法人
    (特定非営利活動法人)
    雲を耕す会

    (事務局)
    〒433-8105
    静岡県浜松市北区
    三方原町447-23
    TEL/FAX 
    053ー436-5221

天竜美林再生  

  現在の地球に住む私たちの最大問題の一つは、森林並びに水資源の確保あります。
ちなみに、わが国の国土の67%は森林であり、森林の効率的な活用は、地球温暖化防止に向けての取組みに、多大な貢献をもたらし、森林の役割についても大きな期待が寄せられています。しかしながら、こうした期待と裏腹に、林業が不振で人の手が入らないために間伐が進まず、山林の荒廃は危機的状況にあるといっても過言ではありません。

春埜杉  したがって、これまでの林業から環境保全産業に移行させていくためにも、森林資源の有効且つ大胆な構造改革が必要です。間伐促進のための新たな手法の研究、今後の科学技術の進歩の過程で期待される森林資源の活用研究など環境と経済が両立する道を模索しながら、自然と人間の共生を目指していきます。21世紀の新たなライフスタイルとして、農山村がもつ自然生態系の回復を図り、地域の人々自らが、まちづくりや自然環境及び保全活動、地域の経済活性化に寄与する事業を主体的に実践、啓蒙し、持続可能な循環型地域社会の構築を目指すことを目的とします。

間伐の促進  天竜川の中流に位置する通称北遠地域の森林の管理の現状について、特に間伐の状況について下流域の都市市民に広報活動を実施し、森林と都市生活の関係を知らせ、森林管理の重要性を啓蒙する。

 また、実際にあらたな間伐作業方法の開発を実施する企業との協働により、効率的、低コストの間伐作業方法の研究、啓蒙を行い、間伐促進に寄与する。さらに間伐材の利活用の情報収集、研究を行い、間伐の促進に寄与する。

 また、中山間地と都市市民との交流事業を行い、上流の市民と下流域の市民との理解を深め、地域循環型社会の実現を目指した活動を実施する。

森林経営に関する研究を進め、森林オーナーなどへの啓蒙活動及び当地域の森林の価値向上に役立つ情報提供、指導を行う。

 ◆「和(なごみ)の家」利用料金

利用

お一人様料金

1日利用

500円

温泉・岩盤浴

1,000円

1泊(連泊の場合は)

3,000円(2日目から2,500円)

 ◆「和の家」利用規約

  • 「和(なごみ)の家」は、和の家運営協議会の総合的な管理によって運営します。
  • 利用者は、 「和(なごみ)の家」 の存在理由を理解し、環境保全に心掛けて下さい。
  • 調理器具・食器類などを使用した後は、よく洗い元の場所に戻して下さい。
  • 火気使用するときは、火元に十分注意して下さい。
  • 使用中に出たゴミは、総て利用者が持ち帰って下さい。
  • エアコン・ストーブ等、使用するときは、事前に報告して下さい。
  • 都合により予約内容に変更がある場合、速やかに連絡して下さい。
  • 施設を利用前、使用後には管理者に連絡を取り指示に従って下さい。

天竜美林再生  

 

  戦後最初に流行った歌は『お山の杉の子』です。「これこれ杉の子 起きなさい」とお日様に声をかけられて目を覚ます。大きくなって皆のためお役に立ってみせると頑張って、すくすくと杉は大きくなりました。天竜の杉も枝を広げ、天竜美林として世に知られるようになってきました。
 水窪中学校の校歌は、「北遠の果て雲白く、山高きところ古城の跡に」始まります。ひたむきに歌う子どもたちの背後に、杉の山が広がっています。
あれから60年、杉の子に悲しい運命が待っていたとはだれも知りませんでした。お役に立つどころか、邪魔者扱いにされるようになったのです。国産材で家を建てる人が、めっきり少なくなったからです。外国材に押されて国産材は振るわなくなってきました。それに伴って、山に入る人が少なくなり、下草が生え放題となり、枝打ちも行われなくなりました。木を伐ると手間がかかるといって、誰も手をつけようとしません。このままでは山が荒れはててしまうと危機感がつのります。国産材を使って山に活気を取り戻したい。天竜川の恵みを受けて育った遠州人なら、そう考えるのは当然です。
 山は荒れるに任せたままになってしまいました。国土の70%が山地ならば、わが国の大半は荒廃した土地で占められているということになります。これでは砂漠の国々と同じです。
これじゃあ、あんまりだ。これという対策もないまま、手をこまねいていてよいのだろうか。いつの世も、果敢に打って出る人がいるものです。ひとりでも間伐をして、山の手入れをすると言い出す人が現れてきました。国産材しか使わないという建築家も手を挙げました。
 「雲を耕す会」は、山を守れ。日本の伝統を見直せという機運のなかで、声を上げたのです。みなさんも、ぜひその一助となるべく駆けつけてください。実はわたしにとって生まれて初めて覚えた歌が、「お山の杉の子」でした。そのとき、「杉の子頑張れ」と声に出して応援した手前、60年経って無視するわけにはいきません。
 これ以上山をないがしろにすれば、いつかヤマの神からしっぺ返しをくらうでしょう。自然界の循環を妨げている今日の状況を、山の人とともに切り開いていこうと思います。

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 家は本来なつかしく、帰りたくなるところです。木の家に住んでやすらぐのは、木の移り香が、肌にしみこむからです。天然資材で造った家は健康にいい。家の中に森を取り入れて、原始的な感覚がよみがえります。住む人に心地よいのはそのためです。心の拠り所です。
黄昏の空にゆったりと煙突に煙が立ち上っていく情景を思い出します。太古から住まいの中心には火がありました。薪のほこほこしたあたたかさは、ほっとした気分にさせてくれます。肌に触れる心地よさは原始的な感覚です。人工的な物ではそうはいきません。
 その昔、いたわりの心なんて日本人の誰もが持ちあわせていました。みんな木の家に住んでいたから、暮らしの内側から 心の内側をのぞくことができました。
地元の材、地元の手からなる家造りをすすめるべきです。遠州人の頭の中には、いつも天竜の杉、檜の山々が、忍び込んでいるはずです。天竜材は、節がきれで、遠州の空っ風にもまれて美しい色艶をもたらします。強度もあるし、持ちや香りもいい。杉、檜は暖かみがあり、感触が柔らかく、吸い付くように温かい。愛着は手で触れてこそわいてくるものです。
 10センチ角3メートルの長さの柱は1.2リットルの水を含むことができます。湿度調整を行っているのです。露結だなんて昔の家では聞かれませんでした。木そのものが断熱材で、保温性にすぐれています。そのうえ木の油は、香りと殺菌作用があります。だからこそ天竜の木にこだわっていきたいのです。杉檜が醸し出す普段着のやさしさ。
 木の家の良さは、どれをとってもすぐれた素材であることに異論はありません。日本人の持つ、あたたかさ、思いやり、安らぎは、木の家に住んでいたからです。 
                     
 国産材は高いと言う思い込みが、杉、檜を追いやってしまったのです。間伐材の利用や材木を計画的にストックしておけば、かなりコストを下げることができます。新築のなかで木工事費の占める割合は、総工費の30%です。その半分が木材費、残りは大工さんの手間賃。100平方m(30坪)の家の場合、木材費は310万円でしかないのです。それに持ちが違うから長い目で見れば経済的です。
 どこでも地元材が手に入る素晴らしい国。地元の材、地元の手で造る家は安上がりですし、体にいいのです。
 天竜川流域だけの問題ではない。熱帯林を守ることにもつながります。熱帯林の乱開発によって地球環境は危機に瀕しています。熱帯林からは大量の酸素が地球全域に送り込まれているのです。国産材へのこだわりはエコロジカルな地球規模の発想です。
わたしたちの目指す先ははるかに遠いかもしれません。だからこそ冒険心を持って立ち向かっていかなければなりません。
少年は樹上に家を持ち、少女は人形の家を持つ。

古民家再生  

 

 かつて60年経った家の解体をしたとき、なおも馥郁とした香りがたち込めていました。樹は切られても第2の生を歩むのです。檜は100年間強度を増します。だから木の家は年数が経てば経つほど、つやが出て、さらに渋味が増し、高雅な香りを発しつづけるのです。どれだけ古びたときに美しくなるかです。
 ハウスメーカーの家は、建ったときが一番新しくて、後は褪せていくばかりです。これでは不経済このうえありません。ファッショナブルな家、よくもって10年、もてばもったで100年の恥。遠州の古くて美しい民家を訪ねると、そのことがよくわかります。
 
 柱を立て、梁を渡す。釘を使わないで、継ぎ手と仕口で組み上げていく仕掛けの巧みさ。構造の力強さ。棟梁の顔と技と無垢の木の香りが現場で一体となっていきます。
大工の仕事は昔からのやり方を守り通してきました。世界に誇る木造伝統工法は受け継がれなければなりません。そのためにも木の家にこだわり続けたいと思います。年季の入った職人の数だけ文化が豊かになります。職人は日本文化の技の担い手です。どこの国へ行っても伝統はきちんと守られていて、古い家を残した街がえらいと尊敬されているのです。「いまどき流行らない」と言って、どれほど日本の文化をつぶしてきたことでしょう。
 家一軒建てるのに、瓦職、畳屋、建具、左官と30人からの職人に仕事が回ります。職人がいい仕事をして腕を磨き、技を弟子に伝えてきたのです。今、男の子の一番なりたい職業は大工さんだそうです。その子どもたちに期待をかけよう。

照葉樹林文化の展開  

 

 映画『山の郵便配達』が歩いた道は、照葉樹林の道ではなかっただろうか。あのこんもりした森に懐かしさを覚えたのは、故郷の森を映画に見たからだと思う。
 照葉樹林というのは、シイ・クス・カシ・ツバキ等の常緑広葉樹を主とする樹林のことです。葉は冬でも深緑色のままで、葉の表面がてらてらと日に照らされています。葉に光沢があるから照葉樹林と呼びます。暖地性の木が多いので、西日本から三遠南信、関東地方の海岸付近にかけて分布しています。
 遠州の森は鎮守の森にしろ、里山にしろ、もこもこと生い茂っています。子供の頃、遊んだ森は空を隠してうっそうとしていました。これが照葉樹林の特色です。遠州地方の台地の縁に立つと、丸い森がいくつも見られます。森の中で椎を拾う子供たちの声が今でも聞こえてくるようです。
 1957年、京都大学の中尾佐助教授がブータンの森を歩いていたとき、日本の森とえらく似ているなあと思いました。照葉樹林帯の発見です。それはヒマラヤのふもとから中国の雲南を通って、長江流域、さらに西南日本まで帯となって延びています。アジアの温暖多雨地域と一致します。
 照葉樹林地帯は驚くほど共通の文化を持っています。茶・ソバ・納豆・なれ鮨・豆腐・コンニャク・酒・味噌・山菜。故郷の味と言われるほとんどの食べ物が、照葉樹林に源を発しているのです。三遠南信で木の実やソバの食文化が発達していることに思いが行きます。
 食べ物だけでなく、羽衣・サルカニ合戦・花咲爺などの昔話、さらに鵜飼いがそうです。絹織物・草木染め・紙漉き・漆等の伝統工芸も照葉樹林から生まれました。日本の文化の古層に、照葉樹林文化が深く刻み込まれていたのです。
 照葉樹林文化は稲作文化の伝わる前からありました。その最たる特色は焼畑です。緑濃い森林を、焼畑によって切り開いて、アワ・ヒエ・ソバ等の雑穀、里芋や山芋等の芋類を生産しました。山と森の生活に深く結びついた焼畑文化は、温かい西南日本に広がっていきました。
三遠南信地域でも昭和30年代まで焼畑が行われていました。夕焼けの山の斜面に白煙が立ちのぼり、赤い炎がチラチラと見えたといいます。山に火入れをするときは、山火事がこわい。秋葉信仰は焼畑の火防と結びついていきました。昔から火は畏れ多い存在であったのです。そう言えば、神に供える榊も、仏様に供えるシキミも照葉樹です。
 焼畑地域ではヤマノカミを奉ります。水窪の山住神社もそのひとつ。11月17日のお祭のとき、里芋の串やトチ餅が境内の茶店に並びます。トチ、ドングリの灰汁抜きも焼畑文化です。ワラビ、ゼンマイ等も灰汁を抜きます。
 やがて雑穀、芋から稲作へと移るようになっていきます。古くから稲作を行っていた雲南では、今でも赤米の栽培をしています。照葉樹林帯の民族は、日本のうるち米のようにねばり気がある米が好きです。餅・おこわ・団子・チマキ・五平餅。それらはハレの日に食べるのです。遠州の月見団子は、ヘソ団子と言って、平たい団子の真ん中をへこませます。雲南、ネパールのお月見はどうでしょうか。正月やお節句に餅つきが行われるのは、照葉樹林帯の共通した伝統です。
 やがて米を麹で発酵して酒を造る技術が生れます。納豆・味噌・ナレ鮨・漬物と発酵食品が多く見られるのも特色です。遠州の浜納豆もそのひとつです。
 茶・蜜柑・養蚕の源流も雲南です。漆も轆轤(ろくろ)を使う技術とともに伝わってきました。こうして見ると、遠州は照葉樹林文化の特色をどこの地域よりも受け継いでいることがわかります。
 春と秋の月のきれいな夜に、若い男女が集まってきて歌の掛け合いをします。愛情を交換するするこの習俗は、万葉の時代に歌垣と呼ばれていました。照葉樹林帯では今も見られるところがあります。
 映画『山の郵便配達』で、二人が踊りながら目を合わせるシーンは、歌垣を彷彿させました。
 浜松の加茂光廣さんは、草笛のルーツを探しに照葉樹林帯を旅してきました。入り母屋作りの茅葺き屋根、青田の中を行く農夫に菅笠が乗かっている。草笛を吹きながら村を回っているうちに、昔の日本の田舎を歩いていると錯覚したそうです。
 雲南・タイ山岳地帯・ネパールの旅先で、果たせるかな、草笛を吹く人と出会うことになります。草笛は恋する者たちを結び付けるという。加茂さんは、古代の歌垣が今に残っていることを照葉樹林の村で発見したのです。 
 思えば、雲南を中心にして、ヒマラヤのふもとから、延々と6000キロもの距離を照葉樹林文化は旅してきたのです。ネパール・ブータン・雲南の少数民族の人たちが語ってくれた生活のひとこまひとこまに、遠州の昔が甦ります。

山の幸は四季折々  

 

  • 蕎麦は打ちたてが美味しい

蕎麦は打ちたてが美味しい  食文化は風土です。遠州地方は気候にめぐまれていて、年がら年中、作物が採れます。
雪が積もりません。それはそれでさびしいけど、12月の日照時間はとても長いのです。
 昔、卓袱台なんてものがありました。食事のときだけ脚を出して、食卓になる。丸い卓袱台を囲んで家族そろって食べました。

 

  • 摘み草の天麩羅

摘み草の天麩羅  卓袱台は、いつも季節に彩られていました。春の山菜、芹、菜の花。夏の野菜、鮎、ヤマベ。秋の蕎麦、山芋、茸、栗。冬の大根、漬物、お雑煮。近くの山や畑、川でとれたものばかり、旬のものが並べられていました。旬のものは美味しいし、栄養もあります。ほら三里四方は薬というではありませんか。土地のものを食べていれば体にいいのです。食は薬膳。
 お米は竈(かまど)で炊きました。お米を研いで、水分がよくふくむまで3時間かけます。分厚い鉄の釜をかけて、薪をくべたら沸騰するまで強火で炊きます。吹きこぼれそうになったら少し火を弱めます。始めちょろちょろ、中ぱっぱ、赤子泣いても蓋取るな。水平に噴き出していた湯気が釜の蓋に沿って上にのぼりはじめます。ご飯の香りがしてきたら火を止めます。
 おかずはたいてい味噌汁と煮物くらいでした。だから味噌は欠かせません。味噌は各家で仕込みました。それでわが家の味噌が一番といって、手前味噌となるわけです。味噌の仕込みは桃の節句のころが最適です。味噌焚きは、大釜で大豆を煮て、それをていねいにつぶして、味噌玉を作ります。男たちが藁沓をはいて桶の中で豆をつぶしました。味噌玉は天井に吊るして自然発酵させます。半月ほどして水につけて味噌玉を洗います。味噌切りといって包丁で切り込むのです。それに麹を混ぜて味噌桶に入れて、土用過ぎまで醗酵させます。味噌の仕込みは、女集を招いて、結で行ないました。村の共同作業です。
 ご飯を炊くにしても味噌を仕込むにしても、手間ひまがかりました。
 山に住む人たちは、焼畑農業に頼っていました。縄文以来の食の原型が三遠南信には見られます。粟、稗、蕎麦などの粒食、栗、栃などの木の実、山菜や茸、こんにゃく。照葉樹林文化の特色がよくみられます。お餅は、照葉樹林地帯に住む人たちは、大好きです。

 

  • 栃餅 水窪町大野

栃餅  ハレの日にお餅を食べるのは、お餅が霊験新たかな力を持つと信じられているからです。だから直会(なおらい)といって、神様にお供えしたお餅を、後で村人たちと分け合って食べるのです。
 お正月のお雑煮は、関西では丸餅、関東では切り餅です。福井の愛発(あらち)関、岐阜県の不破の関、鈴鹿の関の三関が丸餅、切り餅の境です。柏餅は端午の節句に食べますが、南信濃の平谷 浪合 売木 清内路では、朴葉巻きにとってかわります。イグサの紐で縛ります。

 

  • 大平峠(伊那)の五平餅

大平峠(伊那)の五平餅  一合粥(けえ)二合雑炊 三合飯 四合牡丹餅 御幣五合といわれる御幣餅は、お宮の御幣に似ています。フォッサマグナの西側から、御幣餅の文化圏です。草鞋(わらじ)御幣という地方もあります。それも形からきているのでしょう。
 伊那は俵型の五平餅です。馬方の五平さんが、冷えたおむすびを火にかけたら、香ばしくて美味しかったからだって。 
 囲炉裏の渡しに掛けて適当に炙って、味噌だれをかけて食べます。味噌だれは、好みで荏胡麻(えごま)、鬼ぐるみ、ネギ、山椒、柚子をまぜて作ります。

 

 四季折々、「雲を耕す会」のホームグランド『和の家』で、山の幸を楽しむ会が開かれます。蕎麦打ち、蕗の塔の天麩羅、山菜料理、椎茸狩り、鮎の塩焼き、芋汁、猪鍋とそれは豊かなのです。

 

 

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 今でこそウォーキングなどとことさらに言うが,昔は毎日がウォーキングでした。日常的なことは歩かニャア事が運びません。
 子供の日々は,歩くか走るか登るか逃げるかのどれかでした。失敗は転ぶか落っこちるか捕まるかのどれかでした。
 子供の頃、笑ったり泣いたり怒ったりした記憶は,ズック靴で歩いて行った場所のどこかに隠されていました。知らない場所に分け入って,新たな世界が広がっているのを知ったとき,今までの自分から脱皮したような気がしました。

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  歩くことはいたわりです。ご足労かけてと言うでしょう。はるばる訪ねて行くからこそ,会えば嬉しくもなるし,感激もします。歩くことは大変です。たとえいばらの道でも歩いていかなければなりません。日暮れて道遠し,まあ地道にぼちぼち歩いていきまひょ。割に合わない不器用な生き方こそ歩きの本道といえます。
 順風満帆なときは、追手に帆懸けてシュラシュシュシュです。願いが叶ったときは、空飛ぶ思い。うまくいっているときは道など歩いていません。楽しければ足どりは軽くなるし,悲しければ重くなります。悔しときは,地団太踏みます。恋人に会いに行くときはアレグロで,ランデブー中はアダージョ,さよならの後はアンダンテ,テンポが違います。
 憧れの女の子とすれ違うときなど足がもつれてしまう。この前、通りすがりに振り向いたら,紀美子さんも振り向いてにっこり笑い返してくれました。次の授業,先生がなにを話しているのか,まるっきり上の空でした。
 風の音や花の匂いを感じるのは、歩いているときです。感じることは知ることより上だそうです。でしたらもっと歩こう。とっとと,すたすた,しゃなりしゃなり,もたもた,よろよろ,しょぼしょぼ、どたんばたん,ちゃらちゃら、つつーっと。
Photo_3  というわけでもっともっと歩きましょう。北遠地方は、物流のさかんなところでしたし、神のかよい路でもありました。人の数より神のほうが多い。北遠は神のベースキャンプがあったのでしょうか。