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2008年10月

2008年10月20日 (月)

日本の元気に点火する!

★地理的に日本一経済の波にもまれた山里は、民の暮し文化の交差点でもあった!

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日本全体を撮った航空写真を見てみる。ちょうど真中の位置にぼく達の山里がある。その上を一直線の日本の東西を分断する尾根を見る事ができる。350キロの活断層が生んだ、古代の民の道がそれである。自然の地形が生んだ一本道である。
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その道は古代から海と山をむすぶ塩の道であり、戦国時代は烽火通信の拠点でもあった。ぼく達の山里は、まさに東西南北文化が交差する、民の暮し、文化の交差点であったのだ。日本の民の暮し文化度ゼロ度「田舎の標準店」なのだ。
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「日本の元気に点火する、民の古道を火でつなぐ」プロジェクト、INAKAX2002とは、かってのように元気に暮せるように、ご先祖様が歴史と時間をかけて風土と身体にあった暮らしの知恵を再燃しよう!と、ぼく達が計画した。難所と言われた遠州灘は、気候が変わりやすかった。生きるために山人と海人が連携し、船が迷わぬように、人が迷わぬように光りを活用した通信が山つなぎに交信された。ある時は、船を誘導するために、ある時は気象の変化を交信しナビゲートしたのである。まさに民の暮しの知恵である。それも縄文時代にさかのぼることができるという。
日本を縦断する350キロの活断層、民の古道に火を点けよう! きみもぼくも迷わないように・・・。
Photo_5農山村に関わってきた今村純子さんが「山里に暮らす魅力」と題して講演。生活文化や暮らしの知恵を紹介。

自分達の身体と日本の風土に根ざした民の暮しの知恵には、21世紀の地球規模ですすめられるエコライフを支援できる解決策が隠されているかもしれない。そう、民の暮らしの知恵システムを活用したオーガニック・エコライフこそは、山里ができる21世紀のベンチャーであり、世に不可欠な資源ではないだろうか!
(完)
(民の暮らしクロスロード市 INAKAX2002)
 

2008年10月17日 (金)

日本の元気に点火する!

★どうして田舎のイメージに癒されるの? なぜ若い人の間で甚平が流行るの?

田舎も知らない現代っ子が、お茶をすすりながら縁側で「いいねえ!」というCМがある。それはなぜ?
最近、町角で甚平姿の女の子に会う、それはなぜ? 若い人が野菜嫌いなんて嘘! なぜか野菜が豊富なアジア料理がブレークしている。それは、なぜ?
「当たり前よ。気持ちがのんびりするんだもの!」。なんて言う事はない、身体にあっているからである。風土と文化にあっているからである。
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モノがあふれても満たされないのは当たり前! 体の調子が悪くなるのも当たり前! 高温多湿の気候に革靴履いて水虫わずらって、背広着て冷房がんがん入れてCO2の削減なんてなんのその。ずっと室内にいる事務員さんは、真夏なのに靴下履いてセーター着て、重度肩こり冷房病で週に一度は整体通い。
高温多湿に適した風の通る木造の家を捨て、密閉型の欧米式の家にはエアコンが欠かせない。結露がついてカビが生え、喘息とアレルギーが悪化するから乾燥機を買わなくちゃ。乾燥しすぎるから夏でも肌用のボディローションを買わなくては・・・気づいてみると家はモノであふれかえる。なのに、環境問題にはゴミ対策!と分別ゴミ作業に休みの大半が使われる・・・増えるモノを減らすには原点に戻るしかない!
 なんだ、風土と身体にあった生活を最初からすればよかったんだ。
しかし、戦後から50年、明治維新から100年以上・・・いったい風土と身体にあった暮しってどんなだったのだろうか? かつての日本人が生み出した身体と風土にあった賢いライフスタイル、民の暮しの知恵はどんなものだったんだろう? 知ってみたい、見てみたい、体験してみたい!!
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(つづく)
(民の暮らしクロスロード市 INAKAX2002)

2008年10月13日 (月)

日本の元気に点火する!

★なぜ、日本の元気に火を点けるのがぼく達なのか?
☆きみもぼくも幸せになりたかった結果が今なんだ・・・Photo
ぼくの山にはモノノケ姫が住みそうな自然森もない、温泉街もない、若い人も多くない。でも、きみはきっとぼくを見つけられる。きみが散策するのが好きな江戸の風情が残る東京下町、町屋の古い柱に。
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ぼくの山は、真っ直ぐに伸びる高木のため暗いと言われる。その理由は、江戸の大火災で、第二次大戦の焼け跡で、新しい希望・みんなの家になったからだ。
ぼくの山は、日本の地図のちょうど真中にある。だから、きみの家になった。きみのおじいちゃんが生まれるより、ずっと前からだ。人工林しかないから暗いと言われても、ぼくはきみ達とずっといっしょに生きてきた。
文明の発達が、戦後の経済発展が自然を崩壊し、山を荒らしたと責める人もいる・・・。だけど、ぼくは、板となって吹き荒ぶ風からきみ達の家族を守り、柱となって家族の成長を喜ぶ一本の傷を刻んだ。
自然破壊だと自然保護運動家に責められようと、きみもぼくも幸せになろうとしてがんばって生きてきたことに違いない。だから責められれば責められるだけ辛い、一生懸命の結果だったから。

「田舎には自然がある?! 山里には伝統が、古いものがいっぱい残っている?!」
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ううん、ぼくの山には何もない! なぜって? たぶん、日本の真中にあったから。ぼく達の山里ほど日本でいちばん経済の波の影響を受けたところはないじゃないかなと思う。
日本一のダム・最大級の公共事業は、小さな村を3万人に増やし、数年後3千人に減らした。現在人口1300人の村に、かって映画館もあったと知る人は少ない。多くの人を受け入れ、多くの人を流出した山里には主を失った家屋が緑奥深く埋もれている・・・。人口の約90%が選挙人という大人?ばかりの村。1台がやっと通れる山道、対向車を見ると運転手の顔をまず確認する、そして道を譲る。それは80代のおばあちゃんが現役で車を運転して暮しているからだ。
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人は生きてきた、そしてこれからも生きてゆく。文明の波にもまれ高度経済成長の中で変貌したのは都会だけでない、田舎も同じだけ変化を余儀なくされたのだ。日本人がイメージする田舎のやさしさも癒しも原風景も幻想にしかその姿はないだろう、たぶん・・・。
生きる希望、豊かさこそが文明の発展と信じて疑わなかった・・・豊かさの象徴であるモノは町にあふれ、自分のタンスも満杯だ。でも心はちっとも満たされない。憔悴しきっている今の日本人。迷っているのは都会の人だけでない、癒されたいのは田舎の人も同じなのだ。

そう、日本人は希望の光を失った迷子。まるで荒れ狂う波の中、帰る港を失った難破船なのだ。(つづく)
(民の暮らしクロスロード市 INAKAX2002)